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#4 中勘助の「ふり売り」 多田武彦のソロは歌えるか?

帰宅してからNHKの連ドラ「らんまん」の録画を見るのが最近の楽しみだ。

「あさりー、しじみー」

9月8日放送の冒頭では、朝の渋谷を観察する寿恵子の脇をふり売りが通り過ぎる。すかさず寿恵子は手製の帳面に鉛筆で「道玄坂、棒手振ぼてふりアリ」と書きつける。その場面が、私を数十年前の学生時代に引き戻した。

「ふり売り」に旋律はあるか

多田武彦の「男声合唱組曲集」に収録された組曲「中勘助の詩から」に「ふり売り」という曲がある。「ふり売り」にはソロがある。

「さばーよしかねー、かんたいやすいよー」

この曲のソロはセリフの扱いで、音符はない。そのためリズム音痴の私でも大丈夫と思われてか、私にソロがまわってきた。賤の女しずのおんな(*1)のふり売りの、か弱さと芯の強さとうら悲しさが込められた、合唱の曲につながる高音の旋律に乗せて歌ってみたのである。

事前に聞いていた、ある名門合唱団の演奏は、旋律のない低音の節回しによるソロだった。その「お手本」のイメージとは違う「独自の解釈」の評判は、一部では芳しいとはいえなかった。当時は、さまざまな演奏を聴き比べる機会もなく、ほかの合唱団の解釈はどのようなものかとずっと思っていた。

そして最近、YouTubeならいろいろな演奏を聴けるかもしれないことに気が付いた。さっそく「多田武彦 ふり売り」で検索すると、演奏の動画がずらりと表示された。セリフに音程を感じるソロはあるが、旋律になっているまでのものは見つけなかった。

会津混声合唱団 天秤棒を振る「振り」付きのソロ

話を「らんまん」に戻そう。

「ふり売り」は「棒手振」か

寿恵子は、「ふり売り」のことを「棒手振ぼてふり」と帳面に書き付けていた。「棒手振」という言葉になじみがなかったので、また辞書を引く。大辞泉には「魚・青物などを、てんびん棒でかついで売り歩くこと。また、その人。棒商い。振り売り。」とある。

私は、「天秤棒」を振りながら売り歩くから「ふり売り」と呼ぶと思い込んでいた。辞書の説明も、そのとおりだと確認した。Wikipediaの「振売」の説明も、「ざる、木桶、木箱、カゴを前後に取り付けた天秤棒を振り担いで商品またはサービスを売り歩く様からこう呼ばれる。」としている。

「守貞漫稿」より

ところが、やはり私は誤解していたのである。

辞書で「ふりうり」を引いて気づかされた。

大辞林 「持ち歩いている商品の名を大声で呼びながら売り歩くこと。…触れ売り。」
デジタル大辞泉 「商品を担いで、物の名を唱えながら売り歩くこと。…ふれうり。」
日本国語大辞典 「物を手に提げたり、担ったりして、その物の名をふれながら売り歩くこと。また、その人。…触売(ふれうり)。」
世界大百科事典 「…呼売して行商すること,またはその商人をいう。」

ふり売りの「ふり」は、天秤棒を「振る」からではなく、商品の名を「触れ」て売るから、ということだ。「棒手振」は「ふり売り」だが、「ふり売り」は「棒手振」とは限らない。そうすると、「ふり売り」は、寿恵子の見た天秤棒を担ぐやりかただけでなく、背負い籠でも手に提げるのでもよいのである。

中勘助の見た賤の女は、天秤棒を担いでいるイメージだったが、背負い籠だったのかもしれない。だとすると「ふり売り」のソロの歌い方はどう変わるだろうか。

日本橋魚市繁栄図(肩に担ぐふり売りが多数派のようだ)


*1 身分の「身分のいやしい女。身分の低い女。」(大辞林) 調べた限りではどの辞書の読みも「しずのめ」。多田武彦の曲では「しずのおんな」としている。「中勘助詩集」(岩波文庫)ではルビを振っていないから、多田が決めた曲での読み方だろう。


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