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女三人、インディペンデントに生きるのだ

私は、三姉妹の長女だ。下には、2つ下と5つ下の妹たち。

こうした家族構成について話すと「三姉妹だと賑やかなのか?」と尋ねられることがある。女三人寄れば姦しい、ということわざがあるので、そうした質問をするのだろう。

しかし、私たち姉妹につけて言えば、答えはNOである。

まずもって私が、妹二人を足しても余りあるほどほど、まあべらべらとよく喋る。三姉妹の話す割合は「私︰真ん中︰末妹=4︰1︰2」くらいだ。

真ん中の妹は、喋ることがそんなに得意でなく、人の話を聞いて沈思黙考するほうが心地よいらしい。なので、彼女自身はほとんど話さない。

一番下は、冷静沈着。二人の姉の話を聞きつつ、淡々と喋る。真ん中よりも主張はするが、長女みたいにあれこれ口に出したりはしない。

おなじ性別の、しかも血の繋がった人間が三人。なのにコミュニケーションの方法ひとつとっても、脱力するほど似ていない。違いを探す方が、共通点を見つけるよりもはるかに容易だ。

三人の数少ない共通点を挙げるなら、両親譲りの頑固さだろう。そしてこの融通の効かなさが、三姉妹それぞれの癖の強さを一層際立たせる。自分のスタイルを他者に明け渡さないので、コミュニケーションの場においても、誰か一人が主導権を握ることがないのだ。

結果、長女がよく喋るけれど次女がいたって静かで、三女はまっとうな意見だけを述べる図が出来上がる。姦しさからは程遠い。けれどそれは、各々が積極的にみずからのスタイルを選び取ったうえでの着地点だ。

女たちが三人で束になっていると、いろんな人がいろんなことを聞いてくる。結婚はまだか?子供はどうするのか?仕事はいつまで続けるのか?エトセトラ、エトセトラ。

ひとつひとつの問いに、三者三様の答えがある。私と真ん中は、パートナーシップが自分とパートナー、両方の身を救うと考えているけれど、末の妹は今一つピンときていない。それでいいと思う。それが本来のありようだと思う。

かつて、末妹が「はやく結婚してほしい」と祖父母からやんわり要求されたことがあった。そのときは既婚の姉二人、力ずくで話題を逸らそうとした記憶がある。結婚するもしないも、おのおので考え、意思決定することだ。

見た目も中身も似ていない三姉妹。暮らしのベン図がほとんどかぶらない女たち。だって私たちインディペンデントだもの、それで良いわよね、と互いのことを見やりながら、今日も三人は別々の道を進む。

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