顔に生まれつき痣がある子どもたちへ、痣がある大人より


語呂良吉と申します。

note面白いというか、文章を書くのは面白いですね。
今回は少しだけ真面目な話です。

私は生まれたときから顔の右半分が青でした。
生まれつきの痣です。
結構濃い痣でした。レベルで言うとブラックジャックみたいと叫ばれるレベルです。
小学生のときに2回レーザー治療をさせてもらい、今はまあわかるけどだいぶ薄くなってはいます。
白目の部分の痣は消せないので、白目の部分が黒い人になってしまうのが嫌で写真が苦手です。


保育園時代からずっとずっとずっとずっと痣のことを指摘され続けました。
「何故顔のここが黒いのか」
「痛そう」
「汚い」
「変」
など、心配の声から不気味がる声まで様々ありました。


『顔面漂流記』という本があります。
石井政之さんというジャーナリストが書いた本です。
その中に私の印象に残っている場面があるので引用します。


私の正面5メートルほど前の廊下の真ん中に、母親と手をつないだ子どもが立っていた。男の子だ。
あの子か?
一瞬、視線があった。
その子は私の眼を正面から見据えた。いや、私をにらみつけてきた。私はその視線にこたえた。
子どもの視線の力に押された。
(中略)
幼い子どもの放つ視線ではなかった。
母親と手をつないでいるが、両の足で大地を踏みしめるようにすっくと立っていた。毅然としていた。彼は周囲から残酷なほど注がれる好奇の視線を跳ね返すために、自己防衛の手段としてやむを得ず世界中をにらみ返しているのだろう。

石井政之,『顔面漂流記―アザをもつジャーナリスト』,1999,かもがわ出版


私はここに書かれた子どもでしかありませんでした。
当時の写真を見ると、不安げで何かを探るような顔をしている子どもの私が映っています。
私は痣の他にも重度の小児喘息とアレルギーを持っていたので、保育園にはほとんど通えず、小学校も本来の小学校には通えず過ごしました。
重度の小児喘息、顔の痣、自家中毒、養護学校と、フルコンボで成長しました。そんな目の子どもにもなるわな、という感じです。 


小学生のときのレーザー治療は、もうその当時はレーザー治療がしっかり確立されちゃんとした形成手術として親に受けさせてもらったわけですが、
めちゃくちゃ痛かったです。
あ、でも痛みに関しては歯医者よりは耐えれたかもしれない。歯医者の方が苦手でした。
でも、2回目の治療を終えた後「もういいや」と思いました。
小学3年生くらいだった気がします。
あんまり覚えてないのですが、そこは街中のクリニックで、終わった後ガーゼだらけの顔のまま街中のマックで親にソフトクリームを買ってもらいました。

「もういいや」と思った理由は、痛みだけではなかったような気がします。
レーザー治療の前の徹底した日焼け止め、治療の際の瞼への注射(めちゃめちゃ痛い)、クリニックで待っている時間、
泣きながら出てくる同じ治療をしている子ども、嫌に優しすぎる親、綺麗な先生、
本当に痣がなくなってしまうことへのほんの少しの寂しさ、炎天下の中ガーゼまみれの自分が帽子をかぶって親と歩いていること、
全ての良いことも悪いことも妙に混ざり合って、もういいやになりました。


大人になってから思い返すと、その選択も正解だったなと思います。

顔に生まれつき痣がある子どもたちへ、大人になるとわりとどうでもよくなります。


最近になって痣に関して言われたことは「DV受けてんの?」でした。

これは私の独自の考えですが、子どもは言葉で伝えたり言葉で汲み取ったりする能力がまだ拙いため、顔というコミュニケーションツールが重要なのかなと思います。
だからその重要なコミュニケーションツールの顔に、自分と違う部分があったら違和感を覚えるし、なんとなく話しにくい、嫌だなと思ってしまう。
大人になってから面と向かって「それDV受けてんの?」と笑いながら聞いてくる人間は、多分まだ中身に子どもを残したままなんでしょう。
顔で判断することは大人になってからもたまーにありますが、しかし大人は顔だけで会話するわけではないので。
痣のことを心配してくる大人もいますが、それでも大概の大人は触れてこないでしょう。
ちゃんとした大人は、トラブルに巻き込まれないためにも個人の問題に首を突っ込みません。

小学5年生のときに同じクラスの男の子がずっと私に対して悪口を言ってきたことを覚えています。
それに対して私は「痣がなきゃ誰も私自身だとわからない」と返しました。マセた子どもで少し恥ずかしいです。
でもそれはある程度的を射ているような気もします。
痣がなければ今の私自身の人格は作られていなかった。


顔に生まれつき痣がある子どもは、本当に生きるのが大変だと思います。
痣さえなければと何度も泣きましたし、未だに思うこともあります。
もし普通に生まれて普通に成長できていれば、とか。
私自身色々な要因があってめちゃめちゃな生きづらさを感じていますが、痣さえなければもう少しだけ「まとも」になれたのではないかとか。


一つだけ良いことがあるとすれば、顔に生まれつき痣があるとこんな自己啓発本みたいな文章が書けるということです。


顔に生まれつき痣がある子どもたちへ、痣がある大人より。

痣という滅多に他人にはないものを、君たちは一つ確実に持っています。
今感じていることを自己表現してください。
それはきっと良いことにつながると思います。

語呂良吉でした。