見出し画像

適温管理できないわたしと、寒い季節 in 2022

もうすぐ立冬。「すこしだけイラッとするとき」が増えてきた。
理由はここ数ヶ月でとりわけクレイジーなPMSだとか、オットとの意見の食い違いだとか、溜まっている連絡だとか。

身体が本調子でなくなって、コミュニケーションが上手いこと運ばなくなって……そのうち、心身のブランク・スペースが枯渇し、予想外のものを受け入れるような寛容な自分が足りなくなる。

PMSなんて誰も悪くない。オットとの意見の齟齬だって、まったく性格の違う個人がひとつ屋根の下に暮らしてるだけで奇跡みたいなものだ。

そう頭じゃ分かっているのに、今日も性懲りもなく、煽りたてるようなビジネス本の広告にイラッとしたり、普段は乗らないような満員電車でうすい酸素にイラッとしたりする。

どうやらわたしのいらだちは、自分の心の地底のマグマと連動しているみたいで、「イラッ」とするたびにマグマが「ボコッ」と音を立てて泡だつような気になる。

心が深いところが、地鳴りの赤ちゃんみたいな動きをしつつ「いずれ大噴火するかもよ?」なんてほのめかしてくる。落ち着かない。

わたしの安心安全な精神世界は、噴火リスクの少ない心でこそ担保されるものだし、そんな精神世界の主である自分のやることは「噴火リスクを引き続き抑えること」だと思っている。

一方で、行動を抑制に振り切っても良いことばかりではない。
マグマの「ボコッ」を抑え込もうとするあまり、心が冷え込んでしまうのだ。過ぎたるは及ばざるが如し、とはよく言ったものだと思う。

熱すぎず、冷たすぎず。心もお風呂のごとく、適温管理が大切なのだ。そしてきっと、もっとも「ちょうどいい温度」のキープが難しい季節の一つが、この晩秋から立春にかけてなんじゃないだろうか。

・・・・・

日照時間が短くなり、急に冷え込む。落葉し、花も枯れ、周りの景色の彩度がぐっと落ちる。
この季節は何もしなくたって、勝手にマグマの温度が下がり、心が柔らかさを手放していっているような気持ちになる。

なのに相変わらずイラッとするし、マグマもボコッと鳴る。これじゃあ自分の心が熱いんだか冷たいんだかわからない。

途方に暮れつつ、わからないなりに「適温管理」についてここまで書いてきた末に、ひとつの仮説にたどり着いた。
なんというか、とてつもなくHIGHな自分とLOWな自分を行ったり来たりするのは、表層の部分だけなのかもしれない。

わたしが手先が冷えたとか自律神経がとか日光を浴びなければとかアワアワしている間にも、春や初夏の過ごしやすい気候のなかノホホンとしている間にも、足元はしっかりと熱を帯びているのだ。あるのは、ただ「ボコッ」とするか否かの違いだけで。

どうしても表面温度というのは、サーモグラフィにしっかり映る、あまりにも分かりやすすぎるもので、だからこそそこが上がったり下がったりするだけで、狼狽えたり怯えたりもする。

けれど人間は、サーモグラフィでも検知できないくらい深い部分に、誰しもマグマをたたえている。
そこだけはずっとおなじ熱さなのだと思うと、もう少し「ボコッ」とか「イラッ」みたいなものを、自分の感じたいように感じられるのかもしれない。
はたまた、表面温度がぐっと下がっても、マグマがあるから生き延びられると思えたりするかもしれない。

わたしのなかのマグマ。生きとし生けるものだからこそ、今も煮立っているマグマ。
どうかそのまま熱を発してくれ、と思いながら、たっぷりの生姜を買う。今日の晩御飯には、引くほどの量の生姜を入れてスープを作ろうと思う。

読んでくださりありがとうございます!いただいたサポートは、わたしの心や言葉を形作るものたちのために、ありがたく使わせていただきます。 スキを押すと、イチオシの喫茶店情報が出てくるかも。