大きな絵とアールブリュット
僕は自分の絵をアウトサイダーアートだと定義している。同じように使われる言葉としてアールブリュットがある。
新しく大規模なアールブリュットのコンクールが行われていたことを最近知った。審査員の一人のインタビュー記事を見つけて興味深いと思った。
僕は絵を描きたいから描いている。その姿勢はアールブリュットの精神に通じていると思う。
描きたいから描くのは当たり前のことのように思われるかもしれないが、そうとも言えるし、そうとも言いきれない部分があることも事実だ。
自分がやりたいようにやるということは、常識的な観点から見たりそれを社会のシステムの中でやろうとすると、頭がおかしいと思われることだってある。
アールブリュットが芸術のメインストリームになるということは、ただそうなるだけではなく、描きたいから描くという姿勢がより尊重される価値観へと社会が変化していくことなんだと思う。
描きたい絵を描く行為とは、つまり心を表現することなのかもしれない。心を表現すれば、それは心と繋がることになる。それによって、時には自分と向き合える機会を得たり、お金では計れないような喜びを感じられることもあるだろう。
アールブリュットがアート史の新しい章に加わるということは、今までよりも心の制約が無くなっていく世界になるということ。障害という言葉の意味も変わっていくのかもしれない。
リアルタイムで心を表現し発信する世界で、安心を感じながらあらゆる人間性、個性を出して遊ぶ。
そこに共時性が生まれ、それ自体が芸術の価値となっていく。
それを後押しするように、今後テクノロジーが指数関数的に進化していく。心の制約が極限にまで無くなっていく未来は、一体どんなものになるのだろう。
そんな空想を巡らした後で現実的な視点に戻った。アールブリュットのコンクールに応募しようと思った。まだ来年に開催されるかわからないけど、気持ちの問題だ。
早速大きい紙をネットで注文した。コンクールだから大きい絵を描こうと瞬時に考える所が自分らしさを表している。本当は最大サイズの120号キャンバスにしようと思ったが、数万円することと部屋に入らない可能性が高いから断念した(脚立などを使ってベランダから入れることや様々なことを空想した上で)。
絵を描くスペースを作る為にホームセンターで180×90cmのプラダンを二枚買って、騒音対策として壁との間に挟むスポンジも買った。取り付け作業は一人では苦手過ぎてできないので手伝ってもらった。
制約に囚われることのない自由なアールブリュットのコンクールに応募するために、一つだけ必要なものがある。それは精神障害者手帳だ。たぶん取得できると思うけど、精神科の先生とのコミュニケーションが消極的だったので一応自分の作品についての簡単な資料をスマホで作成した。あとはセブンイレブンでプリントすれば良いだけ。
いつも通りどんな絵が出来上がるかはわからない。どれくらいの期間で完成するかもわからない。
涼しくなってきたら散歩の量を増やす。体力をつける。写真を撮る。たぶん小さい絵も描く。そんな感じがする。自分の人間性を紙にぶつける遊びをする。
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