見出し画像

見方を変えてみることの大切さ

はじめに

世の中暗いニュースばかりで、将来が不安。目に飛び込んでくる情報は気の滅入るものばかりで、一体どんな希望を将来に抱けるのか。そんなふうに考える人も多いと思う。しかし、自分を取り巻く世界はありのままの世界ではなく、あなたの脳が作り出した(解釈した)世界でしかない。同じ世界に行きながらも明るい希望を持つ人もいれば、絶望の淵に沈む人もいる。何事も考え方次第だといってしまえば雑すぎるかもしれないが、物事も違う角度から見てみることで異なる解釈や視野が広がることもあると示したい。

少子高齢化は悪か

日本の人口は既に減少を始めており、高齢者比率は2022年度で29.1%、世界1位の高齢国家とのこと。加えて、合計特殊出生率も同2022年度で1.27、出生数も77万人と、80万人を割り込む見込みとなっており、国全体の人口ピラミッドが上が厚く、下が薄い歪な構造となっている。この傾向は今後も続くと考えられ、ますます国の力が落ちていく。
と、ここまでだとかなり絶望的に聞こえるが、別に国の盛衰と個人の人生はダイレクトに接続されているわけではない。公務員であれば話は違うかもしれないが、サービス提供対象者が減れば提供側の人員も減るだけであって、一人当たりの収入が半分になるわけではない。勿論、国民が減ることによる国内需要の縮小は多くの国内向け産業の需要減退と業績悪化を招くこととなるが、その一方で期待できるプラスの面も見てみてはどうだろうか。
一つは、就労環境の改善があるだろう。国内向け産業は苦境に立つであろうが、日本には世界市場に向けたビジネスを営む会社も沢山ある。そうした会社は概ね大企業であり、人員プールの年齢構成を維持するために一定数の雇用機会を提供するだろう。かつては倍率100倍の人気企業も、今の若者であればその数倍容易に採用されるチャンスがある。数が少なくなることにより、能力は同じ程度でも数倍のプレミアムがついて労働市場に出ることができる。
また、日本の住宅事情はかつて欧米人から「ウサギ小屋」と揶揄されるレベルであったが、今後は人口減少に伴う空き家増加を受け(都心の一等地は別として)、より豊かな住環境を手に入れることができる可能性は高いのではないだろうか。
加えて、相続人の減少による富の集約化も付け加えることができるだろう。祖父母ともに一人の子をなし、その夫婦がまた一人の子をなした場合、潜在的には六人分の相続資産が一人の孫に集約されることとなる。田舎の土地など、いわゆる負動産を相続するケースもあるだろうが、少ない資産を巡って五~六人の兄弟が骨肉の争いをするシーンを見ることはほぼないだろう。
人口増加局面、いわゆる人口ボーナス下の高度成長期にその負の側面として過酷な競争やモーレツ社員の過労死、公害等による環境災害があり、生活面でも土地の猛烈な値上がり(バブル)とその崩壊、今と比べたら劣悪なインフラや生活家電の性能という問題があった。バラ色の古き良き時代など存在しない。経験していないことを実感することは難しいが、現在は上記の面で過去より圧倒的に勝っている。足りないものではなくあるものを数えるとは誰のセリフだったか失念したが、若者たちはかつての若者たちが望んでいたもののうち多くを生まれながらに持っているということはわかっていてほしい。

動物愛護は正しいか

ヴィーガンに代表される動物愛護の考え方が最近よく目に入るようになった。生活スタイル・考え方としてのヴィーガンについては特に異論はないし、それで本人が良いことをしている、幸福を感じるのであれば好きにしたらよいだろうというのが基本的なスタンスだ。とはいえ、肉屋を襲撃したり、チキン店の前で営業妨害をしたり、工場に忍び込んで食肉加工の現場を盗撮したりするとなると話は別となる。それはもはや犯罪だ。人間が動物より偉いというわけではなく、我々は人間同士で社会を営みそこで定められたルールに基づいて生活する以上、他人の財産や営業の権利、私有地への侵入はやはり行うべきではない。
フォアグラの生産過程を見てしまうと痛々しい気持ちになるのはわかるし、屠殺されることを察した牛の鳴き声はいたたまれないものだが、本来生きるとは他者の命を奪うことであるし、世界80億人まで膨れ上がった人口を維持するためには安価で安定した食料資源の供給は社会的要請であり、個人の倫理観を優先することはできない。
ここで、仮に動物由来食品や製品を全廃することとなると、何が起こるだろうか。https://www.globalnote.jp/post-15229.html (グローバルノート - 国際統計・国別統計専門サイト) に限定的ではあるが世界の畜産用飼育動物の頭数が載っている。動物の肉・皮革の利用全廃は、これらの動物の価値がマイナスとなることを意味する(資金回収の道が閉ざされ、給餌と世話のコストだけが残るため)。これらの動物は元々自然界に存在していた原種を人間が自身に都合の良いように品種改良したものであり、いわば人為的な存在である。日本でも繁殖しすぎた鹿による食害が問題となっているが、これらすべての動物を外に解き放つことは不可能だ。一方で、寿命を迎えるまでこれらすべての動物を生きながらえされることに耐えられるものはいないだろう。
となると、結論としてはこれらの飼育動物は全て速やかに殺処分するほかない。この展開は動物愛護主義者は気に入らないだろうが、それなら彼らが全頭対価を支払って買い取り、最期まで面倒を見ればよいのだ。

世の中は悪くなっているのか

殺人事件の件数、交通事故死者数、公害による死者は減少を続けている。自殺者数は増減しているが、こちらは失業率との相関が高いようなので、経済状況に左右されるが、ここ10年ほどは低下傾向にあるようだ。悪くなっている部分を取り上げることは容易い(平均年収の伸びとか)が、悪いところだけに着目して良くなっている部分には目をつぶるのではバランスを欠いている。空気の清浄度やインフラの充実度、労働環境の改善を加味すれば概ね個人にとっては良い方向に進んでいると言っても良いのではないだろうか。
大事なことは時代が変化し、過去通用した勝ちパターンがかつてほどの有効性を持たなくなったということを認識し、自分自身を変化に対応させていくことだと考える。

終わりに

絶望的で閉塞的な社会を嘆くツイート、未来を悲観するニュースやユーチューブ動画、それらを見たり発信したりする自分はどこにいるのか。
実家で自分に与えられた自室か、一人暮らしのアパートか、通勤中の電車の中かはわからないが、安全でそこそこの快適性と電気・通信インフラが整った環境にいるはずだ。愚痴や嘆きも心を守るために一定の効用があることは否定しないが、今一度自分が立っているものの下、先人たちが積み上げた労苦の成果に思いを馳せてみてほしいと思う。
ものの見え方はレンズ次第。上記で述べた内容もまた一人の考えに過ぎないが、ほんの少しでも新しい発見があればこれに勝るものはない。
写真はみんなのフォトギャラリーからyabusakadenez49さんの作品を使わせていただきました。タグによるとこれは朝日の写真とのことです。夕日に見えた人もいるでしょう、同じ写真を朝日と見るか、夕日と見るか。現状認識の違いに通じるものがあるように感じ、使わせていただきました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?