どうしてネットでは匿名が好まれるのか、という話し

 インターネットがアングラな雰囲気をもっていた時代から、多くの人が関心を寄せる社会インフラ的に扱われる時代になりました。その過程で、「ネットの悪い面」にも目が向けられ、時にはその主因に「匿名性」が挙げられることがあります。

 この記事では、「なぜネットユーザーは匿名を好むのか」を書きたいと思っています。以下、一応ネット実名化の是非について書きますが、本題は後半です。

 ネットを強制的に実名化すれば、誹謗中傷や犯罪行為の予防につながるのかどうか。私は「予防にはなるかもしれないが、過剰な対応だ」と考えています。

1.実名にすれば治安良くなる説
 ・ユーザーに、「正体がバレている」という心理的な抑制がかかる
 ・実名にすることで警察の捜査が容易になる

2.実名かどうかは関係ない説
 ・実名で生活している実社会でも、ネットと同じような問題は昔からある
 ・「匿名」といっても、法に触れる場合には特定可能だし、されている
 ・実名がわかっていたとしても、本人を確保するには、匿名の場合と同じ
  く情報開示請求をして住所等を割り出すことになる

 上記は、私がちょっと考えてみた論点です。

 実名にすれば個人の特定ができるかというと、それだけでは難しいでしょう。実社会の犯罪なら、「現場」にアクセスできる人、かつ「被害者との人間関係」がある人という条件があります。そこへきて、「実名」があれば合せ技によって容疑者が絞り込めるわけです。

 一方、ネットでは「現場」に誰でもアクセスできますし、誹謗中傷問題などでは「人間関係」も無いのが当たり前です。そこに名前だけ出てきても、結局どこの誰か調べるには情報開示請求するのが一番はやいというのがオチではないかと思います(よっぽど特徴的で「同姓同名などありえない」という名前なら、近しい人のタレこみを期待できるかもしれませんが)。

 また、刑事事件に発展したとしても「名前で捜査=指名手配」するには逮捕状が必要です。しかし、その氏名の人を半ば犯罪者と断定して全国民に公開するには、絶対に偽名ではないという前提が必要でしょう。もし偽名が使われていて、その名前で指名手配などしてしまったら、とんでもない濡れ衣を被せることになります。そしておそらく、「偽名のあり得ないネット環境」を実現するなら、運転免許のように「インターネット免許」を作って常に住所や顔、戸籍と紐付けねばならないでしょうが、これが健全とは到底思えません。

 というわけで、「個人の特定に役立つから」という論理は、弱いような気がします。むしろ重要なのは、治安良くなる説の1つ目に挙げた、心理的な影響だと思います。

 心理的な影響力は小さくないと思われます。もしネットが実名オンリーなら私はこの文章を書いていません。なぜなら、この文章の内容が知られることで、私のことを知っている人との関係性に影響が出るのが嫌だからです。

 もちろん、意図的に誤ったことを書いているとは思っていませんし、一般的に言えば、それほど無価値な内容とも思っていません。それでも、考え方の異なる人は必ずいます。そして、考え方の当否を棚上げにしても、意見が届くこと自体によって、身近な人との関係性を悪化あるいは変化させうるというのは現実的なリスクです。

 通常はリアルで(身分を明らかにして)会話する人に自分の意見を伝えるときには、その人の性格や自分との関係性を考慮します。その点、ネット上で届いた場合には知らず知らずのうちに人間関係が変化するかもしれない、という不安が伴います。

 こんな状況で、誰かを批判したり、ましてや誹謗中傷したりするのは、人生がどうでも良くなったときくらいでしょう。ですからネットの治安は良くなるかもしれません。

 さて、ここまでを踏まえて、この記事の本題「どうしてネットでは匿名が好まれるのか」を書いていきます(もうほとんど書いてしまった気もしますが…)。

 私なりの回答を言ってしまうと、「自分のいる「場」の切り分けの方法が匿名化だから」です。

 現実世界において、人は家庭、学校、会社などなど、多様な場でコミュニケーションをとっています。そして、それらの場での発言は基本的に、その場限りのものとして処理されます。つまり、学校で友達と話した悪ふざけの言葉が親に筒抜けになることはなく、家で親戚と話した会社の愚痴が会社の同僚に聞こえることはなく、アニメ好きの友達と話したオタク談義がオタク趣味を敬遠しているクラスメイトに把握されることはない、と言った具合です。

 これができるのは、現実世界においては物理的な障壁=空間によって、それぞれの会話をするグループが切り分けられているからです。ところが、ネット世界で実名を使うとなれば、その切り分けが崩壊します。

 ネットで実名を使った場合、「その人を個人的に知っていれば」簡単に発見されてしまいます。すなわち、先程あげたような「場」が全部つながってしまったも同然です。
(一応付言すると、先程の「実名化しても個人を特定する効果は小さい」という主張は、発言者が赤の他人で、名前を聞いただけでピンとくるような状態ではないという前提です。)

 ネット世界では、物理的な切り分けというのはありません。どこかのSNSなりブログなりに書かれたものは、検索するだけであっという間にたどり着けます。これはとても良いことですが、先に述べたような場の切り分けができません。

 そこで、匿名化が用いられます。現実の名前を隠すのはもちろん、ネット世界でもツイッターだったりyoutubeだったり、facebookだったりでアカウントを分けるのは普通のことです。これによって、それぞれの場ごとにフラットな人として参加できるのです(仮面舞踏会みたいですね)。

 以上をまとめますと、ネットを使う人が匿名性を好むのは、コミュニケーションを、現実世界のように場を切り替えて楽しみたいからといえるのではないでしょうか。

以下、上記の結論に基づいていくつか考えを述べます。

 ネット実名化を謳う人の中には、「初めから誰に聞かれても恥ずかしくない公明正大なことを発信すれば良い」という人もいます。しかし、我が身を振り返れば、リアル世界では物理的な空間の切り分けを使って、それぞれの場だから話せることを発言しているはずです。私にしてみれば、誰に聞かれても恥ずかしくない話しかできない場など、コミュニケーションの場として非常に特異な場です(政治家の演説やテレビ放送のような)。

 最近は、実名で登録したアカウントを持つ人も増えてきましたが、そうした実名アカウントの発信は「キラキラ」していることが多いと感じています(ネットに不慣れなだけだったり、ある種振り切った人もいますが)。
 それに対して、匿名アカウントの発信はダーティな面も現れます。ですが、それは(空間的な場の切り分けができる)現実世界の会話の単なる延長でしかなく、匿名でネットを使うから悪しき文化が生まれるのだ、というのは無理筋だと思っています。

 本来、摘発されるべき「悪しき発言」というのは、酷い誹謗中傷や犯罪予告といった内容です。その対策としてのネット実名化は、「居酒屋で上司の愚痴をいうのも許さない」ような、まさに牛刀をもって鶏を割くがごとき方法です。

 ネット上で誹謗中傷などをする人は、割合にすればほんの僅かだと考えています。100万人のうちの1%だけが誰かを攻撃していても、それは1万人の声として「炎上」してしまいます。なんならROMっているだけの人は、発言する人より遥かにたくさんいるはずです。

 こうした、現実世界と同程度には「平和」な人たちのコミュニケーションの場を、実質的に破壊してしまうというのはやはり過剰ではないかと、私は思います。

 とはいえ、ネット上で誹謗中傷を行うような人というのは、罰せられてしかるべきです。ですから、適切かつ迅速な情報開示を目指したり、悪質な発信者をBANしたりするのは大切です。また、誹謗中傷を受けている側のケアをすることも同程度に重要と考えます。現状有効な方策は、こうした地道な取り組みしかないのではないかな、と私は思います。


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