武士道とは死ぬことと見つけたり…なんて境地は死ぬまで無理

私、当年切って40になろうというおじさんである。
そんなおじさん、恥ずかしながらいまだに死ぬことが怖いと感じているのである。

別に生き続けてやりたいことがあるわけでもない。
だが、やはり死ぬことは怖いのである。

「死ぬ」ということを意識すると、こう…なんというか…胸の奥というか胃の奥というか、とにかく体の奥底がざわつき、キューーーーっと締め付けられて、眠れなくなるのである。

初めて死を意識した思春期の子供みたいである。
いや実際、その頃から何一つ変わってはいない。

40ですからね、身近なところで死はいくつも見てきましたよ。
40ですからね、それなりに楽しい思いや悲しい思いはしてきましたよ。
だが、それでもやはり死というものは身近になることはなく、得体のしれないものであり続けています。

いや、だって、死んでもうたらもう二度と目が覚めないわけですよ?
死んでもうたら、思考もできないわけですよ?
死んでもうたら、もう二度とアホなことはできないわけですよ?
取るに足らないこともできないわけですよ?

そりゃあ怖いでしょう。
なによりも自分という概念がなくなってしまうことが怖い。
ある日突然、自分という存在の電源がオフられるわけです。
その先にあるのは思考すらないただの真っ暗闇です。

名を残す、だとか、遊び尽くす、だとか、そんなことじゃこの恐怖は解消できません。だって自分が消滅するんだから。
悔いなく生きれば死が怖くなくなるなんて嘘っぱちです。
愛するものがいれば死が怖くなくなるなんて嘘っぱちです。
いつだって、人間は自分という枠の中でしか生きられないものであり、だからこそ死は怖いものなのです。

葉隠の一節に有名な言葉がありますね。

曰く、”武士道とは死ぬことと見つけたり”

こんな境地、絶対に無理ですよ。
40のおじさんが断言します。無理です。
いつだって死は怖いものです。

でもね、この葉隠の一節を書いた人も絶対怖かったはずです。
だからこそのこの言葉なんでしょう。
そういえば、大戦中の米兵で流行っていたという言葉も有名ですね。
曰く”死ぬにはいい日だ”
この言葉だって、死ぬことが死ぬほど怖いからこその虚勢だって意見もありますよね。

そう、みんな死ぬことが怖いのです。
でも、だからこそ、よいのだと私は思います。

死が怖いからこそ、人に優しく出来るし、死が怖いからこそ悔いなく生きようと思えるのだと私は思います。
死ぬことをリアルに想像できれば、人の死を願うことも、人を、間接的にでも直接でも殺そう、あるいは、殺すかもしれないことをしようとは思わないでしょう。

死に怯える若者たちに、今こそ伝えられることがあるとすれば、こういうことだと思います。

死ぬことはいつまで経っても怖いし、
その呪縛から解放されることはないよ。
死ぬことを精一杯怖がりなさい。
死にたくないからこそ死ぬ気で生きようと思えるのだから。

死は優しくない。
そう思わせるように我が子に接していきたいと思う、今日このごろなのでした。



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