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リズと青い鳥と、「京都」という箱庭

「学生時代を京都で過ごすと、一生京都に囚われることになる」
今でも耳から離れないこの言葉を発したのは大学の先輩だっただろうか。
当時はよく分からなかったが、東京に出てきた今となってはその意味を痛感している。

昨日、公開中のアニメーション映画、「リズと青い鳥」を見た。
京都アニメーションのヒット作「響け!ユーフォニアム」のスピンオフ作品だ。
実は原作を見たことは無かったのだが、この作品があまりにも繊細な表現に溢れているとの推薦を受けたので、気がついたらチケットを予約し、足を運んでいた。
渋谷のHUMAXはレイトショーともなると人もまばらで、「君の名は。」を見た一昨年の夏の喧騒が嘘のようだった。

以下、しっかりネタバレあります。

さて、本編は前評判通りの、繊細さに満ち溢れた素敵な作品だった。
当初はみぞれに感情移入していたが、中盤から後半にかけては希美が才能が無いことを痛感する場面が描かれるごとに頭を抱えていた。しかし、1つ1つの表現が何かしらの暗喩になっていて、スクリーンから目が離せなかった。その表現の意味を感じるたびに鳥肌が立ち、思わず声を上げそうになる。痛いくらいリアルだった。

記憶に残った描写はやはり、みぞれが髪を触る場面。何か、まっすぐになれないんだなぁ、と、言葉にできなくとも感じられた。また、最後の「私、オーボエ続ける」の一言は、心に沁みこむような幸せを与えてくれた。と、同時にそれを聞く希美の気持ちを考えて、唇を噛みしめた。
そして、音楽。冒頭のタイトルロゴが出るまでの登校シーンは、足音のリズムとピアノの音色が絡まり、ただ、言葉にならない愛しさに溢れていた。第3楽章、みぞれの演奏を聴きながら震えるフルートの音、音で感情が嫌というほど伝わってくる。圧巻だった。

エンドロール、2曲目にHomecomingsの「songbirds」が流れ出した時、僕は冒頭の言葉を思い出していた。

僕は京都に囚われた人間だ。

なぜなら大学は京都にあったが、実家は大阪。毎日片道90分弱の通学をしていた。終電は気にしないといけないし、自転車を好きに止めておくこともできない。北白川に住んでいたらどんなに自由に生きられたか、今でもふと考える。

Homecomingsはそんな学生をしていた頃、少しずつ名を挙げていったバンドだ。大学の先輩の中には懇意にしていらっしゃった方もいて、それがきっかけで聴くようになった。どこか懐かしいフレーズに、耳障りの良いサウンド。とても心が安らぐ。

昨年ふと京都に訪れた際に、大学の周りを散策していて、冒頭の言葉の意味を思い知った。知り合いがいない。よく行った飯屋がない。図書館には入れないし、サークルの部室にも、勝手に入るわけにはいかない。
京都とは、都市ではなく、人、場所、全てを含めた意味だった。1つ1つの想い出に、人と、場所と、えもいえぬ幸せがあった。
深夜の吉田寮食堂で見たライブ。
鴨川デルタで食べた新歓のドーナツ(食べ過ぎて以後半年はドーナツを見たくなくなった)。
新京極の商店街で拗ねた女の子に困ったこと。先輩の家でビールをチェイサーにして飲んだ電気ブラン。

そんな想い出を忙しい東京でふと思い出すと、とてつもなく愛しい気持ちになるのだ。もし京都に住んでいたら、こんなことがもっとたくさんあったのかもしれない、と思って、悔しくなるくらい。住んでいなかったから尚更、心が京都に囚われたままなのだろう。

映画の中の絵本では、リズは青い鳥を箱庭から飛び立たせた。
そして希美はみぞれを、自分という箱庭から飛び立たせた。

僕は、京都という箱庭からまだ完全には飛び立てていない、青い鳥なのかもしれない。



写真は卒業間近、ある晴れた日の時計台だ。この写真だけで、僕には数え切れないほどの想い出が蘇ってくる。これからも囚われ続けるんだろうなぁと思うけれど、それも悪くないのかもしれない。

皆様のサポートは、次回作品の制作費に充てさせていただきます。