見出し画像

私の進んだ道|ひかり

自分をポジティブかネガティブかで判断するとしたら、ポジティブだと思う。

あれこれ考え込みながらも、持ち合わせた鈍感さを良いように使って、美味しいものを食べている時は痛みを忘れるように、悩んだ末にはとても元気になることができる。
違う角度から見れば抜けているとも言えるのだが、それも良しとする。

ただこれは、私の現在の話である。

子供の頃から割と大人と呼んでもいいような年齢になるまでは、ほとんどネガティブだった。
いつもなんだか憂鬱な気持ちと共にあり、喜びもありのままに受け取ることができなかった。
そんな自分を好きになれないから、自分の名前までも好きになることができないでいた。
むしろ、その時の自分の状態を名前のせいにしたりもして。

そして、そのネガティブは極限へ、真っ暗闇の底へ辿り着いてしまった。
そこから上がるには高すぎて手が届かず、登る手立てもなく座り込んで、途方にくれる日々が続いた。

だけどある日、そこで何気なくもたれかかった壁がふっと動いて、隠し扉のようにぐるんと回転して新たな道が現れた。

なんとその道はルートは違えど、手が届かないと思っていた場所へ繋がっていて、しかも光でいっぱいに照らされていた。
光と闇は対極にあると思い込んでいたが、そうではなく表裏一体にあったのだ。

今思えばあの頃、見えないながらも一筋の光は手放さずにいて、それに導かれて隠し扉に出会えたのだと思う。
でも、忘れないようにしたいのは、明るい方だけが正しいのではないということ。この過程こそが尊く、あらゆる側面からギフトを受け取り、繋ぎ合わせ道を作っていく。

それから、もう一つ大きな変化があった。
いつも苗字で呼ばれることが多かったのに、この頃に出会った方達との関係性もあったのだろう、名前で呼んでもらえることが多くなった。

あんなに嫌いだった名前で呼ばれること。
不思議なのだけれど、呼ばれる度に安心を感じ、より私らしくいられるようになった。
自分を受け入れられたこともあると思うが、呼んでくださる方のあたたかさを感じられたことも大きかった。

この度も、とても魅力的なHAKKOUの仲間に出会え、開かれた場にあたたかな巡りを感じている。
リレーエッセイとして日々を綴ることは、こぼれ落ちてしまう大切な一瞬を取り逃がさないようにすること。
それは私を知っていくという行為であり、また新たな隠し扉に出会えるかもしれない。
そんなワクワクを携え、HAKKOU/リレーエッセイの一読者としても楽しんでいきたい。

目を留めてくださり、ありがとうございます。 いただいたお気持ちから、自分たちを顧みることができ、とても励みになります! また、皆さまに還元できますよう日々に向き合ってまいります。