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書けないことを書く日。〜自分らしい文とは〜

昨日から1つの記事を書きつづっていましたが、思うように書けません。2日間、書いては消しを繰り返し、1000文字近く書いたものの、やっぱりしっくりこない。なので思い切って、下書きを削除しました。スッキリしました。

「週に1回更新しよう」と始めたnoteは、今年に入り、気づけば2.5〜3日に更新しています。ハイペースで書いていたから、そろそろ最初の壁にぶち当たったのでしょうか。いや待て、そんなことはないはず。そもそも「壁」とは一体何でしょう。

以前セミナーで聞いた「書けない(と思っている)人のよくある課題」を参考に振り返ってみました。以下はその一部。

▼(課題1)書くのに時間が掛かる
⇒時間が掛かる時もあれば、掛からないときもある。時間は気にしていない。

▼(課題2)やる気が出ない
⇒文を書き始めた5ヶ月前と比べても、今も気持ちは変わらず。やる気継続中。

▼(課題3)毎日更新しても反応が薄い
⇒95%は自分のために、情報と感情を整理している。残りの5%は、私のブログを心待ちにしている夫や友人など、背中を押してもらっている人に届けたい。「スキ」やPV数は二の次で、おまけのようなもの。

書けない「壁」とは、書けない理由であり、「こう書きたい」と思う、理想と現在のギャップなのかも知れません。そう考えると、私の「書けない」問題は「壁」ではないようです。

実は、書けない理由を私は知っています。書き続ける中で「書きたいこと」がクリアになってきているからです。

私はこんな記事を書き続けたいです。

▼書きたい文とは?
①心(言葉)にウソを付かない
②心が動いたヒト、モノ、コト

以前ブログで『モノには魂が宿る』と書きましたが、同じく、言葉にも魂が宿ると思っています。

ですので、見たことや聞いたこと、触れたことなど、心が動いたモノをできるだけ記録していきます。最後はじっくり自分の心と向き合い、可能な限り心を言葉にしていきます。

すると徐々に、その時にしか書けない文を書き残せるようになりました。過去のブログをいつ読み返しても「私らしいなぁ」と納得できます。

書きたい文の中心に、いつも「心」があるのは、心の表現こそが、自分と誰かの心を豊かにしてくれると信じているからです。けれども心とは厄介なもので、自分を守るために、時々ウソをついたり、蓋をしたりします。心を誤魔化し続けると、次第に心の感度は鈍くなります。

『相手は自分の写し鏡』

という言葉があります。リアルもSNSも、複雑な感情を表現し続けると、複雑な関係性がうまれます。反対に、心を大切に扱っていると、心を大切にしている人と出会い、繋がります。

だから自分らしく書けないときは、書けなくてもいいと割り切っています。大切なことは、自分らしく表現し続けることです。

すると時々、思いもよらないことが起こります。

書けないことに悩むときは、心が鈍くなっているサインなのかも知れません。そんなときは無理に文を書かず、心が動く時間に費やしていきたいです。

わぁぁーーーー!!が、、、頑張ります!!