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ブックオフではたらいていた(実務編)

当記事は、「ブックオフ大学ぶらぶら学部」(岬書店)の刊行に際して、H.A.Bookstore店主が勝手に書き下ろし、本書の購入特典として配布するものです。
こちら↑から購入いただければ実質タダでついてきますが、「もう他の本屋で買ったけどこの原稿は読みたいな」という奇特な方向けのサンプル+購入窓口です。もともとおまけなので、そんなに文字数はありませんのでご了承ください。(本文約4,800文字)


(以下、本文)

 新刊書店で働くつもりだったのだ。

 大学三年生の春は、主にELLEGARDENを聞いていた気がしていて、「指輪」の歌詞は流石に未練がましすぎる、と思っていた。その「指輪」をMDウォークマンで聴きながら自転車で通っていた書店は、千葉都市モノレールの天台駅前(下?)の多田屋で、なぜか新刊コミックがシュリンクされておらず、自由に立ち読みできる雰囲気があった。生まれて初めてのアルバイトはディズニーランドで、友達の面接に、なんか大手だし安定していそう、という一八歳にあるまじき発想でついていった結果採用されることになったそこでの仕事は内勤のキッチンスタッフで、土日のみとはいえ、早朝番は朝七時入り、というハードな現場だった。そこに二年勤めて、「学業に専念したい」という馬鹿みたいな嘘をついて、わりと疲れ切って辞めたあと、なんとなく次は本屋で働きたいと思っていた。というか、最初から本屋で働きたかったのになぜか二年遠回りしていた。

 当時通っていたのは、その天台駅下の多田屋と、大学の生協。それとブックオフだった。大学前にあるブックオフは学生の立ち読み所兼教科書交換所と化しており、店も狭くあまり行かなかった。その代わりに向かっていたのが千葉、というかその一駅隣「東千葉」、ラブホテルの隣(ターミナル駅の一駅隣には常にラブホがある)にあった大型のブックオフだった。一階にTSUTAYA、三階には衣服や雑貨系を扱う、系列店のなんとかoffが入っているビルで、二階がまるまるブックオフ。新刊書店の大型店がまだ数一〇〇坪程度だった時代で、ワンフロア、おそらく三〇〇坪はある本の売り場はひたすら近隣から多くの人を集客していた。

 多田屋に面接に行こうと思って何度も「アルバイト募集」の張り紙を見てはカウンターをチラチラ覗く買い物客を演じたあと、結局ブックオフを選んだのは、時給が、たしか三〇円くらい高かったのと、立ち読み。多田屋で新刊の立ち読みができなくなるのは、古本の立ち読みができなくなることよりも、死活問題だと思えた。アルバイト先で堂々と立ち読みをする勇気は、当時の僕にはなかったし、振り返ってみても、東村アキコや、『君に届け』との出会いが失われていた可能性を考えると、間違った判断だったとも思えない。そうして、今度は大学が終わった後も含めて、週四でハードにブックオフに通う大学後半の二年間が始まった。

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