4.オーディション
僕の家にシャワーを借りに来たリューイチがものすごい情報を仕入れてきた。
大阪で大手芸能事務所による全員オーディションというものが開かれるらしい。
全員オーディションというのは、文字通り全員が審査員の前でオーディションを受けることができるもので、一人1分間の自己PRの時間が与えられる。
これは僕にとって非常に嬉しい知らせだった。
いくら履歴書を書いて送っても一向に返事は来ず、会ってすらもらえない、どうにもならない日々が続いていた。
全員オーディションなら、書類選考による審査がないので、いきなり審査員の目の前で自分の気持ちをアピールすることができる。
大手芸能事務所だからそう簡単に次に進めるものではないだろうけど、僕はここでどうしてもチャンスを掴みたかった。
とにかく自己PRをして、それでどうなるのか知りたかった。
もしかしたら全然ダメかもしれないし、何か手応えだけでも掴めるかもしれない。
僕とリューイチはオーディションの日にバイトを休ませてもらって、大阪に行くことにした。
オーディションまでの2週間ほど、僕は野菜と魚しか食べなかった。タバコもやめることにした。
何となく、そうしないと気持ちが悪かった。
オーディション当日、僕とリューイチは一度僕の家に集合して、それから一緒に新幹線で大阪に向かうことにした。
自己PRで何をすれば良いのかわからなかった。
まだ何も決めていなかった。
別にこれと言った特技も経歴もないし、かといって何もしなければ後悔しそうな気がした。
新幹線の中でもずっと考えていた。
結局は、シンプルに行くしかない。まずはやると決めたことを絶対にやること。
後は今まで一年間学校で授業を受けてきて学んだ自分にできることを精一杯やる。
ただそれだけを意識しようと思った。
大阪に着いて、オーディション会場がある専門学校に向かった。
僕らが専門学校に着いた頃には、既に入口まで長蛇の列ができていた。
入口から審査員がいる三階の部屋までぎっしりと人が並んでいる。
最後尾に並んで、列は少しずつ進んで行った。
階段をゆっくりと上がって行き、三階にたどり着いた時に奥の部屋の扉が開いていて、審査員の姿が見えた。40代くらいの目力の鋭い女の人だった。
部屋の中では順番が回ってきた人達が五人一組になり、審査員と向かい合わせになって一列に並び、左端の人から順番に自己PRをしていた。
五人が自己PRを終えた後で、審査員の人がその場で合否の結果を知らせているようだった。
ほとんどの人達が、自己PRを終えたあとそのまま部屋を出て階段を降りて帰って行った。
僕が三階にたどり着いてから数十人が審査を受けていたけど、奥の部屋に通されたのは一人だけだった。
後ろ姿しか見えなかったけど、背が高くてすらっとした感じの若い女の子だった。
突破するのはかなり難しいんだろうなと思った。
少しずつ、僕らの番が近づいてきて、緊張感は少しずつ高まって行った。
リューイチはどちらかと言うと話をしてテンションを上げたそうな感じだったけど、僕は逆にどんどんと自分の殻に閉じ籠って話さなくなった。
途中からほとんど会話はなくなった。
ついに僕らの番になった。
五人一組になり審査員の前に立った。
リューイチが一番左端で僕は左から3番目だった。
まずリューイチの自己PRが始まった。
名前と年齢、出身地などを言ってから、演技に対する思いを語っていた。
次の男の人はかなり緊張しているようで、声を震わせながら自己紹介をしていた。
あっと言う間に僕の番になった。
僕もとりあえず名前と年齢、出身地を言った。
あまりハキハキと話すことはできなかった。
やっぱり心にブレーキがかかった。
もうこれで終わりにして、帰りたいなと思った。
でもやると決めたことは絶対にやらなければならない。
ここで終わらせてしまったら上京した意味なんて全く無い。
「じゃあ、最後に一発ギャグやります」
審査員の人は「はい」と言っただけで特に表情を変えることはなかった。
僕は少し重心を落とし、中腰になって下を向いた。
少しだけ間を置いてから、小刻みに、本当に小刻みに両足をばたつかせた。
「う~~~」
犬が威嚇するような感じの低い声を出す。
そして全てを解放した。
「ポゥ!!!」
部屋中に僕の声が響き渡った。
一番右端にいた男の人だけがクスクスと笑ってくれた。
審査員の人は、僕がいきなり顔を上げて大きな声を出したのでビクッとした。
そしてあまり良くない感じの表情を浮かべた。
これが今の僕にできる精一杯のことだった。
僕はこれ以上でもこれ以下でもない。
これを新幹線で思い付いて、やると決めたからにはどんな状況であってもやらなければならなかった。
そして僕は見事にやり遂げた。
頭が真っ白になって気持ちが良かった。
「以上です。ありがとうございました」
残りの二人の自己PRが終わってから、審査員の人が「お疲れ様でした。今回は合格者はいませんでした」と言った。
僕は部屋を出て階段を降りて外にでた。
まだ階段の途中まで行列ができていた。
リューイチは実家が近かったから一度家に寄ってから帰ると言ったので、僕らは駅で別れた。
新幹線に乗って東京に向かった。
今回のオーディションで、芸能事務所に所属することがいかに難しいかということがわかった。
僕は何をどうしたってあの部屋の奥に通されるイメージが湧かなかった。
何をするとかしないとかの問題じゃないような気がした。
何もしなくても、審査員の前に立った瞬間に、もう答えは決まっているような気がした。
もちろん話し方とか姿勢とか滑舌とか、努力すれば何とかなることはあるだろうけど。
とにかく高い高い壁が目の前に立ちはだかっているように感じた。
駅のトイレで鏡に写った自分を見ると、顔色が悪く、とても醜い人間に見えた。
お前みたいなやつが受かるわけないと心の中で言った。
家に帰って、二週間ぶりにタバコを吸い、缶コーヒーを飲んでお菓子を食べた。
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