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#イシナガキクエを探しています の考察(第4回) 最終回

一気見した人へ
私の記事はリアルタイムで書いてたので、第1回と最終回でだいぶ考察が違っています。第1回の考察から読んでいただくと、考え方の変遷が分かって面白いと思うので、是非ご覧ください。

ボカロ曲作ったりVtuberしたりしてる者です。
3回のテレビ放送で終わるかと思いきや、4回目がTVerで配信されるという嬉しいサプライズがあった真の最終回。最終的な総括もしながら、早速記事を書いていこうと思う。まずは第4回について触れていく。

とりあえずの感想:最高

せいぜい新しい映像が2分くらい流れるか、長くても10分くらいだろうと思っていたら、なんと23分の大ボリューム。
そして、種明かしとまではいかないものの、数々の謎がひとつの物語で繋がりそうな重要な情報が出ていた。また、この番組からホラーモキュメンタリーに触れた人にもわかりやすいような、非常に親切で丁寧な作りになっていた。正直もっと投げっぱなしな結末を迎えたり、ハイクオリティな不気味映像群にイシナガキクエ要素をパラっとふりかけただけの不気味映像オムニバスになる可能性も考えたりしていたが、ちゃんとひとつのストーリーに集約したような感じはした。
そんな中、キクエの存在自体は明言しないことで考察の余地がいい塩梅に残されており、ここらへんのバランス感覚は見事だと思った。
個人的には大満足だし、いいものを見せてもらったと感じた。

1.番組制作の動機と構造

本当の意味で「意志を継いで」いた

当初、人を探し続ける米原さんを軸にしたドキュメンタリーを作る予定だった制作陣。しかし米原さんは焼身自殺で帰らぬ人に。だが、テロップで「本当に自殺だったのか?」とあるように、制作陣は自殺だと思えなかったようで、何者かに殺されたのだとすれば、探し見つけることがテレビとしての使命だと感じたのだろう。
第1回の考察で私は「55年前の失踪事件を今になって、しかも捜索者が亡くなったのに本腰を入れ始めているのはなぜか」と違和感を感じており、きっとキクエ関連の呪いをスタッフが受けてしまったことで探さざるを得ないのだろうと予想していたが、キクエを認知すること自体の害はおそらくなさそうな結末だった。
また、「テレビへの批判的構造もあるのでは?」と予想していたが、「テレビだからこそできることはなんだ?テレビの使命とはなんだ?」というメッセージを感じられ、「おいテレビ、しっかりしろよ!」という激励のようにも感じた。"あの頃"のテレビに魅せられた方たちが作り出す作品として感慨深いものがあった。

違和感は演出のための演出

私は第1回から番組の制作陣に不信感を抱いていた。主には以下のような点である。

・米原さんを10月から取材した映像をご覧いただくとナレーションがありながら12月の映像から始まっている
・55年経っているのに若い頃の写真(しかもAIで補完)を元にした再現写真を出しており、その他の情報も年月が経った今ほぼ意味がない
・捜索しているにもかかわらず情報の全てを提示していないように見える
・米原さんの死後、なぜすぐに家を捜索しなかったのか
・キラフさんの写真群は40枚ありそうなのに「発見された約30枚の古い写真」というテロップ
・キラフさんの撮影映像には映っていない封筒のkodakの文字が、リプレイでは映っている
・上田くんの映像を、イシナガキクエに関連しそうなものとして尺をとって放映している
・上田くんの映像の池を調べに行っていない

しかし、最終回に司会しかいなかった理由は、イシナガキクエが死んでいることが過去ローカル番組に出演した米原さんの口から語られ、探す必要がなくなったからだと明言されたことで、本気で探していたということが判明した。
よって、私はシリーズ中の番組に対する不信に繋がる演出の数々は、不気味さを演出するための要素であり、生放送やテレビ番組によくあるミスの類、もしくは言葉足らずによるものだと思うことにした。
しかし、今回キラフさんが訪れた空き家と、上田くんがテープを拾った池を実際に訪れたとしながら、池の方の取材映像は全く放映されていない。池の底を調べるのが一番何かが見つかりそうなのにそれを避けるのはなぜなのだろうか。
こういった視聴者との感覚のズレがイシナガキクエの能力や呪いによるものではないかという考察も見かけたが、それは全く関係ないと思う。

盗まれた写真

キラフさんの訪れた空き家は米原さんの所有であった。スタッフが捜索しにいくと、キラフさんが戻したはずの写真群が無くなっていた。
これに関しては、後述の「3.米原さんから乙さんへの手紙」で触れる。

2.稲垣さんから送られてきたテープの数々

稲垣さんが改めて探し送ってきたテープの中には、米原さんや乙さんの姿と、上田くんの池で拾ったテープに映っていた光景と同じ場所で行われている作業や、キクエの写真で作った遺影が映っていた。

「代理人」「処置」

番組は生身の人が包まれて遺影を添えられる様を、「代理人を用意」して「処置」する様なのではないかとしている。番組の見解が正解だと決めつけるのはよくないが、今回の全体的に親切な作りから考えるに、用意された動線にはある程度乗っかって考えてもよいのではないかと思う。
代理人と呼ぶくらいなので、あの人間自体はキクエではないのだと思う。また、写真自体がキクエなのではないかという考察もしてきたが、思うにキクエを撮影した写真は米原さんはじめとする人々が撮ったもので、キクエ本人は神出鬼没な霊体なのではないかと思う。キクエをおさめた写真を遺影にして代理人とともに埋葬することで、そのキクエ自体を祓ったことにできるのだと思う。このことは、17:24あたりで米原さんがカメラを手にしているところが強調されていることから判断した。

©️テレビ東京/TXQ FICTION

また、この後に米原さんの親族の遺影のインサートが入ることから、少なくとも遺影の若い2人は代理人にされて亡くなったのではないかと思う。親族を手にかけてまで祓わなければいけなかったキクエとはなんなのか。

3.米原さんから乙さんへの手紙

「もう、そこにはありませんでした。
追伸。■■■■をご存じでしょうか?稲垣様がもし無理であれば今回はそちらに処置を頼もうかと思っていますが信用できるかわかりません。
(中略)
稲垣さんの見解をお聞きしたいです。
米原実次」

イシナガキクエを処置する別の勢力の存在

これが示唆されたことで、①米原さんを殺害した人②米原さん宅を徘徊する人影③空き家から写真群を盗んだ者、が同じ団体である可能性が濃厚になってきた。
この団体も何かの理由でキクエの存在を知り処置をしているようだが、信用できないとはどういうことだろうか。エクトプラズムらしき写真から想像するに、キクエは人為的に生み出されてしまった存在なのかもしれない。それを米原さん乙さん勢力は消すために尽力していたが、別勢力は処置のふりをしながら逆効果のことを行っていたか自分達のために利用していた可能性がある。
追伸の前にある「もう、そこにはありませんでした」は、封印した代理人が何者かによって奪われていたことを言っているのではないだろうか。

4.倉庫の写真

空き家を捜索するスタッフが倉庫らしき建物の窓にお札がたくさん貼られているのを発見した。中に入ると、「馬頭観世音」の文字が見えるお札と、割られた壺のようなもの、そして近くに落ちていた写真には男女が写っていた。

馬頭観音

馬頭観世音についてとりあえず調べた。色々なサイトから重要そうな項目を列挙してみる。

・仏教における信仰対象である菩薩の一尊。
・六観音のひとつであり、畜生道を司る。
・観音としては珍しい憤怒の姿をとる。
・民間信仰では馬の守護仏としても祀られる。
・勝負事に縁があり「必勝祈願」「合格祈願」のご利益がある。

どうやら、畜生(動物)の中でも特に馬にゆかりがあるようだ。
イシナガキクエが「おもなが」の特徴を有しているので無関係とも言い切れないが、さすがにキクエの正体は飼っていた馬でした、ということはないと思う。骨壺?に貼られた札にも馬が描かれているが、馬頭観音である必然性はあるのだろうか。

©️テレビ東京/TXQ FICTION

馬といえば、お盆に飾る精霊馬(しょうりょううま)が連想される。ナスとキュウリまとめてどちらも精霊馬と呼ばれるが、キュウリが馬、ナスが牛である。先祖を迎える際には早く呼び寄せるため馬に見立てたキュウリ、あの世にお見送りする際にはゆっくり帰ってもらうため牛に見立てたナスを飾る、ということらしい(調べてから知った)。
後述する最後の写真にも繋がってくる話だが、米原さんは馬頭観音を通じて、キクエに早くあの世からこちらの世に戻ってきてほしいと願っていたのではないかと感じた。
また、キラフさんの映像に映っていた本からも、キクエと交信がしたいと考えていたことは間違いないだろう。

©️テレビ東京/TXQ FICTION

最後の写真

©️テレビ東京/TXQ FICTION

この物語は、スタッフが最後に拾った写真で幕を閉じる。素直に受け取るなら、写っている男性は米原さんで、女性はイシナガキクエで、二人は恋仲だったのではないかということである。
Twitterでは、この男性は米原さんではないのではないか?という声も出ており、身内の妻か恋人に横恋慕したのではないかという予想を立てている人もいる。どちらにせよ米原さんがキクエを想っていた事実は変わらないので、私はこの写真を額面通りに受け取って考察をしようと思う。
この写真と骨が儀式に使われたと考えると、イシナガキクエが怪異化した失敗原因は、この写真が三面鏡で撮影されていることにあるかもしれない。イシナガキクエは複数体いることが性質として考えてきたが、合わせ鏡になっている写真を使用したことでキクエの存在がリフレインし、複製されてしまったのではないだろうか。

過去回の内容を再考察

最終回を終えて、過去に開示された内容の解釈が変わったところに触れる。

池の映像

第2回で上田くんが拾ったビデオテープに映されていた映像について。
キクエの封印が代理人を立てて埋葬することで完了するのであれば、わざわざ潜水の用意までしてそれを確認しにいく作業が必要であるとは思いがたい。乙さん宅から回収されたビデオに米原さんが映っているとして紹介したことから、映像の検証はちゃんとしていると感じる。つまり番組に言及されていないということは、池の映像に写っている人物の中に米原さんはいないのではないだろうか。また、乙さんに宛てた手紙の後に、池の映像に映る人物と、死後の米原宅を捜索する人影の映像がフィーチャーされていた。
何が言いたいかというと、この映像に映っている者たちは封印されたキクエを回収する別勢力だったのではないか?ということだ。
米原さんが乙さんの代わりに依頼を考えていた別団体がこれに該当するのではないだろうか。

米原さんの「信用してもいいんですよね、あなたたちは」

米原さんは番組側に対して当初写真の存在を隠していたが、キクエの存在なんてないんじゃないかと詰められると、「信用してもいいんですよね、あなたたちは」と問いかけたのち、写真を取り出してきた。
これは対立する別団体を信用したがために望まない事態になった経験から、番組側を「探してくれる人」として最初は信用していなかったが、いないという結論を提示されたことによって信用することに決めたか、テレビの取材力を手放すのが惜しくなったのではないだろうか。
尋ね人のビラに写真を載せていなかったことからも写真の開示は最後の手段だったと考えられるが、写真を見せることで、キクエは怪異であるということが理解できる第三者に悟られたくなかったのではなかったのではないだろうか。あの写真を見れば、キクエが常人ではないと思う人は多いと思う。
なんなら、晩年の米原さんが本当に探していたのは、亡くなった乙さんの代わりにキクエを処置してくれる、信用できる新たな霊能者だったのではないだろうか。

焼身自殺は儀式の一部か?

Twitterの考察で、焼身自殺はそのまま自殺であるとか、これが儀式の一部であり、テレ東に捜索を託したことで自分を代理人として亡くなったとする考察が見受けられた。
個人的にはその線は無いと考えている。なぜなら火を用いた儀式がここにいたるまでひとつも言及されていないからである。
また、番組の出自が「米原さんは果たして本当に自殺したのか?」であるため、メタ的にも他殺であると感じている。
また、人を焼いて殺す行為について調べると、骨になるまで焼いてしまえば証拠隠滅になるという犯罪者心理があるそうだ。だが、人間の殆どは水分であるため実際は骨にまでするのは難しく、素人は失敗するらしい。
この別団体も証拠隠滅を図ったが失敗した可能性もある。

イシナガキクエとはなんだったのか?

さて、これで全ての材料が提示されたので、ここからは全体像の考察をしていこうと思う。

この物語の全容

若き日の米原実次さんはイシナガキクエと恋仲にあった。
だがキクエは若くして亡くなってしまった。
キクエにどうしてももう一度会いたかった米原さんは霊交思想の研究を始め、エクトプラズムを用いた儀式によってキクエをこの世に呼び戻すことに成功した。しかし、キクエは会話をすることができなかった上、複数の霊体を持ち存在する怪異として発現してしまった。
キクエを化け物にしてしまったことを悔いた米原さんは、キクエを成仏させようと決心する。霊能者の稲垣乙さんに相談したところ、キクエを収めた写真とともに第三者の死体をキクエの死体の「代理人」として埋葬するお祓い方法を提案された。
最初は乙さんが用意する死体で事足りたがキクエの出現は止まらず、ついに米原さんは親族を手にかけ、代理人として提供し始めた。
この頃、封印した代理人が無くなる事案も発生していた。
しだいに乙さんの処置も手が回らなくなり、米原さんは別の霊能者とその団体に辿り着く。信用できるか半信半疑だったものの、別団体に依頼してみることにした。しかし、その団体は悪徳なものであり、封印した代理人を盗んでいた張本人だったのであることに米原さんは当初気づかなかった。そのうちに米原さんは別団体の悪事に気づき、信用できなくなり依頼することをやめた。別団体は米原さんからの依頼がパッタリ無くなったことを不審に思い、動向を注視していた。
そして35体を処置したところで、キクエの出現は止まった。しかし、米原さんはキクエが存在しないということを確認できないことには心が休まらなかった。そこでローカル番組の人探しコーナーに依頼し、大勢に「キクエはいない」ということを確認してもらうことと、宣伝を兼ねて出演した。
そして月日が経ち、テレ東は一人の女性を探し続ける米原さんのことを知り、ドキュメンタリー番組の取材を開始する。
その取材で、重大な要素である写真が番組側に渡されたと知った別団体は、米原さんをこれ以上生かしておくと自分たちが行った悪行が明るみに出てしまうのではないかと恐れ、焼身自殺に見せかけて殺害。自分たちに繋がる証拠を隠滅するために米原さんのお宅も捜索した。
米原さんの死を知った番組スタッフは公開捜索番組を立ち上げたが、1987年ローカル番組に出演していた米原さんの口から、キクエがもう亡くなっていることが明らかになり、番組は最終回を迎えた。
まだこの世のどこかにイシナガキクエは存在しているのかもしれない。

最後に

お疲れ様でした

私の考えた筋書きはいかがだっただろうか。不確定な部分が多いので、誰しもが独断で補完せざるを得ない部分があり、千差万別の解釈が存在すると思う。
キクエを愛するあまり、非人道的な行いをせざるを得なかった米原さんという哀しき存在。他のホラーモキュメンタリーとは一味違う余韻を感じた、紛れもない名作であった。

「こういうの怖いよね」の全部盛り

作中において、雰囲気作りとして恐怖を感じさせる要素がたくさん使用されており、全体的に満足度が高かった。びっくり要素(ジャンプスケア)がほぼ無かったのもジャパニーズホラーの矜持を感じた。
・心霊写真
・VHSや8mmテープの映像
・留守番電話の音声
・捜索番組
・オカルト
・謎儀式
・古民家
・古い手紙
・お札
・AI
などなど

フェイクドキュメンタリーQのファンとしては、留守電の音声まで出てきた時は興奮した。まじで全部盛るやんけ!というくらい出し惜しみの無い作品だった。

米の原っぱで実を次に

イシナガキクエが消滅しているのか、まだ存在しているのかはわからない。米原さんの意志は、番組とそれを観た我々視聴者に託された。
このイシナガキクエシリーズを起点として、TXQ FICTION並びにホラーモキュメンタリーが隆盛していくことを願っている。

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