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【INTJ】「幸せであること」と「幸せであろうとすること」

今を楽しむことが苦手
Seが劣等だからだろうか?私は遊ぶことや今を楽しむことが苦手です。特に大勢の人と関わって、その瞬間をエキサイトすることは特に苦手です。打ち上げや飲み会の席では楽しむことにいつも苦労しています。

そのことについて、大いに悩んだのは高校を卒業して大学生になってからでした。


高校時代は。。。
高校時代は勉強と部活動に明け暮れていました。休日に友人と映画を見に行ったり、部活帰りにラーメンを食べに行くこともありませんでしたが、それはそれで充実した日々を過ごしていました。

私は根本的に努力をすることが好きな人間です。自身で目標を掲げ、その目標に対して主体的にアプローチしているときに充実感を得るのです。何より夢中になっている瞬間です。Niでビジョンを描き、Teによって実現を目指そうとします。

ある意味、高校生活というは私の性格に合っていました。勉強にも部活にも分かりやすい目標があります。勉強は大学受験、部活にはインターハイというように。高校生活を楽しんでいた訳ではありませんでしたが、私なりの充実感を得ることができていました。


大学に入って、焦る。
大学生になると、高校生活にあるような明確な目標や目的が存在しません。学業ももちろん重要ですが、何なくピントが合いません。

講義中に広い教室を見渡してみると、茶髪や金髪、カップルまで、何となく充実してそうな雰囲気が漂ってきます。

そして、大学生には大学は楽しむ場所だという特有の共通認識があります。あたりを見渡して、充実していなさそうな自分が、楽しくなさそうな自分がなんだか損をしているような気分になります。


私は幸せになれるのか?
大学生の時、私は自分自身が幸せになれるのか?という問いに本気で悩みました。悩みに悩み抜いて、出てきた答えはノーでした。
正確に言えば、幸せになる必要はないという結論に至ったのです。

その結論に至ったのは次の問いについて考えてからでした。

生きる上で必要なのはどちらか?
「幸福であること」それとも「幸福であろうとすること」?

私は後者だと思っています。幸せな家庭を築いて暮らしていたとしても、「幸福だから」生きているのではなく、「明日も幸福であろうとするから」生きていこうと思うのではないでしょうか?

幸せという「状態」の豊かさを知っていて、幸せを目指そうとする。その過程そのものが「生きる」なわけです。

未完の何かを完成させたり、不満な何かを満足にするために、人は生きる原動力を得ています。だから幸せじゃないことを悲観する必要はないのです。幸せじゃないことこそ、生きる力そのものなのだから。
本日はここまで。今日もお疲れ様でした。

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