精神安定剤を飲みながら 23

俺は地図の街の端で寝っ転がっていた。どうやってどういう体勢になってしまったのか、俺の下半身は地図の街の外、上半身は地図の街の中にあった。夕暮れからさらに日は沈んで、夜の静けさと季節の変わり目特有の肌寒さが俺の顔を撫でていく。もうすっかり夜になってしまった地図の街の天上には、針の孔で開けたような無数の星空が輝いていた。
本当だったら、それも感動してしまう場面なのかもしれないが、俺の体を分けているのは夜を映し出している何かであり、俺の下半身はその何かを越えて世界の外側に出ているのだった。その何かがそのままこの天井に繋がっているのであれば、あの星空も結局は映し出している何かでしかないのだ。
こんな状況では、この世がすべて作り物でしかないのではないか、という事もふと考えてしまう。そうだろう。こうして俺たちが当たり前だと思っていたものが、実はそうではないかもしれないという、世界の隙がいま俺の体に残っているんだからな。
まあ、そういう世界の隙というのは、こうして普通に生活している俺やあんたには気が付かないだけで、実際にはあるのかもしれないな。……別に陰謀論を唱えているわけじゃないぜ、つまり、なんというか、この街にはこの街の仕組みがあって、そしてそれ以外の街にもまた別の仕組みがあるということなんだ。
数年前までは海外に行くのが当たり前になっていただろう。そういう事をして新しい文化や歴史や生き方を知るみたいなことをしていた人たちもいた。別に道楽じゃなく、仕事としてでもなく、ただ運命としていく人もいるだろう。人生は何が起きるか分からないからな。
別に海外に行くことが素晴らしいってことも言いたいわけじゃない。昔の人たちだって隣の街に行くことや、山を越えてより遠い街に行くことが一つの経験として、海外に行くのと同じように考えられていたんだ。そうして、その場所で何を体験して、何を知るかというのが、一つの修行としてあったらしい。
つまり、自分の生きている仕組みとは違う仕組みや成り立ちを知るということが、おそらく自分を作る上で大切なことなんだろうってことなんだ。
……また説教みたいになってしまったな。本筋からそれてばっかりだ。横に寝そべってしばらく夜空を見ていたって話だったな。寝そべっているうちに何となく、このまま地図の街の外に出たら、どんな風に見えるんだろうって好奇心みたいなものが湧いてきた。
丁度俺の下半身は地図の街の外にあるんだから、そのまま体を外に下げていけば俺の目の中にその端っこの部分が見えるようになるんじゃないか。それって気になることの一つだよな。
今考えれば、あの地図の街の端の風景映像かなんかは、投射か映写でやっているものなのかもしれないんだから、もしかしたら光を使っているかもしれない。下手をすると失明するんじゃないかって、今更ながら無茶をしているなとも思ったが、好奇心には勝てなかった。俺はゆっくり背中と足を動かしながらゆっくり地図の街の端へと進んでいった。
あんたには何が見えたと思う。そう大したものは見えなかったよ、地面から映像が出ているのかと思ったが、仰向けでもちゃんと目の前には上半分が地図の街の内側、そして下半分が真っ白な未完成の世界が見えていた。
あの感覚はプールの中で水面から半分だけ顔を出している状態に近いんだな。プールで言えば目の下半分が水面の世界でで、そして上半分が日常の世界のようなものだった。
未だにあの地図の街の端っこの原理は分からないが、眠るにはちょうどいい暗さだった。そして未完成の世界はまだ温度を決めていないらしい。布団に包まれているような感覚になった俺は、いつの間にかそこで眠っていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?