見出し画像

いい子な私の2022

今日は、2022年12月31日。年末の振り返りを公開している人を多く見かける。1年前の自分だったら、そういうことをやってもいいかな、と思っていたかもしれないが、今年はあまり気が乗らない。

一応、しばらく前に何かの特典でもらった「年末振り返りシート」を、クリスマス前後から数日かけて埋めたりもしてみた。Excelの指定のセルを記入して、1月から12月までを各月ごとに振り返るものだ。
これはなかなか優れもので、1年間の出来事だけでなく、そのときのわたしってどんなこと感じてたんだっけ、とかも整理することができる。

けれど、今の自分はその「整理するということ」に対してひどく腰が重くなっている。整えることで、ごっそりと削げ落ちてしまう部分がある気がしてならないのだ。

今年は(今年も)棚から超特大のぼた餅が落ちてくるような幸福もあったし、泣きっ面にクマンバチの大群襲来、みたいな悲劇もあった。あったのだけれど、何というか、それらを勢いだけで言葉にして、不特定多数の人に見られる場所にドカンと置くことは、自らの手で自分の大事な部分を掠め取って、どこかに捨て置いてしまうことと同義なんじゃないか。そんな極端な考えが消えてくれない。

無論私は、他の人が書いた振り返りについては毎年楽しく読んでいる。そんな立場で「自分のことを書きたくない」だなんて、なんておこがましいのだろうとも感じたりするのだけれど「これは自分の人生にかんする領域の話なのだから、何も気に病むことはない」と心の底から思っている。「意志をもって沈黙を守ること」をここまで肯定的に捉えられるようになったことは、今年の大きな収穫なのかもしれない。

一方で「締めのnoteとしてはいささか抽象的すぎることを書いているな」とも自覚している。そして、それで良いのだとも思う。

・・・・・

一年の終わり、つまり今日、祖父と叔母の墓参りに行ってきた。
叔母は私が物心つくかつかないかのうちに、26歳でこの世を去った。私は今年27歳になり、叔母の年齢を追い抜いたことになる。
そしてそんな彼女を育てた祖父は、今年の秋、もっと言うと私の結婚式の3週間前に、鬼籍に入った。

叔母に加えて祖父までもが、実家に帰っても会えない存在になったということは、じいじっ子だった私のなかでまだ納得のできる事実になっていない。一ヶ月に一度実家に戻り、ダイニングルームで祖父の定位置が空席になっているのを見遣るたびに、トンカチで頭をぐわああんと殴られたような気持ちになる。

今年のお正月は喪中でお正月らしいことは何もしないけれど、実家に帰る予定だ。そして、やたらとスッキリしてしまった一人掛けソファーを見て、また、ぐわああん、となるのだろうな、と思っている。

だから、頭を殴られる前の練習として、お墓参りをしてきた。正月飾りばかりが並ぶお花屋さんで、ひっそりと、それでも雅に咲いていた仏花を買って、家から1時間くらいの墓地に向かった。
墓前に立ったらやっぱり特大のぐわああああん、があったけれど、大人みたいな顔をして墓石をきれいにし、線香をあげて、仏花を供えた。花瓶に対して茎がいささか長すぎて、そこで初めてお墓参りには花鋏が必須なのだということを知った。

年末を迎えるのにふさわしいような風貌になったお墓を、パチリ、とスマホで撮って、祖母にLINEで送る。
すぐに既読がついて「ありがたいことです涙が溢れてなりませんゆりちゃんはいい子だなあ嬉しい嬉しいほんとにいい子。」と返ってきた。改行を知らない祖母のLINEは、こんなふうにしてずっと真っ直ぐに続く。だから私は彼女に改行を教える気にはなれない。

祖父母が揃っていい子いい子と褒める私は、相変わらず出来ることより出来ないことの方が多く、きっと人を助けるよりも助けられることの方が多い人間だ。
けれど、自分と感知しうる範囲の他者、その心の機微にアンテナを伸ばそうとする私のことを「いい子」だと言ってくれるのならば、私は喜んで、死ぬまでいい子でいようと決めた。

・・・・・

最後になりますが、皆様、本年も大変お世話になりました。
実益に結びつかないことや、綺羅綺羅しくないことを好んで働き、暮らした一年でした。そんなわかりにくい生き様の人間であるにもかかわらず、コーチングやプライベートの場所で、私とともにあることを選んでいただけたことが、本当に嬉しかったです。

来年も、互いの人生がより嬉しい驚きと喜びに満ちたものとなりますように。どうか良いお年をお過ごしください。

読んでくださりありがとうございます!いただいたサポートは、わたしの心や言葉を形作るものたちのために、ありがたく使わせていただきます。 スキを押すと、イチオシの喫茶店情報が出てくるかも。