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八蔵が生まれるまでの流れ③

堀口コーヒーでの修行も2年半くらい経った頃、後のチビ店主となる長男が妻のお腹に宿っていたことが分かりました。

しかし当時、いただいていた給料だと子供を養うための生活費に不安があり、開業資金を貯めるなんてもってのほかでした。

そんな中、やはり自分たちのお店を開きたい僕ら夫婦は何回も何回も話し合い、僕はまた転職をすることにしました。

転職するにも、最低手取りで月30万は欲しいところ。。この時点で僕の中では飲食はキツいなと思っていました。(よりしっかりと探せばあったかも知れないが)

また、将来開業した際に役に立つスキルを身につけたい。そして空いた時間でコーヒーの勉強も続けたい。いろいろと考慮した結果、タクシーの運転手になる事を決めました。

その事を父(手打ち蕎麦 八蔵を40年やってます)に話した際、地元に帰ってこいと言われたのですが、その時はまだ東京を離れる気は更々なかったので、即答で帰らないと伝えたのを覚えています。

就職先も大手タクシー会社の国際自動車、通称"KM"に決めました。当時KMは、タクシー運転手のホスピタリティ向上に力を入れていて、サービスに関してはもちろんの事、お客様に対する心構えまでを厳しく指導してくださいました。

営業も、僕がやっていたのは隔日勤務という、16時に会社を出発して翌の昼前には会社に戻り退勤。そしてまた翌日の16時から営業といったスタイルでした。

給料も平均して手取りで月38万くらいは稼いでいたと思います。

東京という街は、さまざまな人が生活をしている街。また、時間帯によってタクシーを利用する人も様々でした。

仕事に行く人、泥酔する人、銀座に出勤するママさん、クラブをはしごする若者、薬をやっているであろう女性、タクシーの運転手を恫喝するチンピラ、渋谷に毎朝麻雀しに行く103歳のおばーちゃん、プライベートをこそこそ過ごす芸能人、ハロウィンの日に着替えを全て盗まれたフリーザの格好した若者、大企業の取締役で僕によく経営者とは何たるかを教えてくれたカッコいいオジさんなど、普段の生活ではお会いしないであろう沢山の人と出会いました。

そこで感じたことは、当たり前かも知れないけど、みんな違うという事。

考え方も生活リズムも環境も全てが違う

みんな違うからこそ面白い。たくさんの人と出会い、たくさんの人と話をしたり聞いたりしたいし、そもそも人が好きだ。

そんな気持ちに気づかせてくれたのがタクシーの運転手という仕事でした。

…つづく

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