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「大阪維新の会ファクトチェッカー」についてのコメントの補足説明

Twitterの連投(2021/2/27)に大幅加筆しました。

朝日新聞へのコメント

 大阪維新の会が始めた「ファクトチェック」と称した情報発信について、朝日新聞の取材にコメントしました。

 記事の一部を引用します(なお、朝日新聞の記事タイトルが「推進する法人は問題視」となっていますが、あくまでFIJ事務局長としての私の見解であり、FIJという組織としての公式見解というわけではありません)。

 維新の投稿は26日夜。新型コロナ感染者の濃厚接触者だとする人が「(自宅療養期間中に)大阪市の保健所からはついに一度も連絡無し」「まさに放置状態」などと2月12日に書き込んだツイートに対するものだった。アカウント名が分かる形で引用して「感染者数の爆発的増加に伴い、(療養期間中に保健所が)積極的に健康状態を聞き取る方式から、ご本人が異変を感じた際に申し出て頂く受動型に切り替えている」とした。

 維新代表の吉村洋文・大阪府知事は27日、朝日新聞などの取材に「維新として正確な情報を発信するのが不安の解消にもなる。個人攻撃をしているわけではない。言論に対しては言論で対抗するのがあるべき姿だ」と述べた。

 日本でファクトチェックを推進するNPO法人「ファクトチェック・イニシアティブ」によると、ファクトチェックには「非党派性・公正性」など国際的な五つの原則がある。楊井人文事務局長は「政党として情報発信や言説に反論する自由はある」とした上で、「大阪維新の会は政治団体であり、非党派性・公正性の原則から外れる」と指摘。さらに「ツイートの内容が事実かどうかをレーティング(真偽の判定)せず、あたかも誤情報だという印象を与えている」と問題視する。(朝日新聞デジタルより)

非党派性・公正性の原則について

 以下、補足説明です。

 まず、世界基準のファクトチェック活動では非党派性の原則があり、政党・政治団体はファクトチェックの主体になれません。政党・政治団体というものは、その本性として自らの政治的立場を擁護し、自らの影響力を拡大するという政治的目的のために活動するものだからです。

1. 非党派性と公正性
 私たち(ファクトチェッカー)は、全てファクトチェックにおいて同じ基準を用いて言説のファクトチェックを行います。一方のサイドに偏ったファクトチェックはしません。全てのファクトチェックのために同じ手続に従い、証拠をもって結論を語らせるようにします。私たちは、ファクトチェックする問題について、唱道したり、政治的立場をとったりすることはしません。(IFCNファクトチェック綱領の和訳=FIJサイトより)

 もっとも、「ファクトチェック」は一般名詞であり、ファクトチェッカーの専売特許ではありません。政党・政治団体にも表現の自由があるので「ファクトチェック」と称して広報活動・情報発信をしてはいけない、とまでは言えません。これまでにも、立憲民主党やしんぶん赤旗(日本共産党機関誌)が「ファクトチェック」記事を出したりしたことがあります。
 ファクトチェックの本場アメリカでも、2016年米大統領選でヒラリー・クリントン陣営がトランプ候補の言説を対象としたファクトチェックサイトを立ち上げたことがあります。
 しかし、これら特定の政治的立場に依拠したファクトチェックは、同じ用語を使っていても、世界標準のファクトチェック活動とは異質なものと留意しておく必要があります。

大阪維新の「ファクトチェック」第1弾について

 大阪維新の会ファクトチェッカーが第1弾として発表した検証結果をよく読むと、対象言説(Twitter投稿)に誤りがあったというわけではなさそうです。

(大阪維新の会ファクトチェッカーの投稿=2021年2月26日=より)

 対象言説の内容は、要するに、大阪市から連絡が来ると思っていたが、何も連絡がなく放置されていたことを批判する趣旨だったと思われます。
 これに対する大阪維新の会ファクトチェッカーの「説明」をみる限り、大阪市が濃厚接触者に自粛要請をした後、連絡をしていなかったこと自体は間違いないようです。

 市の対応が(説明不足も含めて)批判されるべき問題なのか、投稿者の勘違い・誤解に過ぎないのか、これは色々な意見があるでしょう。その是非は論評・オピニオンの領域です。
 本来のファクトチェックであれば、まず、投稿内容の事実関係そのものには誤りがない旨を明記する必要があったと思います。ファクトチェックのレーティングをすれば「正確」か「ほぼ正確」と判断される事案だと思われます。
 レーティング(対象言説の正確性評価)は、ファクトチェックをする上で絶対に必須というわけでもありませんが(詳しくはこちら)、対象言説を取り上げて検証する以上は、やはり何らかの評価と結論を明示すべきです。
 さもなければ、ファクトチェックでは一般的に誤情報を取り上げることが圧倒的に多いため、読者に「誤情報としてファクトチェックされたもの」だとの印象を与えてしまう危険性があるからです。
 その上で、このような対応になった経緯や他の自治体との比較に関する情報を補足説明することはいいでしょう。

ファクトチェックは「当事者の反論」と別物

 もちろん、大阪市の"政権与党"である大阪維新の会として、大阪市の濃厚接触者への対応が格別に酷いという誤解を野放しにせず、反論しておきたいというのは理解できます。
 であれば、第三者的立場で行うファクトチェックの形ではなく、党の広報活動として「反論」のコメントを出せば十分だし、その方が理解されやすかったのではないかと思います。「ファクトチェック」と称したことでかえって反発を招いているように見えます。

 FIJが推進しているファクトチェックは、特定の主義主張や党派・集団等に対する擁護や批判を目的とするものではありませんファクトチェック・ガイドライン参照)。第三者的立場から行うものであり「当事者の反論」とは異なります。

 ちなみに、かつて毎日新聞も、東京新聞の望月衣塑子記者のツイートについての検証記事を出し、一部で話題になったことがありました。
 記事で「ファクトチェック」という言葉を使っていませんでしたが、実は、これを書いたのは官邸記者クラブの中の人であり、「当事者の反論」だったことがわかっています(秋山信一『菅義偉とメディア』参照)。
 これを第三者的な「ファクトチェック」であるかのように受け取ったメディア関係者もいたようです。
 ジャーナリズムの公正性の観点からは「当事者性」を記事で明記しておくべきだったと思います。

 大阪維新の会ファクトチェッカーの投稿に対し「これは本来のファクトチェックとは言えない」という反応が多数起こったことは健全な現象でした。これを契機に、ファクトチェックの原則が再確認されたことはよかったと思います。

一般個人の投稿を検証することの是非

 ところで、今回の大阪維新の会の投稿に個人のTwitter投稿が添付されていたことについて「個人の投稿をさらしている」との批判も起こったようです。これについての私の考えも補足しておきたいと思います。

 まず、ファクトチェックにおいて、個人のTwitter投稿を検証対象にすること自体は決して珍しいことではありません。
 なぜなら、その情報発信が、公的な言論空間でなされたもので、大量に拡散するなど社会的に一定の影響を及ぼすものであれば、検証対象になり得るからです。投稿した時点で自ら公的な空間にさらしているわけですし、とりわけ今回の投稿のようにかなり拡散した場合にはより一層、すでにさらされているわけです。

 そして、ファクトチェックにおいては、対象言説を可能な限り特定することが求められます。
 さもなければ、対象言説が存在するか、どのような文脈でなされたものか、第三者が確認できず、存在しない言説を捏造してマッチポンプ的にファクトチェックが行われる恐れもあるからです。ファクトチェックにおいて「透明性」は命なのです。

 もっとも、ファクトチェックは対象言説の真偽を検証することが目的なのに、残念ながら、ファクトチェッカーの意図に反して、「誤り」などと判定された対象言説の発信者に過剰な誹謗中傷・攻撃が向かってしまう危険性があります
 政治家や著名人など実名を出して情報発信している公人は、一定の批判を甘んじて受けるべきですが(ただし、人格を貶める誹謗中傷はあってはならないと思います)、一般個人が過度な攻撃、誹謗中傷にさらされないよう配慮すべきという考え方はあると思います。
 そのため、アカウントがニックネームなど実名でないとしても、匿名化(アカウント名にモザイクをかけるなど)しておいた方がいいという考えもあります

 FIJのガイドラインでは、次のように定めています。

(2) 対象言説の表記
a. 対象言説は、できるだけ記事の冒頭において、その内容を必要な限度で引用するとともに、誰が、いつ、どこで、どのような文脈で発信したものかも、できるだけ具体的に記載するものとします。
b. ただし、対象言説の発信者を誹謗中傷から保護する必要があるときは、発信者情報を匿名化・抽象化することも認められるものとします。
c. 対象言説の内容について発信者自身が訂正・修正をしているときは、その旨を明記するものとします。

 原則は、対象言説を発信者情報も含めて特定すべきであるが、例外的に「匿名化・抽象化」を認めるという考え方です。これは、必ずそうしなければならないものというわけではなく、ファクトチェッカーの判断に委ねています。
 また、対象言説の発信者が、自ら訂正、撤回などをしたことが確認された場合は、必ず明記することが発信者に対してフェアな対応だと思います。

 以上は、ファクトチェックの考え方ですが、今回のケースは、影響力の大きな公人や政党・政治団体が個人の投稿(しかも今回は必ずしも誤情報の投稿ではない)をさらすのは妥当か、という別の論点もあるかもしれません。
 ただ、いま述べたような配慮をすべき場合があるとしても、一市民が何気ない気持ちでオープンなSNSで投稿することも、一定の社会的影響を与える可能性のある発信を公的な言論空間でさらしている行為には変わりなく、当然それに伴う責任が発生するものだと私は考えています。

「ファクトチェック」の理解が深まるように

 「ファクトチェック」という言葉が様々な形で頻繁に使われるようになったこと自体は隔世の感があり、否定すべきことでもないと考えています。
 同時に、本来のファクトチェックの理念がもっと理解され、それに基づく実践が広がることを願っています。

 世界標準のファクトチェック5大原則などについて関心がある方は、FIJが配信したばかりの、10分でわかる動画もご覧ください(入門編は3本シリーズです)。
 なんでエンマ大王が出てるかって?それは見てのお楽しみ。


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