【読書感想文⑥:ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー2】

【なぜ書くのか】

アウトプット能力のなさに絶望し、かつ仕事でもこの部分を乗り越えないと次のステージに行けないと痛感したため、まずは読書感想文を書いてみた。
目標10冊。

【書籍紹介】

ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー2

ブレイディみかこ (著)

1冊目の読書感想文で書いたのがこのシリーズ1冊目。本書は2冊目にして完結編。

久しぶりに、読みたすぎて我慢できずにハードカバーを買ってしまった。そもそもそんな本に出合えたのも久しぶりなので、感激に負けた衝動買いに近い。

【概要】

著者は、イギリス在住の日本人。イギリス白人男性の夫(ダンプの運転手。いわゆる白人階級労働者)、息子くんと三人で暮らしている。息子くんは、日本でいう中学校に進学。そんな息子くんの周囲で起こる出来事をエッセイ形式で描いている。

1冊目は、入学してからの1年間、本書はその翌年の1年間。

今回も、イギリスで起きている貧富差、人種差、移民、LGBTQ、といった問題を、いい意味で軽いタッチで詳細に描いている。ずれてるけど、本当作家さんってすごい。

【内容と感想(※以下ネタバレあり)】

もし前作を読んでいないのであれば、絶対に読んでからを、2作目を読むことをお勧めする。

本作は、著者の息子さんの成長日記という側面と、彼らの周囲に渦巻いている、イギリスが抱える格差の問題のルポタージュという側面がある。

前作に比べると、「息子さんの成長」にややフォーカスがよった印象はあるので、本作だけ読んでも十分おもしろい。

が、当然だが、なぜ著者の息子が今の中学校を選んだのかといった、登場人物の情報が省略されていて、その部分がイギリスの格差問題に対して密接にかかわってくるのだ。そこがわからなくても読み進められるのだが、イギリスで今何が起こっているのかを理解するうえで、1作目の内容をきちんと頭にいれておかないと、本作はインパクトがだいぶ薄くなる、気がする。

本作では、特に印象にのこった場面は2つ。(本当はもっとあるのだが、疲れてギブアップw)



<ルーマニアの移民が登場する章について>

著者ファミリーが断捨離(というか、配偶者のDIYやるやる詐欺で集まった大量の日曜大工用品の処分)のため、庭に徐々にごみをため込んでいく。

すると、ルーマニアの移民グループが、毎日鉄が入ったごみを集めていく。鉄くずは、売るとお金になるのだ。(ただ、配偶者いわく、「持っていく労力とガソリン代を考えると、ほとんど無駄といっていい」とのこと。)

そのうち、少しずつ仲良くなり、不要になった子供服とかも彼らに提供するようになる。ここで息子くんが”僕らのいらないものをあげていいのだろうか。本当にあげたいなら新品をあげればいいけど、それはちょっといやと思ってしまうのに罪悪感を感じる。”という話。

それに対して著者が、”今回は提供する対象がわかっているから、あげる、といった感じになって、センチメンタルな部分がはいるけど、もっと大きな視点でリサイクルとだけ考えればいいんじゃない?慈善センターへリサイクルの服を持っていくときは、そんなこと思わないでしょ?”

といった話をするのだが、1つは息子君の視点の広さに単純に脱帽した(それに対する著者の的確な返しにも)という話。

もう1つは、移民の生活の困窮ぶりに、だ。

正直相場がわからないので、間違っているかもだが、この話をきいて、ホームレスの方が、資源回収の日になると、ゴミ捨て場から空き缶だけを持っていく姿を思い出してしまった。

ルーマニアの移民は、大家族なのか、複数のグループなのか、毎日メンバーが入れ替わり、そこには小さな子供やティーン、老人なんかも含まれていて、それ(だけではないのかもしれないが)で生計を立てている状況に衝撃を受けた。

日本は島国だから、”移民”がそもそもイメージしずらい。(私が無知なだけかもしれない、、、)だから、最初は、イギリスの移民というと、アフリカ大陸の難民?という、かなり間違ったイメージ(もとい偏見?)をもってしまった。

移民の問題というと、移民は安い賃金で働かせることができる→その雇用によって、国内の労働者が職を失う、といういわゆる、、な問題を想像したのだが、まあ大枠はあっているが、そう単純な話でもないらしい。

参考URL:【ゼロからわかる】イギリス国民はなぜ「EU離脱」を決めたのか

いま、イギリスで問題となっているのが、「東欧移民」で、これは2019年のブレグジットでも大きな焦点となった。

EUが2000年代に入って東欧諸国へ拡大したことに伴って、域内自由移動の原則によって、より良い労働環境や生活環境を求め、EU圏内となった東欧から、イギリスへ移民が押し寄せたのだ。その数は、2004年~2015年までの11年間で100万人から300万人へと3倍に増加。

この2004年の東欧諸国のEU参加の際、加盟国は新規加盟国からの移民に対し7年間の就労制限を認められた。その一方で、当時のブレア首相(労働党)は、この就労制限を授けず、東欧からの移民を歓迎する政策を取ったのである。

(なお、そういった政策を行った理由は、移民は労働力として安いのが主な理由だが、イギリスが第二次世界大戦以降から、もともと移民を積極的に受け入れてきた国であり、ある一時期まで移民問題を批判するのは、多種多様な人種を受け入れない”人種差別主義者”という考え方が根強かったことも大きいようである。)

そういった移民に押し出される形で、雇用や公共住宅の確保などで競合する白人労働階級から、反EU感情が急速に高まっていったことが、EU離脱につながった要因の一つとなったといわれている。

この移民問題は、調べてみて、想像以上に根深いこともわかったし、イギリスの歴史的背景も含めた流れを知りたい方は、下記の記事等もご覧ください。

ただ、よりによって、個人的によく読む橘玲氏のコラムがヒットしてしまったので、結構偏った情報提供になっている可能性があります。

イギリスの地方都市にふきだまる「下級国民」、チャヴは蔑まれ、嘲笑される白人の最貧困層【橘玲の世界投資見聞録】

あとは著者のブレディみかこ氏は、こういった問題について複数の書籍をすでに出されている。時間をつくって読んでみようと思う。

<アフリカ系移民のクラスメイトの少女>

この少女は、昨年転入してきた息子くんのクラスメイトで、すでに1冊目で登場している。

その際のエピソードが、転入してきたタイミングで、「FGM(女性器切除)」という古い慣習に関する授業が行われ(主にアフリカ等に残る悪習らしい)、それを防ぐために、啓蒙活動の一環で授業が行われたらしい。

当然、そんなことをやると、その女の子は噂話の対象となり、たまたま著者がその子の母親と立ち話をしているときに(全く意図はなく)「休暇はどこか行かれるんですか?」と聞いてしまい、「アフリカには帰らないから、安心しな」と吐き捨てられて帰ってしまう、ということエピソードがあった。

(なお、学校側も、そのタイミングで授業をすると、そのような状況になることは当然わかっているのだが、夏休みに里帰りした際に、有無を言わさず行われてしまうのを、外堀からうめて防ぐための戦略で、致し方ない、、、という考え方らしい)

本書では、その後その女の子は不登校になってしまったのだが、校長の勧めで音楽部に入部し(息子くんも入っている)、学校にくるようになったということが明らかになった。

その後、毎年恒例のイースター休暇前のコンサートがやってくる(余談だが、クリスマス等の休暇前には、必ず定期コンサートが催されている)。様々な演奏が繰り広げられる中で、その少女はそのコンサートであまりにも目立っていた。唯一の黒人だから、どこにいるかすぐわかるから、(というのはある意味事実ではあるが、理由はそう)ではない。”少女の歌がぶっとぶほど上手かったから”だ。(観客の保護者の中には、感動で泣き出すものまであらわれるくらい、圧倒的だった)

なお、その際に歌った歌は(黒人である)サム・クックがつくった「A change is gonna come」で、(白人である)ボブ・ディランが人種差別に抗議する「風に吹かれて」という曲に触発されて作った曲だ、と校長先生が「黒人」「白人」という言葉を使わずに紹介をしていた。

コンサート後、少女の母親に「娘さん、とんでもないシンガーですね。びっくりしました」と話しかけると、「みんな上手だった。みんなで一緒に練習して、みんなでベストを尽くしたからいい演奏になったんだ。あの子はみんなの中の1人に過ぎない」という、きっぱりとした返事が満面の笑みで返ってくる。これは謙遜ではなく、この女性にとって、とても重要な言葉なのかもしれない、と語っている。

なお、この少女は、最後のほうで息子くんの親友と付き合い始めたことが明かされるのだが、この少女(とその家族)がここに至るまでに乗り越えた苦しみを考えると、読者にとっても幸せなエピソードとして感じられた。

日本でFGMを、義務教育の中で習った記憶はないし、今後もならう機会はないかもしれない。一方で、イギリスは移民が多いからこそ、様々な文化の違いを知らなければいけないし、その差が時には偏見につながる場面が多々あるのだなと認識させられるエピソードだった。

【最後に】

本書にはまだまだ興味深いエピソードがあるのだが、全体を通して描かれているのが、イギリスの低所得労働者の、苦しい現実だ。

2冊目では、印象的に使われていた言葉がある。それは、労働者として働いている大人が、「俺みたいにはなるな」と子供に叱責する場面である。

それは、著者の配偶者が息子くんに、あるいは著者の父親が子供のころの著者に、使われているのだが、彼らの生活がいかに苦しく、抜け出すのが難しいかがわかる言葉だ。

今のイギリスでは、よい教育を受けるためには、よい学校にいれなければならないが、そういった学校にいれるためには、よい学校の近くにすまなければならない。そうしてよい学校の近くは地価があがり、結局よい学校に入れるのは高所得の両親の子、というスパイラルが生まれている。

これは、決して他人ごとではなく、日本でも起こっている。まだイギリスほど顕在化していないだけで。

これから日本はどこへ向かうのか、これから日本はどうすればいいのか、を考えさせられる、そんなシリーズでした。

著者の他の作品についても、今後トライしてみたい




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