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東京トレーナー時代の仕事が超ブラックだった話

ども、川谷です。

今日は川谷が、東京の目黒でパーソナルトレーナーをしていた時の話をしたいと思います。

今自分は、地元である茨城県のつくば市で『マンマビレッジ』というスタジオを経営しているんですが、その前は目黒にトレーナーの師匠がいまして、その人の元で約2年間インターンとして修行に行っていました。

ただ、前の記事でも話したかと思いますが、川谷はその当時大学院にも通っていて、東京とつくばを行き来する生活をしながらという感じです。

ぶっちゃけてでいうと、その時の生活と仕事が人生で一番過酷でブラックでした。。。

だけど、そこでの学びと経験は今ものすごくすごくすごく生きているので、ディスるわけじゃなく振り返りを込めてお話します。

成果を出すのは当たり前の世界

川谷が修行していたスタジオでは、ダイエットやボディメイクといったいわゆる一般的なパーソナルトレーニング技術はもちろんなのですが、

その師匠は病院や整体に行っても治らないような頭痛・肩こり・腰痛・膝痛・慢性疲労・不眠・高血圧までも根本から改善してしまうという技術を持っていました。

セッションの単価は1回18000円以上(今は30000円以上でやっているそう)、なのに終日予約がいっぱいという繁盛店でした。

師匠が言っていた言葉はこうです。

『お客はトレーナーの努力に金を払ってるんじゃない。成果に対して金を払ってるんだ。だから成果を出すのは当たり前だ。』

かなり言葉のエッジが強い師匠でしたが、確かにそれだけの言い切りと覚悟を持ってやっているからこそ、それだけクライアントが着くのだろうと思いました。

というかそれこそがプロの世界、お金をもらってサービスを提供するとは、そういうことなのだということをそこで学びました。

とはいえ、大学上がりで現場経験も全くない自分に突きつけられたその課題はただでさえ厳しいものでしたが。。。

集客は全て自力、契約取れなきゃ給与はなし

それだけじゃありません。成果に100%コミットするのは大前提で、しかも、『自分の客は自分で取ってこい』というのがそのスタジオの方針でした。

普通のスタジオだったら、集客はスタジオ側がやって、現場での指導をトレーナーがやるという構図ですが、そのスタジオは"独立して稼げるトレーナー"に育てることを念頭に置いていたので、

甘えを出してはいけないと、集客から契約を取るまで全て自力で獲得しなければ報酬は1円ももらえませんでした。

毎月のノルマが達成できるまで連絡が鳴り止まない

これが一番辛かったことです。

成果を出すのは当たり前。そして自力で集客しなきゃ報酬はなし。ここまではまだ可愛いもんでした。

何が一番しんどかったかといえば、毎月の集客ノルマを達成するまで師匠から鬼のようなLINEと電話が来ることでした。

『今月の新規の進捗は?』
『なんでまだ取れてないの?原因は?』
『その施策で確実に達成できるの?』

『新規は?』
『新規は??』
『新規は???』

東京に行かない日でも、大学院にいる時でも、真夜中でも、お構いなく連絡がくる毎日でした。

それはもう、正気ではいられませんでした。

いつしかLINEの通知が鳴るだけで青ざめるようになり、通知音がならないようにしていました。

でも返信が遅いとすかさず電話がきて、長い時では夜中の0時から3時間以上電話で問い詰められることもしばしばありました。

この修行は当時、『直面』と呼ばれていました。

川谷の他にも2人、一緒にインターンを受けていた若手のトレーナーがいたのですが、その2人もこの尋常ではない問い詰めに鬱になったり、途中でスタジオに来なくなってしまうこともありました。

あの時は本当に師匠が嫌いでした。
何度も何度も辞めたいと思いました。
ですが、この道を選んだのは紛れもなく自分自身。

師匠の意図は明確でした。独立して1人で起業したら、責任は全て自分自身に降りかかる。

その痛みを避けて、独り立ちして働くことなど到底できない。

あの時の自分には、乗り越える以外の選択肢はありませんでした。

その結果、スタジオを抜ける半年前くらいからは、毎月新規の顧客を自分で獲得できるようになり、自分が担当する枠の曜日はほぼ予約がいっぱいになる状況で卒業することができました。

あの時の経験があったからこそ、今自分は地元つくばに帰り、自分のスタジオをオープンしてから潰れることなく売上を伸ばせているのだと思います。

ということで、そんな経験をしてきた川谷の東京インターン時代のお話でした。

本日もお読みいただきありがとうございました!

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