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人的資産=教員を蔑ろにする学校組織

「7つの習慣」を学んでいると、「PとPCバランス」という言葉がでてくる。

Pとは、成果(Production)、そして、PCとは、成果を生み出す能力(Production  Capability)である。

「7つの習慣」の書籍では、これをわかりやすく説明するために、3つの資産(物的資産・金銭的資産・人的資産)のうち、物的資産として「芝刈り機」を例に出している。

私は「芝刈り機」は持っていないので、数ヶ月前に引っ越しした際に購入した「ルンバ」を例に出してみよう。

お掃除ロボットである「ルンバ」は、ボタンを押すだけで、部屋をきれいにしてくれる素晴らしい電化製品である。

毎回ルンバ起動後に、埃を取り出してみると大量の埃をキャッチしてくれている。

もちろん使用後に埃を出すことはしているが、その埃のたまるところはもちろん汚れやすい。

汚れやすいからこそ、埃を取り出すだけでなく、定期的に細かい部品を少しとり、お手入れすることが必要である。

説明書にも、◯ヶ月に1回〜のお手入れの方法、など記載されている。

しかし、多くの人は、一旦埃を取り出せばまた問題なく使えるので、丁寧なお手入れはしていないことと思う。

実際、埃だけを取り出せば、とりあえずは使える。ただ、少しの間使えるだけで、ちゃんとお手入れをしなければ、すぐに壊れることは間違いない。

しかし、成果P=きれいにすること、だけに囚われていたら、成果を生み出す能力PC=ルンバの機能は、どんどん衰えていく。

Pを出すためには、PCが大事であり、そしてそのバランスを考えることが必要なのである。

これは、3つの資産(物的資産・金銭的資産・人的資産)のうち、人的資産にもあてはまる。

私は、「7つの習慣」の書籍でこの部分を読んだとき、教育界は、人的部分において、「PとPCバランスが全然とれていない」と感じた。

学校は、「失敗をすることが許されない」という風潮がある。

それはもちろん、子どもに関わる仕事であり、子どもたちの大切な時間に関わる仕事であるので、失敗しない方がよい。

そうではあるが、あまりに失敗することを恐れ、教員を「育てる」ことを避けているように感じる

命に関わる場合は、「よし!やってみよう!」なんて安易にいえないものであるが、正直学校内の仕事は、そこまで命に関わる問題は多くはない。

だからこそ、いろいろな教員がいろいろな仕事に挑戦できる場を作り、育てていかなければならない。

学校現場は、例えば生徒指導が大変な学年は生徒指導が得意な人をあてるし、生徒指導が得意な先生のところに、多くの仕事が舞い込んでくる。

「仕事ができる」人のところにばかり仕事が集まり、いわゆる「仕事ができない」と思われている先生のところには仕事がいかない。

無難になんでもこなす、対応できる先生のところに、仕事がどんどん溜まっていく。

現在、多くの先生方が精神的に病み、特別休暇や休職をしている現状があるが、そういう先生方の多くが、仕事が多く、一生懸命やった結果、つぶされているように感じる。

仕事量が多い学校が、目の前のやるべきことを無難に終わらせ、生徒指導も丸くおさめ、研究発表も問題なくやってくれる人のところに、仕事を回す。

確かに、無難に仕事をやってくれる先生のところに仕事がいけば、成果Pは得ることができる。でも、そうやって特定の人に仕事を集めた結果、優秀な素晴らしい先生たちが病んだり退職を選んだりしている。

つまり、「成果を生み出す能力PC=人的資産=優秀な先生」を蔑ろにした結果、どんどん優秀な人材は辞めていき、教師=ブラックが根付き、優秀な人材が集まらなくなる。

教育界は完全に負の連鎖にはまっているように私は思える。

成果を生み出す能力PCを大切にするための手立てを打たなければ、成果Pは得られなくなるよ、と、教育界のトップに伝えていきたい。

それも私の使命だと思っている。


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