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INTJ、留学体験記

留学を決意した理由
留学しようと思った理由は、姉が留学しているのを見て、羨ましく思ったからだ。

留学先からLINEで送られてくる写真には、美しい教会や煌びやかなカジノ、クラスで知り合ったのであろう外国の友人たちが写っていた。


「あんなに綺麗な街で生活してみたい」
「外国人の友人が欲しい」

私の中の好奇心が触発されて、コミュニケーション能力や英会話に自信のないことなんて忘れていた。とにかく留学してみたい、その想いで頭がいっぱいになった。


いざ異国の地へ
コミュニケーション能力にも英語力にも自信が無かった私だが、留学に踏み切るまでにそう時間はかからなかった。「なんとかなるだろう」そう思っていた。

留学すると決まれば、留学エージェントに行き、留学先と留学期間を1ヶ月と決めて、パスポートなどの留学の準備を着々と進めた。当然、費用はアルバイトで稼いだ。

留学先は自然の豊かさと街並みの美しさからオーストラリアのメルボルンに決めた。

全ての準備を終えて、無事に関西空港からオーストラリアへ飛び立った。


留学初日 だめだめ英会話
現地時間、午後5時ごろにメルボルン空港に到着。見たことない淡い色の空を見て、海外に来たんだなと実感し、、メルボルン空港を後にした。

留学エージェントが手配したタクシーに乗ったもののガチガチでThank youしか話せることがなかった。

ホストファミリーの家に着いて、扉を開くなり「How are you?」と聞かれて、何と答えて良いのやらと困惑。そのあとマザーから家のルールを教えてもらってその日を終えた。優しいホストファミリーだったから良かったけれど、私の英会話はひどい有様だった。


3日目 最悪の1日
留学エージェントのプランにはホストファミリーの家での滞在と、語学学校に通うことも含まれていた。初めて語学学校に行くことになったこの日、留学1ヶ月間の中で最低の1日を過ごすことになった。学校に着くまではまだ良かった。同じホストの家に滞在していたタイ人の留学生が学校まで同行してくれたからだ。彼は私よりスピーキングもリスニングも良くできていて、家から学校に行くくらいは朝飯前だった。そして何より親切で、私を学校まで案内してくれた。

学校についてからは悲惨だ。最初にペーパーテストを受けさせられたのだが、そこそこ良い点を取ってしまったために、真ん中より上のクラスに入れられてしまった。日本人によくあるスピーキングやリスニングは苦手で、筆記だけ得意というのが裏目に出た。

授業が始まったのはいいが、先生の話を全くもって理解できない。グループワークは特に最悪だった。話を振られても答えることができない。
話を理解できていないと説明しようとしても、それが伝わらない。姉妹目にほかの学生から嘲笑されて、かなりへこんだ。

そのあとすぐに先生に相談して、クラスのレベルを下げてもらった。タイ人の彼にも相談して、新しいクラスにいる彼の友達を紹介してもらった。

私に行動力があった訳ではない。それだけ危機感を覚えた。言葉も通じず、味方もいない。そんな状況では行動を起こさずにはいられないのだ。

学校から帰る時にも苦労した。友達もいないし、疲れたからとっとと帰ろうと、一人で学校を出た。最寄りのノースメルボルン駅に着いて、改札口近くの電光掲示板に目をやると、目当ての電車の路線がない。

マザーから聞いて、メモまでしていた路線が全くもって見当たらない。実は、その路線は線路の工事のため2週間ほど運休になる計画だったのだが、運悪く工事の初日が通学1日目と被ってしまった。

そんなこととはつゆ知れず、駅員に聞いても訳がわからず、ひつこく聞いていたから、相手は徐ろにイライラした態度をとっていた。マザーに電話しても、電話が繋がらず、スマートフォンの充電もギリギリになっていた。

人生で初めて、自分の身の安全を含めて、「もうどうにでもなれ」と思った。想像できないかもしれないが、海外で路頭に迷うとこんなふうになる。


2週間〜 人との出会い
2週間ほど経って、ずいぶん英会話もできるようになった。ホストファミリーとも日常会話ならできたし、タイ人の彼と日本の漫画について、会話することもできるようになった。そして色んな人と出会った。

タイ人の彼の夢も面白かった。彼は父の夢を追っていた。彼の父は海底油田を発見し、大量の石油を掘り上げることを本気で目指していたそうだ。日本でも石油ではないが、メタンハイドレードと呼ばれる海底資源が眠っている。その金銭的価値は120兆円にも上ると言われている。

同じ語学学校に来ていた日本人とも友達になった。音楽家になるためにオーストラリアにきているという日本人女性もいた。音楽家になるなら日本の方が簡単なのではないか?と聞き返したが、そうでもないらしかった。実は日本の東京交響楽団などはかなりレベルが高く、プロのオーケストラ団体の倍率は100倍を超えるそうだ。オーストリアのウィーン交響楽団のイメージが強いから、オーストラリアとオーストリアで混同しやすいのだと彼女は話していた。

みんな志のようなものを持っていた。意識高い系とかそんな薄っぺらいものじゃなく、骨太の信念を持っていた。

最後の1週間 別れ。
最後の1週間はほとんど学校をサボって、観光に使った。オージービーフを食べに行ったり、買い物をしたり。私のサボりに付き合ってくれるタイ人のクラスメイトもいた。メルボルン郊外にあるワイナリーに行きたいと話したら、快く車を出してくれた。ワイナリーも良かったが、海外のドライブは最高だった。風が澄んでいて気持ちいいし、景色が美しい。山がないからどこまでも地平が見える。ワイナリーの景色は今まで見たどんな景色より美しく、壮大だった。そしてそれを異国の友達と共有できたのだ。
もし過去に戻れるとしたら、私はこの日を選ぶ。

最後の登校日はちゃんと学校に行った。一ヶ月だったが卒業式なるものを開いてくれた。なんだかんだで嬉しかった。

最後に
海外留学自体に意味があるのか?と聞かれれば、答えはNOだと思う。私も一ヶ月間、英語圏に留学したが、何か変わったことがあるかと言えば何もない。1年くらい住んだら英会話もできるようになって、成果があるかもしれないが、一ヶ月くらいだったら英会話は身につかない。国内で工夫して、自分で学ぶ方がコスパがいいと思う。

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