精神安定剤を飲みながら 18

俺は昨日地図を貰った駅員にもう一度話を聞きたいと思った。その会社の制服を着た集団の中から、昨日の駅員を探した。駅員は簡単に見つけることができた。なぜなら、昨日と変わらず改札らしき場所に長机が置かれていて、そこに昨日と変わらずあの駅員が座っていたからだ。
俺はその駅員を見つけるとすぐに駆け寄って話しかけた。駅員は俺に気付くと申し訳なさそうに言った。「申し訳ありませんが、この駅はしばらく使う事が出来ません」
俺はその答えには納得できず「急に駅が使えなくなるなんて聞いたことがない」と言ったが、駅員は「非常に申し訳ありません」を繰り返すばかりで全く話が進まなかった。
「ではどうやって帰ればいいんだ!」と俺が怒っても、改札の駅員は「また路線が開通しましたら、ぜひお帰りのご利用をお願い申し上げます」とにべもなく答えた。
なんてこの街は非常識なんだと、その時は駅員に腹を立てていたが、今ならそいう駅員の対応も分かるような気がする。そもそも路線がああやって寸断されてしまうことは、鉄道会社側にとっては何の得にもなりはしない。むしろ駅としての機能や利用が止まってしまうと、そこでやるべき仕事も減ってしまう。
仕事が減るなら歓迎されるのが普通なのかもしれないが、昨日まで行えていた仕事が何の理由もなくできなくなってしまうというのは、彼らにとっては理不尽極まりない話だろう。そしてそれは会社の都合というよりも、もっと大きな存在からの都合なのだ。
改札に居た駅員は、おそらくその地図の街の理不尽さに慣れているのだろう。改札の駅員だけではなく、駅で働いている人々。そして、その地図の街に居る人々全員がそのような理不尽さを何度も経験しているのだ。
だから、本来の我々が生きている街であれば起きるような大きな混乱も起きず、地図の街の人々は昨日と同じように生活が出来ているのだろう。
つまり、その地図の街で混乱しているのは、別の街から来た私の方という事になる。
それは今になって気付くことであり、その時の私はその駅員の理不尽な対応にさらに腹をたて「もういい!」と駅だった場所から出て行った。
出て行ってしばらく歩いては見たが、その内に怒りもだんだんと消えていく。怒りが消えていくにつれて、今度は次第にこれからの事についての不安が大きくなって言った。
俺はいったいどうやってこの街から出ればいいのだろうか。もしかしたら、しばらくはこの街から出ることはできないのではないだろうか。鉄道会社が何とかして線路を塞いでいる道を何とかして線路にするとしても、果たしてそれが出来るのは明日なのか、それとも一ヶ月後か、一年後か、十年後かも分からないのだ。
膨れ上がる不安と共に次第に私の足の歩みは遅くなり、ついに止まってしまった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?