5.芸能事務所
髪を切りに行こうと思った。
髪を切ってお洒落になることは大切かもしれない。
僕は履歴書に使う写真を撮影する時にヘアセットをしてもらった美容室を予約して原宿に向かった。
お洒落な美容室で僕の存在は浮いていたけど、髪を切ってもらったら今までよりも爽やかになった気分がして嬉しかった。
特にやることもなかったのですぐに家に帰ろうとイヤホンを付け、うつ向きながら駅へと歩いた。
原宿駅に向かって表参道を歩いていると、いきなりスーツを着た男の人が話しかけてきた。
イヤホンを外して男の人の話を聞くとその人は芸能事務所のスカウトマンらしい。
もし興味があるのならと言って、僕に事務所のことが書かれた小さなパンフレットを渡してきた。
僕はそれを受け取り、そのまま表参道口の改札へと向かった。
家に帰ってゆっくりとパンフレットを読んでみたら、どうやらエキストラの仕事を中心としている芸能事務所のようだった。
中には映画や舞台で活躍している俳優や女優も所属していて、怪しい詐欺とかそういうものではないみたいだった。
僕は詳しい話が聞きたかったのでパンフレットに書いてあった番号に連絡して面接に行くことにした。
原宿にある大きなビルの中にある事務所に着くと、中に通された。
会議スペースのような場所で、スーツを着たお喋りな雰囲気のおばさんに説明を聞くことになった。
おばさんは僕を見るなり、この芸能事務所に所属している俳優に僕が似ているという話をした。
そしてその俳優の宣材写真をファイルから取り出して僕に見せてきた。
ちょうど髪をお洒落にしてすぐだったので、自分でも少し雰囲気は似ているような気がした。
おばさんによると、その俳優も元はエキストラとしてこの事務所で活動していたらしい。
エキストラとして着実に実績を積む内に少しずつ名前のない役からセリフがある役を任されるようになり、今では事務所の看板役者として頑張っているんだよと言った。
僕は役者になりたいと言いながらも結局はコンビニでバイトをしているだけだし、もしエキストラとして仕事ができるのであれば俳優としての経験も積めるし、何よりやっとスタートラインに立てると思った。
エキストラとして仕事をしながら少しずつ実績を積んで、そこからステップアップしていくことを想像するとワクワクしてきた。
事務所に登録するためのお金や宣材写真を撮る為の写真撮影代として最初に10万円を払ってもらう必要があると言われた。
おばさんは僕が事務所の俳優に雰囲気が似ていて将来性を感じるから半額の5万円で良いよと言った。
お金を払うならやめときますと言いたかったけど、5万円払えばコンビニのバイト生活からエキストラ生活に変われるんだし良いのかもな、とも思った。
自分で履歴書を送って事務所に所属したとしても、結局はコツコツと経験を積むことになるだろう。
今はスタートラインにも立てていないし、すぐにどこかに所属できそうにもないし、5万円を払えば確実にスタートラインに立てるというのは僕にとって大きかった。
貯金がなかったのでおばさんに一括では払えないと言った。
おばさんは分割でも良いよと言った。
でも事務所に登録するのは全額払い終えてからということだった。
僕は分割でお金を払うことに決めた。
少しだけモヤモヤした気持ちがあったけど、これで確実に前に進むことができる。
東京に来て初めて手応えを掴んだ気がした。
僕は3ヶ月で五万円を払い終えると同時にコンビニのバイトを辞めた。
コンビニのシフトはあまり融通が効かないし、エキストラの仕事を中心にしたかった。
エキストラの仕事を中心にして仕事がない日に融通の効くバイトをすれば生活もなんとかなるだろうと思った。
事務所の登録会と宣材写真の撮影の日、僕はまた美容室で髪をセットしてもらった。
前みたいに写真撮影でガチガチにならないようにと気合いを入れた。
撮影は事務所の一室で行われた。
今回はどんな感じで撮られるんだろうと思ったけど、撮影スペースに立って、女性のカメラマンにパシャパシャと数枚撮られてそれで終わりだった。
登録の説明会は昔地元で友達と行った派遣会社の登録と同じような感じだった。
内容も似ていてまずメールアドレスを登録して、そのアドレスに仕事の紹介メールが届くらしい。
気になる仕事があったらメールを返信して、そこから選考が行われるらしい。
募集されている条件とか実績を考慮して応募した人の中から選ばれたら仕事ができるみたいだ。
僕にとって一番衝撃的だったのは給料が働いた月の3ヶ月後に支払われるということだった。
僕はコンビニのバイトを辞めてしまっていたので、生活のためにまたがっつり入れるバイトを探さないといけない。
帰りにコンビニでタウンワークを持って帰った。
でもエキストラを中心として仕事をやっていく気でいたからバイトを探す気にはなれなかった。
数日経ってエキストラの仕事の紹介メールが来たので、条件が合う仕事に応募してみた。
何回か応募してみたけど、選ばれることはなかった。
結局はまたオーディションなんだ、と思った。
アルバイトを見つける気がなかなか起きなかった。
できる仕事と言ったらコンビニかパチンコ屋くらいだけど、またあの生活に戻るのかと思うと憂鬱な気分になった。
僕はコンビニに行って一番安いポケットサイズの瓶に入ったウイスキーを買った。
帰り道で一口飲むと喉が焼けるような感じがした。
内臓が消毒されている気がして悪くないなと思った。
もしかしたら胃が消毒されて肌が綺麗になるんじゃないかなと思った。
一口飲んだだけなのに家に帰ると頭がぼーっとしてきた。
僕はもう一口飲んでその日は寝ることにした。
昼頃に目が覚めて、また一口ウイスキーを飲んだ。
散歩をしようと思い、ウイスキーをジャケットのポケットに入れて家を出た。
散歩をしている途中に目に入ったパチンコ屋に入りスロットを打った。
ウイスキーの力かわからないけど異常に調子が良く、その日は五万円勝ちだった。
帰りにドラッグストアに寄り、ブリーチ剤を買った。
髪を金髪にした。
シャワーを借りに来たリューイチは金髪になった僕を見て驚いていた。
リューイチが働いているパチンコ屋に遊びに行ったり、古本屋で本を買ったり、レンタルビデオショップで映画を借りたり、音楽を聴いたり、そんな日が続いた。
ウイスキーを飲むことが癖になり、気づいたら結構お酒に強くなっていた。
お金は少しずつ無くなって行った。
一度エキストラの求人で金髪の人を募集していたのでメールを送ってみたけどだめだった。
早くバイトを見つけないといけないのに、僕はだらだらと過ごした。
肌が荒れて来たので、金髪にしたからかウイスキーのせいかどっちかだなと思った。
ちょうどお金もなかったのでその日から納豆入りの卵かけご飯しか食べないことにした。
そうこうしている内に2011年が終わった。
リューイチと浅草に初詣に行った。
僕は暇だったのでリューイチの似顔絵を描いた5億円のお札を作って封筒に入れ、お年玉あげると言って渡した。
中を見たリューイチはありがとうと言ってそれをすぐに地面に捨てた。
浅草寺で腕に付ける黒い数珠を買った。
家賃を払えなかったので、そろそろ本気でバイトを探そうと思った。
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