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【義足プロジェクト #4】 生まれてから、ずっと「L」で生きてきた私。

この記事は、今月28日(日)に「FRaU×現代ビジネス」にも掲載されます。

 一九八〇年四月。四歳になった私は、世田谷区深沢にある世田谷聖母幼稚園に入園した。これを機に、乙武家は江戸川区西葛西から世田谷区用賀のマンションに引っ越すことになった。

 健常者の子どもたちと同じ環境で、私の幼稚園生活が始まった。ヘンテコなマシーンを巧みに乗りこなす私は、当然みんなの注目の的となった。

 入園式の当日から、電動車椅子を操作する私のあとをみんながもの珍しそうについてくる。「ヒロくん、ちょっと乗せてよ」とせがまれたりして、すぐにみんなと仲良くなれた。

 教室の中では車椅子を降りて自分の足で歩く。左右の足を交互に振り出しながらお尻で進む歩き方は、もうお手のものになっていた。

 幼稚園に入っても、補装具研究所の指導は続いていた。夏休みには、着替えの練習が始まった。先端にフックがついた棒が二本、私の肩の高さに備えつけられている。フックにTシャツの裾を引っかけて頭を抜く。その逆に、フックにかけられているTシャツに首をつっこみ、肩から胸へ、胸からお腹へと徐々にシャツを下ろしていく。ただ、あまり実用的ではなかったようで、私はいまでもひとりで衣服の着脱をすることができない。

 杖をついて義足で歩く練習、さらには義手で字を書く練習もしたが、どれもあまりうまくいかなかった。家や幼稚園なら自分の足のほうが、外に出かけるなら電動車椅子のほうが圧倒的に便利だったし、字を書くのも頬と腕の間にペンを挟んだほうが、速く、そして上手に書けた。

 そんな私の身体を異変が襲った。

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