一歩なのか

長男(6さい)の療育の体験が決まった。

ずっと変だなって、なんでかなって、言いようのない違和感があって…

でも人の気持ちに敏感だし、とか、こんなこともできるし、とか、
おそらくHSCなんだろうと、いやそうかもしれないしちがうかもしれない…と、もう何が何だか分からなくなるくらいの
「たぶん」「おそらく」「きっと」を積み重ねてきた。

でも、そんな「あいまい」に疲れてしまった。

診断がつくことやほかの人と違うということ、それを恐れているのは彼ではなく、わたしで。

でも、もう向き合わざる負えない状況なんだと思う。

だって困ってるんだもん

夫や親は「そんなところに行く必要はない」
繊細なだけ。
うん、そんな気もする。
でも、もうそんな「気がする」にも疲れた。

6年間彼の癇癪や、やさしさ、がんばりに向き合った日々で、それはまぎれもなく自分を褒められる時間だ。

今もこんななんの生産性のない文章をたくさんの人に見られるであろうnoteに書き込んでいる。
でも、もうとりあえずどこかに、自分の気持ちを一旦置いておく場所が欲しいと思った。

冷静になると、
「こんなネガティブでしかないものを書いてしまって…なんと罪深い」
なんて思ってしまうから、
”この私の文章はだれのためでもない私のためのものです”。
という文と共に産み落とします。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?