見出し画像

かなしみを中和するものはない。だから涙が枯れるまで泣け

今日の昼過ぎのことだった。私は家でリモートワークをしていた。

オットは出社していて、テーブルには自分一人。ちょうど眠くなってくる時間帯なので、クライアントから来たメールに返信をする。定型文は全てパソコンに登録してあるので、「お」と打つだけで「お世話になっております、●●社の佐々木と申します、ご連絡いただきありがとうございます。」まで出るようになっている。なんてスマート。

この日も私は「お」を打った。最初の3行の挨拶文が、パッと表示される。よしよし。本文を書き進めるとしよう。

突然、キーボードを打つ手が、動きを止める。あれ、私、何を書こうとしていたんだっけ。
「お世話になっております、●●社の佐々木と申します、ご連絡いただきありがとうございます。」その続きは?次に向かうべき場所を見失ったまま、指が宙に浮いている。

どのキーを打てば、言いたいことが出てくる?なんのメールを返そうとしていたんだっけ?そもそも、今言いたいことは、提携文のなかに登録されていないかもしれない。だったらイチから文章をつくらなきゃ。

そうやってぐるぐると考えているうちに、大きくて重量のある感情が、心に覆いかぶさる。頭と心の回転スピードが、どんどん落ちてくる。重い。重い。
ああ、この感情の正体を知っている。鈍色のさみしさだ。こうなってくると、もう仕事は手につかない。
私は諦めて社用のパソコンを閉じ、代わりにプライベートで使っているMacbookを開いた。開きっぱなしになっていたブラウザにアクセスし、noteを立ち上げる。

祖父が亡くなって2週間。そして、結婚式は2日後に迫っている。

・・・・・

私のことが大好きな、祖父だった。孫娘が話をするたびに、彼はゆっくり耳を傾けて「ゆりちゃんは本当にいい子だね」と言ってくれたものだった。祖父の心からの言葉がまた、私の心の礎になってくれたのだ。

そして私も同様に、祖父のことが好きでたまらなかった。知的好奇心旺盛で、お茶目で、偉ぶることのない、自慢の祖父。
彼とのエピソードを書くことは、なんだか彼との思い出が薄まってしまいそうな気がするのでここでは話さない。けれど「聞いてください、うちの祖父はこんなに最高なんですよ」と、大声で触れて回りたかったくらい、良い記憶しかないのだ。

彼は今、茨城の実家でお骨になって眠っている。結婚式のためにお直しをしたという燕尾服は、試着されたっきりで、ハンガーにぶら下がったままだ。

みんな多かれ少なかれさみしいはずなのに、お祖父ちゃんっ子だった、そして結婚式を間近に控えた私のことを、揃って気遣ってくれた。有り難さ半分、申し訳無さ半分。
もともと祖父が座るはずだった席には、美味しい朝ごはんを食べて満面の笑みの祖父(普段はそんなに破顔しない人だった)の写真、そして彼が袖を通すはずだった燕尾服が置かれることになった。

「とてもうれしい」と「とてもかなしい」は、合わせたところで中和されない。砂糖を入れすぎた料理に、慌てて塩を足した結果が、自明なように。

大好きな人との結婚式場に置かれた、祖父の写真。それを想像するだけで、ぼろぼろっと涙が溢れる。大切な人と一緒になれる喜びや、みんなに祝われながら式を挙げられる幸せが、悲しみを中和してくれる予感は、今のところない。

居てほしいひとがいないということは、こんなにも心に堪えるものなのか。誰と交わることで生まれる喜びは、喪失の悲しみに暮れる自分を、インスタントに救っちゃくれないんだなあ。

けれど私は元の予定どおり、祖父の席を式場にこさえる予定だ。

彼が本来座るはずだった場所、そこを視界に入れた瞬間、きっとお化粧なんか全部落ちてしまうんだと思う。けれどその涙すら、私から祖父への餞(はなむけ)の一つの形だと思うから、泣くことは我慢しないと決めた。

手元には、祖父が私に手ずから渡すはずだった、ご祝儀袋がある。「これが私にできることだから」と、母が制止するほどの気持ちを包んでくれようとしたらしい。

私はまたぼろっと涙を溢しながら、きらびやかな水引で彩られた袋に、触れた。

読んでくださりありがとうございます!いただいたサポートは、わたしの心や言葉を形作るものたちのために、ありがたく使わせていただきます。 スキを押すと、イチオシの喫茶店情報が出てくるかも。