黒埼ちとせが臨む2つの”終活”
「私ね。長くないと思うの。だから、今が楽しければいい」
多くのPに衝撃を与えたこの一言に見える、彼女の”楽しい”とは何だろう。
その疑問に自分なりの答えを見つけた私は、この考えを言葉にしよう、しっかり文章にしようと決めました。
『LIVE Groove Visual burst 201902』にてデレステに実装された新アイドルの片割れ、吸血鬼の末裔(らしい)にして2歳年下の幼馴染を従者に置く帰国子女アイドル、黒埼ちとせ。
これまた先日デレマスで実装された3人に負けず劣らずの濃いキャラづけをしてきたな……と思った矢先に叩きつけられたのが冒頭の台詞。歳すらとらないサザエさん時空において登場した、”死”を内包するキャラクター。花盛りの乙女が輝く舞台において一人だけ真っ暗な闇と向き合って受け入れているアイドル。それが黒埼ちとせです。
アイドル活動という名の終活
終活という言葉があります。一般的には老い先短い老人が生前のうちに葬式の段取りや身の回りの整理をすませておくことを言いますが、広義的には「人生の終わりのための活動。自らの死を意識した、最期を迎えるための準備」と表し、自らの寿命を悟っているちとせにとってはアイドル活動がこれに当てはまります。彼女にとってアイドルとは死への準備なのです。
彼女にとっての終活、アイドルの目的とは具体的にはなんなのか。
イベコミュを読んだPにとって真っ先に思いあたるのは、やはり白雪千夜の存在でしょう。おさらいも兼ねて振り返りたいと思います。
自分の寿命をPに告白したちとせは、同時にあるお願いもします。
「千夜ちゃんを私の僕じゃなくしてあげて。あの子をあの子らしくしてあげてほしいの」
白雪千夜。
12歳の時に黒埼家の使用人となり、お嬢さまと慕うちとせに引きずられる形でやってきたもう一人の新アイドルですが、この子はとにかく自己評価が低い。
普段はちとせの言うことには常に耳を傾けるのですが、例えば「可愛い」と言われると「そのような価値、私にはありません」「お嬢さまが薔薇ならば私はその包装紙でいい」とキッパリ言い切る程に自分を認めておらず、アイドル活動もちとせの戯れに従っていると捉えています。
しかし当のちとせにとっては戯れなどとんでもなく、彼女は本心から千夜を可愛いと思っており、何より千夜自身にそれを自覚してほしい。
その魅力をもっと多くの人に知ってほしい。
もうすぐいなくなる自分の包装紙であればいいなんて思わないでほしい。
そして、一人になっても未来を生きてほしい。
人生の最期に大事な人の未来を想える優しさ、それこそが黒埼ちとせの魅力のひとつともいえるでしょう。
かくいう私も初めてイベコミュ4を読んだ時は「こんなんあえて違うユニット組ませたくなるやん」「関係性が強すぎるのに別れてこその関係になってる……考えたやつ天才かよ」などそのエモさにぶちやられて毎日ちと千夜についてぐだぐだクダ巻いてたりしました。ツイッターで毎日検索かけてはやられてるPのツイートを探したりもしました。
しかし、ある時ふと思ったのです。
黒埼ちとせの終活、白雪千夜だけでいいのか? と。
吸血鬼の末裔・黒埼ちとせ
白雪千夜の未来の為に、彼女をアイドルに巻き込む。
この理解は黒埼ちとせを考える上で間違いなく正しいのですが、これが彼女のコアそのものと言い切って良いのか。
これではあまりにも千夜に尽くしすぎて、黒埼ちとせ自身に得がないではないか。
果たして黒埼ちとせの物語とは、白雪千夜が羽ばたく為に浪費されるだけのものなのか?
それは美しいが人間としてあまりに虚しい結末ではないだろうか?
そんな疑問を抱いた私はコミュを読み直し、ルームでタップを繰り返し、ホームで吹き出しを叩き続け……千夜の為ではない、自分の為の言葉がないかを探しました。
そうして見つけたのが、次の台詞でした。
「あなたの心にも、私が棲み着いちゃった?それは…おめでとう♪」(N+ルーム台詞)
○○が死んでも俺の心の中であいつは生き続ける……例を挙げればキリがなくなる程に王道な文脈です。
上記の台詞から、ちとせがこれを自発的にやろうとしていると考えられないでしょうか。アイドル黒埼ちとせを人々の心に刻みつけ、肉体が死んでも存在は無数の誰かの中で永遠に生き続けようとしているのではないかと。
そのように考えてからちとせの言葉をたぐってみるとユニット曲である『Fascinate(魅了する)』を筆頭に、彼女は「恍惚」「囚われる」「支配する」といった言葉を好んで使っていることに気づきます。
いずれも掴んだら離さない、もう逃がさないなどの意味合いを持っており、相手に強烈なイメージを植えつけるニュアンスを感じさせますね。
これこそちとせがアイドルを選んだもうひとつの理由、誰でもない自分の為の終活ではないかと思うのです。白雪千夜という物語の生贄だけでは終わらない。黒埼ちとせの物語を、存在を、ファンやプロデューサーに覚えていてもらいたい。この世からいなくなった後も人々の思い出の中で生きていたい。そんな願いをアイドルに込めているのではないでしょうか。
イベコミュでは通して死への恐怖を見せなかった彼女ですが、幼い頃は「眠ると二度と目覚めない気がして怖かった」と死を畏れていた事実を語っており、完全に克服したと明言もしていません。死の運命を受け入れていても、そんな現実に怯えていないわけではないのです。
次の台詞は、そんな彼女の心境を表しています。
「あなたの手で確かめてみて。私というアイドルがここにあることを」(N+ホーム)
「星々はどれも小さな点に観えるよね。あなたが見てる私たちも、そう?」
「照らされなかったら、この庭園もただの闇。私たちと同じ」
(共にSR特訓前ホーム)
1つ目の台詞はちとせ自身の実在をP=他人に認めてもらおうとしています。2つ目は星々をアイドルと解釈し、私も事務所に多く所属しているアイドルの一人に過ぎないのかと訴えています。そして3つ目は、輝く舞台に立てないアイドルは誰にも見てもらえないという不安。いずれも”まだ私は生きている”私は確かにここにいる”と震えながらも必死に叫んでいるアイドル・黒埼ちとせの本音が見え隠れしていると私には思えます。
イベントコミュでは通して千夜への想いに溢れ、ともすれば最期の時を彼女に捧げてるようにも見える黒埼ちとせ。その本心ではしたたかに、あるいは懸命に自分自身の”不死”を求めてあがく、もうひとつの終活にはげむ自分自身の物語を抱えたアイドルと言えるのではないでしょうか。
魅力を武器に虜を増やしてある種の不死性を獲得する……ここまで書いた今ようやく気付きましたが、血を吸って眷属を作り出す不死の怪物・吸血鬼が現代に蘇った姿と呼べるのかもしれませんね。
ところで今挙げたSR特訓前台詞2つは佐倉薫さんの演技がとても上手く、微かに声を震わした言い方がグッときます。必聴ものだ。聞こう。
黒埼ちとせの虜になった話
繰り返しになりますが、この長ったらしい文章を私が書こうと決めた理由はここまで語ってきた考えをちゃんと言葉にしよう、文章としてまとめたいと感じたからです。頭の中でなんとなくで留まっていた感情の渦がしっかりした言葉として整理して、形にしたかったのです。
ちとせは死ぬのでしょう。デレステがサザエさん時空であってもやりようはいくらでもあります。例えば千夜のソロ曲コミュでちとせが一切登場せず誰も言及しないとか、それだけでいくらでも深読みは可能です。実際に死んだ事実が重要なのではなく、物語上で死が演出されればそれだけで十分。
極端な話をすればデレステがサービス終了してしまっても死んだと言えます。その時は他のアイドルも一蓮托生ですが、キャラクターとして生まれた時点で”死”を内包しているちとせにとってはなおさら深い意味が込められています。
とにかくソシャゲとはいえ安心は全く出来ない、それが私の立場です。
彼女が人生の最期をかけて叶えようとする望み。誰かの心に棲んでいたい、心の中でずっと生きていたい。まるでお話の中の吸血鬼のように。
いずれ必ず訪れるその時、黒埼ちとせの終活を決して忘れたくなくて、その気持ちを文章として形にしました。
そもそもこうして彼女について何か形を残してしまうほど夢中になった時点で、ちとせの思惑通りなのかもしれません。
ただし、そのちとせ自身もアイドル活動に手段以外の”楽しみ”を見出しつつあるようです。
最後になりますが、ちとせは2/28にデビューしたばかりの新人アイドルです。これからもシンデレラガールズの一人として私たちに様々な輝きを見せてくれることでしょう。ここまでお付き合いしてくださったあなたも黒埼ちとせの今後に期待して、何か感じるものがあれば文章でもイラストでもツイッターでもなんでもいいので、形に残していただければと思います。
彼女曰く”長くない”時間を、精いっぱい楽しみたいですね。
PS:ここまで書いて担当じゃないっていうね。私の担当は一ノ瀬志希と白菊ほたるです。よろしくお願いします。
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