妊娠しても「子供がお腹にいる」なんてとても思えなかった

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……とまぁ、結論の出ない不公平感にはフタをしながら二つのクリニックに通院し、排卵誘発剤を何度か打った後の子作りで、私は妊娠しました。

「判定薬で陽性が出たんですけど……」と通っていたクリニックに連絡した翌日、お医者様にも妊娠のお墨付きをもらい「とはいえ、まだ安心出来ませんから」と注意を受けつつ帰宅し、約1週間後に心拍確認。思ったより、遅かったような、また早かったような気もしたけれど、とにかくお腹の中に今、生命の兆しがあるのだということは、これから始まる未知の心身の変化への不安も含みつつ、とびきり嬉しいことでした。

たった半年の妊活経験では、苦悩を語る資格はないのかもしれませんが、子供が欲しいのに授からないかもしれないつらさを味わったことは、私が本やネットで妊活を発信するきっかけになりました。それまでは、「子供を持つ」なんてことは、望めばほぼ確実に叶えられる願望で、高望みでもなんでもないと思っていました。けれど、望んでも叶えられない期間、そしてその後の、苦労続きの妊娠・出産期間は、命の尊さを改めて学べた気がします。

これまで私が乗り越えてきた「苦しいこと」の一例として、受験や就職活動を挙げるなら、それらは完全に公平とまではいかないものの、ある程度の努力が通じる世界でした。いつからいつまで何を頑張ればいいかが予めわかっているし、努力の量も自分で調整出来るし、期間も区切られている。けれど、妊活はゴールや頑張りどころが見えないのです。毎月「今度こそは出来たかも」と思って心の準備をして、それが勘違いだった時の落胆ときたらありません。いつのまにか「今度こそは」という祈りは「きっと今回も出来てないよ」という自己防衛を兼ねたマイナス寄りの確認作業になっていました。妊娠がわかるまでは、私の体に妊娠能力がないことへの不安がありました。だから、妊娠した時は「少なくとも私の体は妊娠可能な肉体なのだ」と安堵しました。――それが正直な気持ちで、その時はまだ、子供が生まれることへの感謝とか、そんな気持ちは到底湧きませんでした。それよりも、病院で何度も何度も警告された「初期流産」を恐れる気持ちが強かったです。

初期は「まだ喜ぶのは早い」と、ずっとブレーキをかけていました。心のどこかが浮足だっているような、でも、どこかでそれをおさえなければいけないと思っているのは、高校受験の時に第1志望だった慶應義塾女子高等学校に補欠合格となり、「もういっそ落としてくれたら気持ちがラクになるのに!」と思いながら繰り上げ合格を待っていた時の心境に似ていました(その後、繰り上げ合格の連絡は来ず、第2志望の慶應義塾湘南藤沢高等部に通
うことになりました)。

私の通っていたクリニックのお医者さんは妊娠判明時「おめでとう」と言ってくれなかったけれど、それは、初期流産の確率の高さから、「おめでとう」と言える段階ではないのだ、と友人から教わりました。実際、私の周りでも流産を経験している人は何人もいたし、様々な妊娠・出産エッセイを読んでいたら、著名人の方の中にも流産を経験している人が大勢いました。そんな事実を目の当たりにして、私も「たった半年でトントン拍子に事が運ぶはずはない」という気持ちが募っていきました。繰り上げ合格を待って結局ダメだった受験の時と同じように、妊娠したと思ったらやっぱりダメだったって展開じゃないかな……そんなネガティブな想像をずっと頭の中でしていました。

「今お腹にいる子がダメになったら、私の心は耐えられるだろうか……」という気持ちと、「そんなはずない。大丈夫」という気持ちが交互にきて、考えたからといって何かが変わるわけでもないのに、それ以外の思考が入ってくる余地がないほど、頭がまだ生まれてもいない「子供」でいっぱいの毎日が始まりました。

「流産するかも」と、あまりに考えたせいでしょうか。病院で下腹部のエコーを見ても、命が自分のお腹の中に存在している実感が湧きませんでした。まだ人間の形なんて全然していなくて、心拍確認の時に黒い勾玉のような影の、真ん中が小刻みに動いているのを指して「これが心臓です」と先生が言ったから、思わず涙が出たけれど、そもそもなんで涙が出るのかもよくわかりませんでした。

「子供=可愛く尊くありがたいもの」というDNAが私の頭の中にインプットされているから、まだ人間の形さえしていない状態でも、反射的に涙が出るんだろうか。そんなことを考えること自体、ひねくれているんだろうか。
でも、同時に「まだ人間の形すらしていない段階で、自然に涙が出るのだから、これって私の奥に母性というものが、眠っていたということなのかな……」とも思えました。

実感が湧いたのは、胎動をしっかり感じた妊娠6ヶ月以降です。その頃になってようやく「お腹の中に何かがいる」という感覚が「子供がいる」に変わりました。それくらいまではお腹の中に存在しているものが「子供」とは思えなかったし、思わないようにしていました。可愛くないわけではないけれど、それでもやっぱり、「子供」という言葉がしっくりこなかったし、失う可能性を考えると、「子供」という言葉を使うのが怖かったです。

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長い「はじめに」をお読みくださり、ありがとうございました。
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