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ショート・ショート 「頑固親父 vs 母娘」

 私の父は、家では炊きたてのご飯しか食べない。

 小学校低学年生まで、私はどこの家の食卓も毎回炊きたてのご飯が出てくるものと思っていた。

 しかし、他所様のお宅では、どうやらそうではないらしいと気が付いたのは、お友達と色々なお話をしたり、テレビなどでそういった情報を知りだした小学校高学年生になってからである。
 つまり、炊飯器には保温機能が付いているものもあって、例えば朝食時に炊いたご飯の残りを保温しておいて昼食時にも出したり、余って冷蔵もしくは冷凍にしたご飯を電子レンジでチンして食べることもあるようだぞ、と。

 この話をタカシにしたのは、タカシのプロポーズを受けてタカシが私の実家にあいさつ・・・つまり「娘さんを下さい」とお願いに行くあの通過儀式に一緒に向かう列車の中であった。

「うっそー、すげえ。ミサトの親父さんって昭和一桁生まれとかじゃないよね。昭和40年くらいに生まれてんだよね。それでそんな人まだいるの。もうその頃には冷蔵庫とかもあったんだろうに」

「うん。今まで話したお友達とかも全員びっくりしてた。ほら、『男子厨房に入らず』ってあるじゃない。うちのお父さんってあれを地で行くような人なの。私、お父さんが冷蔵庫を開けるところも見たことないもん」

「ミサトのお母さんってよく我慢しているな。あっ、でもミサトがよければ俺もちょっと真似しようかなって。うそ、うそ、冗談だって、そんな顔で睨むなよ」

「本気で言ったなら、結婚取りやめにするから。百歩どころか1億歩譲って言うとお母さんは専業主婦、私は結婚しても働くし、子どもが出来ても育休が終われば職場復帰するつもり。家事・育児は完全に2人での分担。そういうことでタカシも了解してくれてるはずよね」

「も、もちろん。家事も育児もちゃんとやるって。でも、お父さんって相当な頑固者みたいで、俺ちょっと会うのが怖くなってきたんだけど」

 最寄駅から私の実家までのタクシーの中で、これまで以上に緊張していたタカシの心配をよそに父は私達の結婚をあっさり認めてくれた。

 しかし、私が結婚後も、そして子どもが生まれた後も働き続けるつもりだということを知って父は私の方に噛みついてきた。まったく昔ながらの頑固者なんだから。

 最悪なムードになる前に、母が間に入ってきてくれた。母はこういう間合いが昔から非常に上手な人だった。

「さあさあ、少し早いけど夕ご飯にしましょうか。タカシさんももちろん一緒に食べていってね。それにもう家族みたいなもんなんだから今日はうちに泊まっていって下さいな」

 母が目一杯頑張って用意してくれたと思えるご馳走が出て、その日、タカシはリビングのソファーで寝て泊まっていくこととなった。
 翌日、私達二人は朝食を食べた後に少しゆっくりしたところで実家を離れた。

 夕食と朝食時に炊きたてご飯が出てきた時にタカシがチラチラと私の方を見てきたことと食後の皿洗いをタカシが母に申し出た時の父の苦虫を噛み潰したような表情には笑いをこらえるのが大変だった。

 実家から乗ったタクシーの中。
「本当に炊きたてご飯だったから何かおかしくてさ、危うく笑っちゃう所だったよ、あぶなかったー。今回みたいにお客さんが来ている時とかならわかるけど、毎回ご飯が炊きたてなんてミサトのお母さん絶対大変だよね」とタカシ。

「もう、本当にうちのお父さんって頑固って感じでしょう。アップデートなんて全くなし。そうだ、私が高校出て一人暮らしするってなった時、自分は全く料理しないのになんて言ったと思う」

「女の子なんだから自炊しろよ、とかかな」

「惜しい、近いところ。自分は料理しないくせに、偉そうに『いいか、ミサト、米は洗うんじゃない、研ぐんだ』って言うのよ」

「うわっ、それすげえ。ああ、でもそれでわかった。昨日の夕ご飯も今朝のご飯もめっちゃ美味しかったもん。ミサトのお母さんってますますスゲエ、お米の研ぎ方もマスターしてるんだ」

「だから、私、その時にお母さんに聞いたのよ。お米を研ぐコツって何って」

「うん、うん。それで」

「それがね。お父さんは未だに知らないらしいんだけど、うちはずーと無洗米なんですって」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

< それから数年後 >

 私達は結婚し、娘を授かった。ヒマリと名付けた。

 今日はヒマリの2歳の誕生日、家族三人でのお誕生日会だ。

「今度の盆休み、またミサトの実家にいくだろう。いつものように大歓迎でヒマリをお姫様みたいに扱うんだろうね。でも、あのお義父さんが孫娘とはいえヒマリにあんなにメロメロになるとは思わなかったよ」

「そうね、生まれた時からどっちが抱っこするとか、抱っこの時間が長かったの長くなかったのってお母さんとヒマリの奪い合いみたいになっちゃって。で、ヒマリが少し大きくなったら、お父さんたらヒマリの相手は自分の方が上手なんだ、ヒマリが遊んでほしいのはお母さんより自分の方なんだなんていつも勝手に言ってるしね」

「それはありがたいんだけどさ。お義母さん、ちょっと大丈夫かなって思うんだよね」

「ちょっと、大丈夫かなって何がよ」

「いや、お義父さんってヒマリにはデレデレするけどさ、お義母さんには厳しいからさ。炊きたてご飯とかもそうだけど、食事作ってくれて眼の前に出されても当たり前っていうか。そもそも僕がミサトの実家に行った時に『ご馳走様』はもちろん『美味しかった』とかの感想も全くないし、何だかかわいそうで。昔からそうなの」

 私は、誕生日プレゼントのため少し奮発して買ってあげた立派なままごとセットに夢中になって遊んでいるヒマリを見ながら答えた。

「そうね、昔からそうよ。お母さんはもう諦めているんでしょうね。タカシはちゃんと料理の感想を言ってくれるから良いけど。まあ、あまり美味しくないって言われた時はちょっとムッとするけどね」

「そりゃ、僕が作ってそう言われた時も同じように思ったよ。でも、ちゃんと言ってもらえたほうが料理の腕がお互いに上がるんだから、これからも正直に感想を言い合おうよ」

「はーい。そうします。ああ、私、あなたと結婚してほんとに良かったわ。結婚前の約束どおり育休後も私の仕事を続けさせてくれて、家事だってちゃんと分担してくれてるし。このことをお母さんに言ったことがあるけど『今の若い人たちはいいわよね』ってつくづく羨ましそうに言ってたわよ。そうだ、あのね・・・」

 その年の盆休み、家族3人で私の実家に向かった。

 実家に着いて出迎えた両親を見るなりヒマリは、列車の中で私が教えたとおり「じいじー」と父に飛びついていった。

「ちょっと、ヒマリ。自分のおもちゃは自分で持っていきなさいよ」と私。

「いいから、いいから。おもちゃはじいじが運んであげよう」上機嫌の父が、今、ヒマリが一番のお気に入りであるままごとセットを家の中へ運ぶ。

 玄関前に一人残され困惑する母に、私は後で説明するからと目配せをした。

 到着してからの午後いっぱい、ヒマリとずっとままごとセットで遊んであげていた父はご機嫌そのものだった。

 そして、夕食の時間。
 ヒマリの大好物はもちろんのこと、母が目一杯頑張って用意してくれたご馳走が今夜も食卓に並んだ。

 父はヒマリを膝の上に乗せてヒマリに食べさせてあげながら、タカシとビールを酌み交わしてご機嫌そのものである。

 豪華な夕食をヒマリも周りの大人も十分に楽しんだところでヒマリが言った。
「あー、もうお腹いっぱい。ごちそうさま」

 私は母に話していた作戦どおり、すかさず母に目配せをした。

 母が2人に問いかける。
「ヒマリちゃん、おじいちゃん、今日の夕ご飯はどうでしたか」

「おいちかったー!」
 大きな声でヒマリが答えると、そのつぶらな瞳で固まっている父をじっと見つめた。

「おいちかったです」父が答えた。