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土下座は免罪符では無い

某遊覧船死亡事故を起こした会社社長による

土下座会見を見た、多くの人がこの会見を見て、迚不愉快さを感じていると色々と報じられている。

勿論、私もそう感じた者の一人である。

会見を開く前、この者は自らの選択を正しいと主張、然し世論の風当たりを受けて慌てて其れを訂正した。

裏返せば世論の風当たりが弱ければ謝罪会見を開いたかすら怪しいと言わざるを得ない。

我が目には(恐らく多くの人も同じ様に感じたであろうが)

“取り敢えず土下座しとけばこの場は凌げるか”という風に

加害者側は判断されただろうと思わざるを得ない。

本来、重い筈の土下座行為が迚軽々しく感じられた。

土下座の価値を著しく低下させている様に思えた、その事が私には迚、不愉快に感じられたのである。

本来、土下座はその様な軽々しい行為では無い、心からの謝意を示す為の行為である。

その行為を迚、侮辱された様に我が目には写った、その事が迚、残念に感じられた事件である。


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