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「頼むからジョジョの男は報・連・相を学んでくれ」ジョジョ三部感想覚書

ジョジョ三部をアニメで観ました。

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出典:Amazon.co.jp(https://www.amazon.co.jp/dp/B00S8SPLT6/)

「ジョジョの奇妙な冒険って三部だけ面白いんでしょ?」

ジョジョを知らなかった頃、私はぼんやりとそんな認識を持っていました。第一部の原作を途中でリタイアした経験も、その考えに拍車をかけていたように思います。

第四部、第一部、第二部と見てきた今となっては、その認識は完膚なきまで粉々にオラオラされたわけですが、同時に、ジョジョを知らない人にそう思われるのも無理はないと納得しています。

それほどまでに第三部は傑作だった。本当に面白い48話でした。50日間の短いようで、とても長い旅の話だったため、私も言葉にしたい感想が山のようにあります。
今回はそのなかでも、私の心に深く入りこんだ3人の男に焦点を当てていきます。その3人への気持ちはいろいろありますが、あえてひと言で表すなら、そうですね。


お前ら大事なことはちゃんと言え。


※今回語らない2人と1匹についてはこちらのnoteからどうぞ


1.空条承太郎~腹から信頼出せ

「ジョジョの主人公は空条承太郎らしい」

太臓やめだかボックスやアヤシモンでふわっと得ていた、そんな事前知識を信じていた時期がありました。実際はそんなワケないのですが、そう勘違いするのも仕方ないほど最高にカッコイイ男子高校生が空条承太郎です。

ただ速く、精密で、ひたすらに強いスタープラチナの迫力。スタープラチナを完璧に使いこなす深い洞察力と度胸。ときには社会倫理に背を向けるほど強靭なジョースターの誇り。
そして、まるで神話の英雄のような立ち振る舞いからくり出される「昔は優等生」「おじいちゃん、おばあちゃん呼び」のギャップあるあざとさ。

さながら西部劇か、あるいは週刊少年マガジンの暴走族か、もしくはセガの極道か。アウトローの魅力を破壊力Aでぎゅっと詰めたような承太郎は、ジョジョシリーズやジャンプを飛び越えて日本、いや世界のコミック史に名を刻むべき主人公です。間違いありません。

なぜ私はこんなに承太郎をべた褒めするのか。


これから文句をいうからです。


空条承太郎、気持ちを口にしない問題。

ほんっっっっとーに言わない。この男子高校生、心のなかに信頼や友愛をいっぱいいっぱいいっぱいいっぱい溜めこんでいるのにちっともちっともちっともちっとも口にしないィィィィィッ!!
すべてのコミュニケーションを「オラオラ」か「ふっ…(意味ありげな小野大輔のセクシーな含み笑い)」ですませているフシがありますよこいつは。

たしかにアウトローというのはそういうもの。信頼を言葉にするのは野暮ですし、100の言葉より1の行動で示すべしなんて世界もあるでしょう。

しかし承太郎は度が過ぎている。これはもはや甘えです。「自分の胸中なんてどうせクルセイダースの仲間が勝手にくみ取ってくれるだろう……」そうタカを括っているまであるのではないでしょうか。

実際、クルセイダースの面々は祖父のジョセフを筆頭に、察しのいいメンバーが揃っています。
あんたらが察しちゃうから4部で男子高校生とバッドコミュニケーションかます28歳が出来上がったんだぞ!7歳の我が子を奥さまに任せきりで日本に出張するお父さんが出来上がったんだぞ!

しかもこの承太郎野郎のなにがタチ悪いって、相手がいないシーンでは無言の信頼を表に出すところです。
この傾向をもっともわかりやすく示しているのが、唯一の同年代こと花京院典明くん。ラバーズ戦では一切の打ち合わせがないにもかかわらず、

「貴様は花京院のやつのことを知らねえ」

の言葉とともに、花京院の行動を見通した戦術で敵を撃破します。

ほかにもダービー・ザ・ギャンブラーでは、ダービーからの誘いとはいえ、その場にいない花京院の魂を勝手に賭ける暴挙。母親のホリィさんの魂も賭けていたりしたところを鑑みると、この男は身内には全力で甘えるフシがあるし勝手に魂賭けてもいいやと思っているのではないでしょうか。


信頼してるなら本人に言え!!!!!!

本人不在をいいことに剥き出しの友愛をひけらかすな!!!!!!


腹から信頼を出せ承太郎!!!!!!!

この後も承太郎の花京院に対する無言の信頼ハラスメントは留まるところを知りません。

花京院が復活したらみんなが労わっているなか、自分は無言で握手をかわすだけ。
ダービー弟戦で花京院がやられたら秒速で席に座り「花京院の魂を取り戻すことはマジで考えている」とのたまい、察しのよさレベル1億のジョセフおじいちゃんとイカサマを仕掛けるetc、etc…

気持ちを言葉にせず態度で示す、昔ながらの一匹狼としてまったくブレない承太郎。
そんな彼だったからこそ、旅の終わりでポルナレフと別れに涙ぐむ姿や、写真を眺めてほほ笑む年相応のロマンティックが、さらに印象的なのかもしれません。

せめて彼がアヴドゥルやイギー、そして花京院に旅のどこかでひと言「ありがとう」と心からの親愛を告げていたことを心から願います。言ってねえんだろうなどうせ。

2.花京院典明~ハートにエメラルドスプラッシュ

エジプト編突入前にクルセイダースの所感を述べた際の彼―――花京院典明について私が抱いていた想い、そのすべてです。

三部を観始める前は「変態チックなイケメン」「さくらんぼを気持ち悪く舐める」ぐらいに思っていた花京院。
ふたを開けてみればスマートでクール、博識かつ良識ある好青年で、私の好感度はうなぎのぼりでした。

本当にさくらんぼを気持ち悪く舐めるまでは。

なんであんな高原に吹くさわやかな風みたいなツラでさくらんぼ気持ち悪く舐められるんだこいつ。

花京院の変は止まりません。サン戦では「ノホホノホー」と明らかに口で言っている謎の爆笑、直後のデス13戦では「お仕置きの時間だよベイビー」からの離乳食お仕置き急転直下デスコースター。エジプトで離脱した後も承太郎を通した友情パワー(無言)を見せつけてくる。

いま振り返ると、私のジョジョ三部とは花京院に心を乱されつづける旅だったように思います。さくらんぼを気持ち悪く舐めたあの日から僕の地獄に花京院は絶えない。

しかし旅とは終わるもの。DIOとの激しい死闘のなかで、花京院はDIOに腹部を貫かれて息絶える壮絶な最期を遂げます。

正直な話をすると、花京院の結末はなんとなくわかっていました。かの有名な終わったよコピペに名前がありましたからね。ただ、彼が生き様までは知らなかったのです。

たとえば、彼が物心ついたころにはハイエロファントグリーンを発現していた事実も知りませんでしたし、そのせいで「自分にとっての常識を他人と共有できない」深い断絶と孤独を抱えていたのも、彼が散る46話冒頭で初めて知りました。

両親とすら心を分かち合えなかった花京院にとって、ハイエロファントグリーンが見えるクルセイダースとの50日の旅は、共感しあえるだれかと過ごす、はじめての青春でした。
承太郎と相撲が好きだと言いあったり、ポルナレフをやけに雑に扱ったり、視聴者の心を乱す奇行の数々も、彼にとっては初めてだらけな友情の日々だったのです。

そんな回想の後、花京院は死んでいきました。ザ・ワールドの正体をジョセフに伝え、クルセイダースの仲間としての誇りを貫き通して。


勝手に死にやがった。


心からそう思いました。死ぬという結果を察していたとしても、こんな死なれ方をされるだなんて、あまりにもひどい。

あんなに変な奴とばかり思っていた花京院の、胸に秘める高潔さや当たり前に過ごしていた旅への深い憧憬を知った、ほんの9分後に本人に死なれたのです。そういうのはもっと早く言えよ花京院。

人の心を好き勝手かき乱しておいて、その後始末もせず勝手に満足げに逝きやがった。そんなの忘れられないじゃないですか。
死ぬとわかっている視聴者にすら爪痕を残す……花京院典明とはそんな男でした。

ああ、花京院の二次創作を一心不乱に探したい。4部で口下手な承太郎をフォローする花京院典明(27)とか7歳の徐倫におじさんしてる花京院典明(27)とか見たい。でもネタバレを踏むのがこわいから探せない……令和になってはじめてジョジョの世界に入門した自分を、まさかこんなかたちで憎むことになろうとは!

余談になりますが、花京院の最期は1部のツェペリ男爵や2部のシーザーに通ずる、「仲間に意志を託して散る」ツェペリ魂と同じ輝きを放っていたように思います。

もちろん花京院とツェペリ家は縁もゆかりもないはずです。しかし、黄金の精神がジョースター一族の特権ではないように、ツェペリ魂もツェペリの血筋だけが独占する所有物ではないのでしょう。

ツェペリ魂はいきなり生えてくる。今後のジョジョも、そんな気構えでかかるべきなのかもしれません。

3.DIO~ディオの頭とジョナサンの体をもった邪悪


※この章は信仰の話をしています。

「ジョナサンと運命を別ってまでなぜ生き残ったんだディオ」

第一部の感想文を書いたとき、私はそんな気持ちでした。

あの船内で運命のふたりが見せた奇妙な友情。互いを傷つけあわなければ本音で語りあえず、心中のように海底へ沈んでいったジョナサン・ジョースターとディオ・ブランドーの結末は、私の心に強く刻まれています。

なので100年後の三部に、あまつさえジョナサンの体を奪ってまで復活したディオことDIOの存在を、私はおぞましく感じました。DIOはいったいなんなんだよ。三部を観ている間は、心の片隅にその疑問がありました。

そんな心境でしたから、DIOの言動はいちいち私を戸惑わせます。
ジョナサンをジョジョと呼ばずジョナサン・ジョースターと呼ぶたびに心がささくれ立つ気分でしたが、私にとって決定的だったのは承太郎との最終決戦における言動です。

ジョセフの血液を奪って完全体になったDIOは、ジョースターの運命とは「このDIOに利用されるためにあった」と断じ、承太郎を怒らせます。
この一連の行動は、100年前にジョナサンの爆発的なパワーを警戒していたディオ・ブランドーではありえぬ失態ではないでしょうか。

ジョースター家との因縁を意識しながらも、この世で唯一尊敬していた義兄弟の武器を子孫の承太郎が持っていないと、DIOは侮ったのです。

承太郎の「てめーは俺を怒らせた」は象徴的で、まさにジョナサンの逆鱗にふれて敗北した100年前の再現ともいえます。

DIOについてはジョジョファンの数だけ解釈があるのでしょうが、私はこう捉えています。
DIOとはディオ・ブランドーの頭とジョナサン・ジョースターの体を持った"だけ"の吸血鬼。ディオとDIOは同一人物だとしても、同じではない。私のDIOに対する結論です。

ここからは完全に想像になるのですが、深海で過ごした100年の時とジョナサンを失った現実は、ディオの精神に深刻なダメージを与えたのではないでしょうか。

あの船内でジョナサンとディオの運命は幕を閉じました。しかし、ディオはジョナサンの肉体を得て生き延びた、あるいは死に損ねた。
ふたりでひとりの片割れを失ったディオは、100年の地獄のなかでゆっくりと人格を消耗していきます。
そうしてディオ・ブランドー個人の感情がなにもかも消え去り、残った亡霊のような肉体が、DIOを名乗っている……そんなイメージです。

スピードワゴンは、ディオ・ブランドーを「生まれついての悪」と断じました。また、DIOはさまざまな媒体において、"邪悪の化身"の異名を与えられています。(例:オラオラジオ!のあらすじ解説)

これらは言いえて妙な表現で、DIOとは邪悪を体現する概念に思えます。
かつてディオ・ブランドーが抱いていた「だれにも負けない男になる」野望やその起源を振り返ることなく、ディオの才能たる悪を行使するだけの、システムのような存在。
使用者が死んでもコマンドを律儀に実行するコンピュータ……ディオとDIOは、そんな関係ではないでしょうか。

ジョセフは最終話で「みんながDIOにいろいろなものを貸していた」と語ります。このセリフは身体を貸したジョナサン・ジョースターはもちろん、DIOに頭を使わせたディオ・ブランドーにも当てはまりそうです。

とはいえ、私がこう考えるのは、

「DIOとディオ・ブランドーは、厳密には別人だ」

「だから、ディオ・ブランドーはやはりジョナサン・ジョースターとあの船で運命を共にしたのだ」


そう思いたいだけなのかもしれません。

しかし、作中で「これ」といった正解が提示されていない以上、視聴者が見たいように見るのが正解な気もします。
なにせ、DIOは自分を語らないまま滅びました。純粋な悪らしく、同情できる身の上話なんてまったくしなかったのです。


ジョジョを失い地獄に落ちたディオ・ブランドーは、海底の100年でなにを思ったのか。

悪のカリスマとして君臨したDIOとは何者だったのか。

空からこぼれ落ちたふたつの星は、100年後に空で再会できたのか。


本人が口にしなかった以上、すべてはファンの想像に委ねられているのでしょう。
そして、個人が信じたい答えを信じればいい……やはりジョナサン・ジョースターとディオ・ブランドーは宗教なのではないか?

最後に~なにものだおまえ

冒頭にリンクを貼ったように、私は以前にも第三部の感想文を書いています。
言葉にしたい感動が多すぎて、2本の感想文を書き終えたいまもまだ語り尽くせないほどですが、最後を結ぶ感想は「楽しかった」しかありません。本当に楽しい物語でした。

ジョジョをひとつ終えるたびに「次のパートはこの面白さを超えられるのか?」と毎回不安に思います。そして期待を裏切らない奇妙な冒険をいつも見せてくれるのです。

第三部もその例に漏れない大傑作でした。今までに拍車をかけてネットミームが多かったのもわかります。

私は第四部をすでに見ていますので、次はひとつ飛んで第五部となります。

「第五部は第三部を超えてくれるだろうか」そんな、おそらくは杞憂を抱きながら、新しいジョジョに会いにいきましょう。

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Do you KOTO nano DIO?



第五部の男たちは、報・連・相をちゃんとしてくれるのでしょうか。

今回はこのへんで。第五部の感想文でまたお会いしましょう。それでは。


※備考

https://togetter.com/li/1836407

 ジョジョ三部を観ているナマの反応はこちらをどうぞ。

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