八蔵

栃木県足利市にて、雑貨なども扱う喫茶店『八蔵(はちくら)』を夫婦で経営。ここでは、今ま…

八蔵

栃木県足利市にて、雑貨なども扱う喫茶店『八蔵(はちくら)』を夫婦で経営。ここでは、今までのことや考えている事、Uターンや移住の事などを、店主(夫)の視点で書いていきます。

最近の記事

八蔵が生まれるまでの流れ④

タクシーの仕事を始めてからしばらく経った頃、お店を持ちたい気持ちはあっても、なかなか動き出せていなくて悶々としている中、とある方からメッセージが。 その方はPINTという作り手あ(職人)と使い手(生活者)をつないでものづくりを行なう、新しい試みのプロダクトブランドを立ち上げ、頑張っていた中地さんでした。 中地さんとの出会いは、妻が修行していたヨウケル舎というカフェでした。 当時、ヨウケル舎は定休日があり、休みの日に気が合う方にお店を貸すという事をやられていて、その取り組

    • 八蔵が生まれるまでの流れ③

      堀口コーヒーでの修行も2年半くらい経った頃、後のチビ店主となる長男が妻のお腹に宿っていたことが分かりました。 しかし当時、いただいていた給料だと子供を養うための生活費に不安があり、開業資金を貯めるなんてもってのほかでした。 そんな中、やはり自分たちのお店を開きたい僕ら夫婦は何回も何回も話し合い、僕はまた転職をすることにしました。 転職するにも、最低手取りで月30万は欲しいところ。。この時点で僕の中では飲食はキツいなと思っていました。(よりしっかりと探せばあったかも知れな

      • 八蔵が生まれるまでの流れ②

        ①でのとあるお店というのが、コーヒー業界では知らない人はいないお店『堀口珈琲』でした。 初めて訪れた際に飲んだものを今でも覚えているのですが、当時はグアテマラ サンタカタリーナ農園のNO.5という名前で販売されていた豆でした。 その豆は、農園の中で標高などで区分けされていた中のとくに状態の良かった特級畑で育てられていたコーヒーです。 派手さはないけど、一口飲んだ時のコクと華やかな酸味の高次元なバランスのよさや透明感のある味わいは、今でも思い出せるくらい衝撃的な味でした。

        • 八蔵が生まれるまでの流れ①

          僕は、映画やモノづくりが大好きで、18歳の時に生まれ育った栃木県足利市を離れ上京し、メディア業界のスタッフを養成する専門学校に入学。 卒業後、展示会や舞台を主とした大道具会社に就職し、社会人生活がスタート。 その後23歳で今の妻と結婚。当時、妻もテレビ関係の仕事をしていました。 詳細は省きますが、5年半ほどメディア業界にお世話になった頃、一通りの仕事も覚えマンションのリフォームくらいだったら1人でできちゃうであろうスキルと、1日3時間の睡眠だけで、21時間働けていること

        八蔵が生まれるまでの流れ④