病みめんだこ④ 退院まで

前頁の続き。
シャワー室まで案内するよ、と看護師さん。
ロック付扉は日中は解除され、ただの大きな自動ドアになっていた。
扉を出ると広くて和やかな雰囲気のデイルーム、アクリル板?で仕切られたナースステーションが目に入った。
それにしても、他患者からの視線が痛い。お?新入りか?感が満載。w
刑務所ですか?w
みんなチラ見とかではなく遠慮なくゴリッゴリに見てくるのよね。
精神科患者さんはピュアだから、と学生時代に教員に教わった記憶が一瞬だけ蘇った。
病棟内には、裸足で同じルートを早歩きしてる若い男性患者さん、グループで地べたに座って座談会中の女性患者さん方、ふと綺麗な女性が目についたが、すぐに似つかわしくない叫びを披露してくれたり。
皆それぞれ苦しいんよね。
私は看護学生時代の精神科実習を思い出した。
当時、精神科のセンスは皆無。
患者さんへの関わり方のコツなんて全く理解不能なまま、3週間の実習期間を終えただけだったな。
精神科勤務の経験もないので割と新鮮な気持ちだった。
シャワーを済ませると部屋替えが終わっていた。
一晩過ごした部屋とは反対側の、日当たりのいい部屋になった。
ナースステーションから最も離れた部屋だったので、めんだこは割と手がかからない位に置かれたのかしら。w
部屋の設備に変わりはなかったが、廊下に出ると外の景色が少し見渡せる大きな掃き出し窓があり、そこに長椅子が置いてあったことが嬉しかった。
ここで外を眺めて過ごした。
日課は特に忙しくもなく、ボーっと過ごす時間が多かった。
強いて言えば、たまに作業療法に参加するぐらいだった。
ほとんどの患者が作業療法の適応なのだろう。
皆真面目にラジオ体操をしていたが、私はラジオ体操はなんか恥ずかしくて嫌だったので一歩引いたところで眺める派だった。
他には軽いレクリエーションや手先の機能衰え防止のため塗り絵や折り紙をしたり。まぁ、お年寄りにはいいよな…と思いつつ気が向く時だけ参加した。
相変わらず人と関わる気にはなれず、ヒッソリと端の方で病棟備品の漫画を静かに読み漁っていた。
天気が良い日はテラスで読んだ。
時期は秋だったので、空気が気持ちいいと感じられた。
たったそれだけのことだったが、家にいたら塞ぎ込んでいただろうし
いちいち空気の心地よさには気付けてないよな〜と思った。

入院生活にも慣れた頃、いつものようにテラスで夜風にあたっていると、1人の若い男の子に声をかけられた。
  『足の甲、かっこいいっスね』
私の左足の甲には人魚のタトゥーが入っている。
これは第一子を流産した後に入れたもので、その頃ひたすらに流した涙や心に負った傷を忘れないためにと、旦那氏と一緒に入れた。
御守りのような気持ちで。
     『どうも。』

そのタトゥーに興味を持った若者くんが、以降の入院期間の話し相手になってくれたので退屈はだいぶなくなった。
それからだんだん同年代の友達?もできて、気付けば最終的に6人のグループの中に私はいた。

おはよう おやすみ
◯◯は何で入院になったの?私はね…
あっ今日は風呂の日だよもう入った?
えっ今度外泊なの?いいなぁ
◯◯は何の仕事してた?  ...etc

他愛のない会話、できてるじゃん私。割と楽しいグループだった。皆は元気だろうか。

という感じで、初めての入院中はのんびり休息がとれた記憶がある。
退院の兆しが見えかけた頃、閉鎖病棟から開放病棟へ移動した。
開放へ移ってからはその名の通り開放的に過ごさせてもらえた。
スマホも持たせてくれたし、洗濯も自分でできる。私物を管理できる。
売店でナンクロ雑誌を何冊か買ってきて、ひたすら解いていた。
(ちなみにちゃんと応募しておこめ券が当たったの✌️w)
病院の庭を散歩したり、作業棟という作業リハ専用の部屋で自由に過ごしたり。
子供に会いたい時は外泊も許可がもらえるようになった。
経過は良好のようだった。

退院後は、実母との距離感を改めて見直すこと、働くならば実家の支えがなくてもやっていける仕事に就く、無理はしないでねと主治医とお話。

この入院で私は
家に帰れる幸せ、家族と一緒に居られる幸せ、空気の心地よさを改めて大事なものだと感じられるようになった。

閉鎖病棟1回目の入院は無事終了。
退院前夜
タトゥー褒めてくれた君に、私が持ち込んで読んでいたHSPに関してのエッセイ本をこっそり渡した。
私は読んで終わったから、と。
俺もHSPなのかな…と気になっていた様子だったので。
(もちろん私物のやりとりはNG)
じゃあ、バイバイ👋
退院

2回目があることなんて思いもしなかった。

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