見出し画像

臆病こそ冒険の必携品!ピレネー縦走900kmの挑戦

トレイルランニング 専門誌『RUN + TRAIL Vol.34』(2018年12月発売号)で掲載した北田雄夫さんのピレネー山脈縦走900kmの話『小心者は大冒険好き』を、加筆修正して再掲します。

画像1

 7大陸走破の次のチャレンジとして、アドベンチャーランナー北田雄夫は「総距離約900 km、累積標高6万5000m、 制限時間400時間(16日半)」 のぶっ飛んだレースへの参戦を決めていた。2017年初頭のことだ。

 彼は、ただのクレイジーなのか。1983年1月生まれの北田の素顔に追った。

スクリーンショット 2020-08-26 16.41.27


まさかの中止発表

「世界でもトップクラスの長距離山岳レースであり、自分史上もっとも難易度が高いピレネーで、どこまでやれるのかチャレンジしてみたかったんです」

 出場を決めた理由を尋ねると、北田はそう答えた。

 その名も「トランス・ピレネ ー」。フランスとスペインの国境であり、イベリア半島の付け根に連なるピレネー山脈を、東は地中海から西の大西洋までを走破するトンデモレースだ。

 ところが、レース1カ月前に突然の中止発表......。前回の参加者が主催者側を提訴したことで、 法的に開催が認められなくなったのだ。

 情報は断片的で、参加を予定していた世界中のツワモノたちの間でさまざまな憶測が飛び交う。1年半前から準備を進めていた北田は呆然とするしかなかった。

スクリーンショット 2020-08-26 16.42.28

 テントに寝袋、ウェア類にサングラス。シューズはミズノのダイチにインソールを追加したものに加え、初めて使うGPS、 浄水器、ポンチョなどを新たに準備。

 トレーニングとして6月にはイタリア山岳レース(8日間400km・累積33000m) に、7月には北アルプスで3日間に渡って走り込んだ。

 レースではないので、補給も、寝床も、緊急時のサポートもない。万が一事故が起きたらどうするのか、リスクが高すぎないか? でも、諦めたくないという気持ちが湧いてきて、悩みながらも個人でのチャレンジを決意しました


モヤモヤが消えない日々

 北田は近畿大学の陸上部で主将を務め、400mのエリート選手だった。卒業後、メーカーの一般職として就職し〝それなりに〞充実した日々を送っていた。ただ、なんとなくモヤモヤしたものを内包させたまま。 

学生の頃に陸上に傾けていた 情熱というか......このままでいいのか? って物足りなさを感じていたんです

 わずか数年で退職。〝退職記念〞で走ったホノルルマラソンを4時間43分で走り、〝それなりの〞達成感は得られたが、モヤモヤは消えなかった。その後、アイアンマンにまでたどり着くも、それでもまだ、何かが足りなかった。

 テレビ番組「情熱大陸」に出演したことで彼を知る人は多い だろう。

 2014年の中国250kmを皮切りに、チリ250km、 豪州521km、アイスランド250km、米国・グランドキャニ オン273km、南極250km、 モザンビーク216kmと、目も食らうような7大陸制覇を一気に駆け抜けた。

スクリーンショット 2020-08-26 16.42.11


小心者な意外な素顔

 どれだけ屈強で、 イカれたやつなんだ!  ぶっ飛んだ冒険を続ける彼を多くの人はそう捉える。ところが、北田の素顔は意外だ。

学生時代はひとりで飲食店に入れなかったし、今でもひとりで映画を観に行ったことがありません。ピレネーで気がついたんです。僕は暗闇と寒さが苦手なんだって。恐くなって寂しくなって、心がしぼんでしまうことに。生来の小心者なんです。

 そんな男が殻を破るきっかけになったのは〝就活〞だった。さすがに誰かと一緒というわけにはいかない。 

インターホンのボタンを押す だけで脇汗ですよ(笑)。受話器越しの第一声は『こんにちは』 か『初めまして』か、それを考えるだけでドキドキが止まらなかったです。

 生まれて初めてのひとり旅は社会人になってからの大阪から電車で数時間の和歌山だった。切符を買い、電車に乗れば自動運行のそれですら、彼にとって大冒険だったのだ。

 年末年始を利用したベトナムへの海外初ひとり旅では、年越しで大騒ぎす る喧騒のなかに駆け出し、一緒になってカウントダウンを祝うわけではなく、ひとりホテルの布団で毛布をかぶり新年を迎えた。ビビっていたからだ。 

スクリーンショット 2020-08-26 16.41.00

あのときの自分に、『10年後、 お前は7大陸制覇して総距離約900kmのピレネー山脈を縦断しているぞ!』と言っても信じないでしょうね。


一歩踏み出す勇気

ピレネーの東の端を出発して18日目、大西洋のかけらが見えた。丘の上から見えた何気ない風景だったが、「地中海から大西洋まで来た!自分の脚だけで来られたんだ!」という達成感と、全身からあふれるほどの高揚感が北田を包んでいた。

「うぉ〜! やったぁ〜!」
「終わったぁ〜!」
「やったぞ!」

 大西洋にたどり着いたとき北田は思わず叫んだ。

スクリーンショット 2020-08-26 16.41.44

 総日数は18日半。自分史上もっとも難易度が高い冒険のスタート時、20日 間は使い続けられるようバッテ リーを2kg分背負った総重量13kgのバックパックの重さはぐっと減っていた。

 ただ、これはレースではない。粗末なゲートすらなく、満面の笑みで待ち構えるスタッフも、栄光を分かち合う世界中から集まったイカれた連中もいない。ましてや到着した時刻は深夜0時。目の前は漆黒の大西洋が広がるだけだった。 

着いたはいいものの、どこか安全に休める場所はないかと思い、ゾンビのように疲れ切った脚を引きずりながら散々歩きまわって、雨にずぶ濡れになりながらコインランドリーを発見してことなきを得たとき、午前3時を回っていました。

 2018年5月、北田は大きな決断を下した。務めていた会社を辞め「プロアドベンチャーランナー」を宣言し、月末には「アドベンチャークラブ」を設立し、個人サポーターを募っている。 

こんな壮大なチャレンジができ、ゴールまでたどり着けたのは、ひとりでは到底できないことです。本当に多くの支えがあったからこそ。皆がいるから、苦しいときでも挫けずに進み続けることができるし、もっともっと頑張ろうと思えます。ありがとうございます。

 ベトナムの地でビビってホテルの布団から出られなかったあのときから何が変わったのか?

一歩踏み出す勇気を持てたことですかね。ゼロからイチ。その力を得たことは、すごく大きいことだと思います。でも、相変わらず小心者ですよ(笑)。

 ピレネー中止に心が揺れたが、より成長できる道を北田は選んだ。この先も〝日本人初挑戦〞がいくつも待ち受ける。臆病こそ冒険家にとって必携品だ。

ここから先は

0字

¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?