見出し画像

わたしの人生とthe GazettEと死生観

2024年4月16日。
わたしにとって衝撃的ニュースが飛び込んできた。
the GazettEのベーシスト、REITAの急逝だ。

この日は普通に仕事に行って普通に仕事をしてた。
疲れてきたので少し休憩しようと思って、
スマホを開いた。 

16時頃だったと思う。
the GazettEから
「大切なお知らせ」
と書かれたメールが来ていることに気づいた。

嫌な予感がした。
震える手で開いたらREITAの急逝のお知らせだった。
一瞬で目の前が真っ暗になって混乱した。
何も考えられなくなって
なぜ?どうして?それしか浮かばなかった。
心臓がバクバクして涙が溢れた。
その後3日間は1人になると泣いてた。

the GazettEはわたしの人生の一部であり、
今のわたしがいるのは彼らの音楽があったから。
REITAが亡くなったことは自分の一部が
もがれたようなそんな喪失感で今もいっぱいだ。

そしてREITAの死に触れ、
自分の人生がフラッシュバックしてきた。
この気持ちを書き留めたいと思った。

なので、ここからは題名の通り、
わたしの人生とthe GazettE、
そして死生観について書いていこうと思う。


『わたし』について

  • 1992年生まれ

  • 静岡県出身

  • 東京都在住

  • 既婚、夫と二人暮らし

  • 趣味は読書、ゴルフ、ライブ

  • 会社員

  • 性格は超インドア陰キャ、面倒くさがり

まあどこにでもいる普通の人だろう、と思う。
特に特徴も特技もないし、目立つのも嫌いだ。
通行人Aの人生を送りたいと思っている。
そこら辺にいる変哲のない人だと思ってもらえればいい。


『わたし』の死生観とは

そんなわたしの死生観は
「人間なんて簡単に死ぬ、
   だから自分の人生に責任を持ち、
   死んだ時に後悔しない選択をすること」だ。

これはどこから来ているかというと
自分が死にかけた事があるからだ。

病気の発覚

2008年5月某日。
この日も普通に学校に行き、授業を受け、
部活をやっていた。

部活中に右肋骨下が痛みだした。
よく胃が痛む体質だったので、胃だろうと思い、
薬を顧問からもらって飲んだがよくならないので、
その日の部活は早退した。

その日の夜中だった。
右肋骨下に猛烈な痛み。
布団でのたうち回った。
なんとか親を起こして救急病院に急いで向かった。

病院に着いた頃には痛みはだいぶ治まっていたが、
傍から見て分かるほど肝臓が腫れていた。
診断は「急性肝炎」
1週間程の入院が必要と言われた。
この時わたしは高校に入ったばっかりだけど、
ちょっと長い休み貰えてラッキー、
くらいにしか思ってなかった。

念の為精密検査をしましょう、と医者に言われ、
次の日あらゆる検査をした。
その時にこの状態で今まで何の問題も無かったの?
と医者に聞かれた。
はて?なんの事?と思いつつ、嫌な予感がした。

案の定、親が緊急で呼び出され、
そこで告げられた病名は
【先天性胆道拡張症】だった。

【先天性胆道拡張症】と手術と予後

先天性胆道拡張症は肝内胆管や肝外胆管もしくは両方が拡張する病態である。
病因は先天的な要因が考えられ、小児に多く、稀に成人にも見られる。
典型的なものは著しい総胆管拡張があり、嚢腫状の拡張を示すことより、総胆管嚢腫とも呼ばれる。

小児慢性特定疾病情報センターHPより

この病気は小児病であり、
通常は乳幼児で発見されることが多いらしい。
既にわたしは15歳。発見は遅かった。
そして通常の人が1cm程度しかない胆道が15cmにも拡張していた。

検査をした病院では手術が出来ない為、
転院となり、即入院、開腹手術となった。

この時に転院先の医者に
「あと少し発見が遅れていたら、
    胆道が破裂して死んでましたよ。」
と言われた。

2日前まで普通に学校に通い、普通に生活をして、
普通の健康な高校生だったのに、だ。
この時にわたしは人間って簡単に死ぬんだな、
と悟った。
この経験は死生観にかなり影響している。

手術には8時間かかった。
当初4時間程度の予定が思ったより拡張が進んでおり、手術が長引いたらしい。

この時の手術で胆道と胆嚢を切除している為、
わたしの体に現在この2つは存在していない。
胆道には切り取った空腸が代用されている。

また、20cm程の手術痕がお腹に残った。
お腹を見せる機会なんてほとんど無いし、
ビキニや腹だしファッションが着れないくらいで
特に問題は無い。

手術後は特に日常生活に問題は無いが、
経過観察が必要で、今でも1年に1回は
血液検査とエコー検査をしている。

この病気でない人より膵炎や膵臓癌などになる確率が高いと言われている。
この時点でわたしはこの病気ではない人より死ぬ確率が高いのだ。

だからわたしはいつ死んでもなるべく後悔のない人生を選択してきたつもりだ。

わたしの死生観はこの病気になった事による事と
the GazettEの曲達からの影響が大きい。

『the GazettE』との出会い

無事に退院して学校にも復帰した。
最初は上手くやっていたが、
やがて学校の人間関係が上手くいかなくなり、
学校に行くのが嫌になった。

そんな時に出会ったのがthe GazettEだった。
最初に見たのはライブ映像だった。
ヘドバンヘドバンヘドバンの嵐で、
こいつらやばいな、が最初の感想だった。
16歳の冬だった。

この頃学校生活が上手くいってなかった事に加え、
家でも両親が離婚寸前の家庭内別居になっていて、
どこにも居場所がなかった。

テレビなどで流れる明るい音楽は、
暗鬱なわたしには苦痛で、
そんな時the GazettEの歌はわたしに寄り添ってくれた。
そこからthe GazettEの音楽は、
わたしの人生を幾度となく救い、慰め、寄り添ってくれた。

『the GazettE』の音楽とは

彼らの音楽は基本的に暗い。
世界観もダークである。

歌詞は死を歌ったものが多い。
また世論に対するアンチテーゼのような歌も多い。
明るい歌はほとんど皆無だ。

それがとても心地よかった。
世間では『生きろ』『頑張れ』
みたいな歌で溢れていて心が疲弊した。

でもthe GazettEは、『死ぬな』
『辛くなったらここに来い』と歌っていた。

わたしにとって『生きろ』と『死ぬな』は
天と地ほど差がある。

個人的な解釈として
『生きろ』は前に進め、未来へ向かって頑張れ、
と言われているような気がしてしまう、

『死ぬな』はとりあえず生きてればいい、
少し休んで未来に向けて歩けるようになったら歩いていこう、と言われているような気がする。

個人的にこの差は大きいと思う。
彼らの音楽はわたしの心にいつでも寄り添ってくれた。

the GazettEとわたしの人生

the GazettEはいつでも居場所をくれた。
ライブに行けばそれまでの嫌な事を忘れて
夢中になってヘドバンして、ヘトヘトになって、
また頑張ろう、また彼らのライブを見に来よう、
そうして生きる希望をいつだってくれた。

大袈裟ではなく、彼らの音楽が無ければ
20代で死んでいたかもしれないと思う。
それほど10代後半~20代前半の10年は、
わたしの人生の中で辛かった。

彼らのお陰で生きてこれた。
産まれてきてよかったと思う事は今まで1度もないけれど、生きててよかったと思えるのはthe GazettEがいたからだ。

彼らの音楽はわたしの人生に無くてはならないし、
彼らの音楽によってわたしは生かされた。
だから彼らの音楽はわたしを構成する一部なのだ。

今までもそしてこれからも。

最後に。

正直今もREITAの死は受け入れられない。
5/27に追悼ライブがある。
そこで4人のステージをどんな気持ちで見ればいいのか未だに分からない。
でも見届ける。
もうそれしか出来ないから。
彼が最後に願った「永遠」を一緒に創る為に。
今はれいたが天国で笑っている事を願って。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?