黒湯の能動的三分間
彼は50代独身で趣味がない。あるとすれば、温泉に入ることくらいだ。大船駅に着いて、白くて長い陸橋を渡ってバス停にいく。子供が直線を走っている。誰のためでもなく、ただ走りたくて走っている姿は美しい。そこからエレベーターでM2に降りてバス停のベンチに座る。
バスが到着する。こぶたやま、どうくつまえなどゲームで出てきそうな場所を超えて、さんのうにきたら、「次とまります」ボタンを押す。「次とまります」ボタンは競争で、先に押されるとちょっと悔しい。彼は大人気ないのだ。
バスに降りると、ラーメン屋とパチンコ屋の間に温泉がある。信楽焼のたぬきがお出迎えし、レトロな看板が並ぶ。靴をロッカーに入れてオレンジの鍵を抜く。これが毎回、なくしそうで怖い。前回、なくしてしまって焦ってしまった。結局出てきたからよかったが、それ以来彼は靴箱で緊張している。
階段に登って2階に券売機があって、そこでチケットを買う。会員カードがあると安くなるのだが、行く日に限って会員カードを持っていかなかったり、そもそもどこかにいってしまったので、もう諦めている。彼は会員カードが向いていない。鍵やら、会員カードやら、こういう瞬間に彼は自分の社会不適合さを嗤う。
お風呂に入る。まずは簡単に身体を洗い流す。備え付けのシャンプーは髪の毛がガシガシしてしまう。今回はさらにガシガシしたなと思ったら、ボディソープだった。だからか。再度シャンプーで髪を洗い流して、露天風呂にいく。
露天風呂はすべて黒湯だ。いくつか風呂があって、岩がゴツゴツしている。一番大きなお風呂は黒湯炭酸泉で、表面に白い気泡ができている。コーヒーに少しミルクが入ってるみたいだ。長湯できるようにぬるい。大きなテレビがあって、バラエティ番組がやっている。テレビでは回る寿司屋の大トロに、デザートの冷凍マンゴーとホイップをアレンジして、食べたら美味しいと芸能人が言っている。きっと次の日、みんな真似するのだろう。
子どもも入りやすい温度(というか他が熱すぎるので)なので、子どももたくさん入ってる。黒湯で身体が濁って見えないことを活かして、じゃーんけん、ほい!と言うタイミングでお湯から手を出してじゃんけんしている。どこからでもゲームを思いつくんだなぁ。
お風呂に入ると、五右衛門風呂が3つ並んでいる。五右衛門風呂は温度が熱くて気持ちいい。横の家族は、子どもたちが手をお湯につけるが、熱くて入れないみたいだ。かけ湯で使う取手がついた桶と、幼児用の黄緑のバスタブを持ってきて、冷ましながら入っている。
お風呂上がりは飲食スペースがあり、割高なのにそこまで美味しくはない料理を頼む。かき氷のシロップはかけ放題で、子どもたちがいろんな色を混ぜて、意味のわからない色になっていた。
飲食スペースの横にはUFOキャッチャーが並んでいる。クジをとる形式で、クジであたったら、豪華賞品があたるようになっている。絶対無理、誰がやるんだろと思ったら、先ほどの親子の子どもがやっている。クジをいくつか得ることができたが、クジを開くたびハズレだ。切ない気持ちになっているのが表情でわかる。お父さんがいたたまれなくなって、31アイスクリームを買っている。
帰ろうと1階の下駄箱にいく。カップルが「大トロに、デザートの冷凍マンゴーとホイップをアレンジして、食べたら美味しいらしいよ」と言っている。明日の回転寿司は、大トロとマンゴーが売れるんだろうな。
出口にはガチャガチャが並んでいる。先ほどの子どもがガチャガチャをねだっている。どれだけお金落とす仕組みになってるんだと思いつつ、会員カードなくてもリピートしてしまう。
別に趣味もないしね。