精神安定剤を飲みながら 16

俺は何度も地図を見比べてから、実際に確かめなければならないと思った。一泊させてもらった老人に急いで挨拶をしてから、俺はその地図を頼りにもう一度街の中心地に戻った。
地図の見方さえ分かれば、街というのは案外簡単に出来ているものだって気付く。そう、街は道と道以外の何かで出来ている。大切なのは、今自分がどの道に居て、そして何処へ向かおうとしているか、ということなんだ。
それが分かっていれば、この街に見える様々な物や人物も、はっきりと自分とは別の、関係のない物だって掴めるようになる。地図の街では、道を踏み外さなければ、他人の場所に入ることはないんだからな。
昨日の他人の視線もあまり気にならなくなった。というか、気にしている余裕が無かった。そう考えれば、その地図の街にいる人たちそれぞれが、自分のするべきことのために、そこへただ顔を向けているだけなんだ。建物が透明だったから、部外者の何をしたら良いか分からなかった俺は、気になってしまっていたんだろう。
それが分かってからは、俺も自分のするべきことをするために、他人の顔や視線を気にせずただただ歩き続けた。いま、俺のするべきことは、あの駅がどうなっているのかを確かめる事だった。
そうしていくつもの交差している道や、左右に曲がる道、机やら機械やら、野菜やら服やらの物の波を歩いているうちに、昨日俺が降りてきた駅にたどり着いた。
駅舎は確かにある感じだった。それは、昨日見た、鉄道会社の制服を着た人たちが沢山働いていて、それぞれが何かの作業をしているので、まだ駅舎は残っていて、駅のホームもあるらしかった。
ああ、そういえば、駅が無くなっていると言っていたが、具体的に説明をするのを忘れていたな。昨日貰った一週間前の地図だと、確かに駅の形をしたような広い図形が街の中心にあったんだ。人それぞれ駅のイメージは違うかもしれないが、大抵は細長い図形で出来ているかもしれない。
なぜなら、そこには何両もの連なった電車を停車させなければならないからで、必然的に長さが必要になる。もし、その街が大きな街で各地方や場所へと行き先が繋がっているのであれば、その路線用のホームがあって横に広がって、楕円形に膨らんでいくのかもしれないが、ホームというもの自体の形は細長いから、駅がどれぐらいの大きさであってもおそらく駅と分かるんじゃないだろうか。
そして、大切なのは駅の図形から道とは違う線が伸びていて、それが地図の端っこへと進んでいることだ。それが、おそらく鉄道会社の所有している路線を表したものだろうと考えられた。
しかし、今や今日の地図ではその路線を切るようにして、その二本の平行線がいたるところ引かれていたんだ。そしてそれは駅舎が透明だからこそ、はっきりと分かった。
あの線路の上から真っ白い色とそしてその二本の黒い平行線が、いくつもいくつも引かれていた。

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