最高の芸術とゴミの違いはファンの多さだけな気がしてきた
※追記:2018年2月4日~期間限定無料公開
(2016年2月21日追記)こんなつぶやきを見たので
過去に書いたこの月刊はあちゅう内記事を、期間限定無料公開してみます。
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●最高の芸術とゴミの違いはファンの多さだけな気がしてきた
人の好意に全力でもってお礼することは難しい…っていうか不可能だ。特に「はあちゅう」である私を応援して下さる方への恩返しというのは途方に暮れる。
そういう方々のことを形式的に「ファン」と呼ばせて頂けるなら私のファンの方に対しての正しいあり方ってなんなんだろう。そんなことをふと、ある方に相談したらすごく素敵な言葉をもらった。
その方は、私よりもずっとこの問題に多くの時間を費やしてきた方なので、研ぎ澄まされた言葉には、私のもやもやする想いへの答えが全て含まれていました。
「人が人にしてあげられることは限定的だから、物理的に出来ることは少ない。だけど、あなたが1つ上のテージで輝くことは、みんなに対しての恩返しになる。
例えば、ファンの一人一人に、ツイッターで返信や握手は出来ない。ファンと握手するために日本一周しても、それでは握手屋さんになってしまうし、何万人もの人と握手するのは難しい。
でも自分が高いステージにいければ、その人たち全員に想いを届けられる場所が増える。大きな会場でライブが出来れば、歌でお礼を伝えられる。人気番組に出れば、その人たち全員に元気でやっていることを伝えられる。
だから、はあちゅうが、一つ高いステージにいくことがその人たちへの一番の恩返しになる。」
すごく納得のいく回答だった。でも、そもそもファンってなんなのか。
「ファンっていうのは、なんでもないことに価値を見出してくれる特別な人たち。誰も欲しがらないようなものを欲しがってくれる、感謝の対象。だからこそ、ファンのことを考えると自分が輝き続けなくては、と思う」
確かに、私の文章にせよ、アーティストさんの音楽にせよ、ファンがいなければただのゴミ。サインだって、欲しい人がいればそれは価値あるものだけど、
あんなの、ただの記名した紙じゃないか。
それがお金になるのは、ひとえに好きでいてくれる人の存在があるから。
そう思った時、自分はファンの方のおかげで存在しているということが改めてわかったし、ファンとその対象というのは、お互いを支え合っているものなのだと、実感を持てました。
私は、私を応援してくれる人のために、さらにさらに、(世間にとってはではなく、自分基準で)上のステージにいかなくてはと思ったし、
この言葉に出会えたのはその言葉に触れられるステージまで自分が今まで頑張ったからだとも、ちょっと思ったりして。ステージが上がると、触れられるものの質が変わる。
月刊はあちゅうも、そろそろ300人…!
私の文章なんて、読んでくれる人がいなければただの宇宙のゴミだから、300人もの人が、応援してくれるって事実に改めて感謝しました。
私の文章に価値を感じてくれてありがとうございます。
そのおかげで、今日もいろいろ書いてみようと思いますし、読んでくれる人がいる限り、書いていこうと思います。
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