「三本目の柱」に活路を見出した。だから、私は今日も歩く。
前回の記事では、私なりの政治に対するスタンスについて書いてみました。今回は、その続編になります。
二十代の頃から、「どんな境遇の人でも、平等なチャンスや選択肢が与えられる社会」を目指してきた私。それを実現するには、「意識」と「制度」という二本柱が重要だと考えてきました。
まずは、「意識」から。
『五体不満足』が出版された1998年当時、障害者は「かわいそうな存在」だと認識されていました。確かに障害があると不便なことが多く、それが社会的不利に直結しやすいことは否定できません。しかし、多くの人々が障害者を「かわいそう」だと認定するのには、やはり『24時間テレビ』を始めとするお涙頂戴番組が大いに影響してきたように思います。
メディアで付与されたイメージは、やはりメディアで払拭していくしかないのではないだろうか。そう考えた私は、以降、「泣けない障害者」(なんか「抜けないAV女優」みたいだな……)としてメディアに出続けてきました。たぶん、それはある程度の成功を収めたように思います。
「乙武洋匡」という存在を目にし続けたことで、「障害者に対するイメージが変わった」とのお言葉をいただくようになり、“3年前”からは「障害者にも最低なヤツはいるのだと気づかされた」とのお言葉も頂戴するようになりました。これ以上、人々の「意識を変える」には、いったい何をしたらいいのか、正直、見えていません。
次に、「制度」について。
セクシュアル・マイノリティの方々にとっての生きづらさは、多くの人々の偏見によって生み出されていることと思います。とはいえ、偏見がなくなれば生きづらさが解消されるのかといえば決してそんなことはなく、制度上の壁というものも同時に取り除いていくことが必要不可欠です。
たとえば、現在の日本では異性間の婚姻は認められているのに対して、同性間の婚姻は認められていません。生殖機能を失った男女にも婚姻が認められていることを考えても、こうした状況は不合理であり、不平等であると言わざるを得ません。
また、公教育はすべての子どもを包摂する義務を負っていますが、実際にはかなり偏りのある(あまりに規律を重んじる)教育が行われているために、そこから逸脱してしまう子どもたちが一定数、存在しています。彼らが学校以外でもしっかり学ぶことができるよう、フリースクールなどにも補助金などでサポートをすべきだという声はあっても、いまだ実現には至っていません。
いくら人々の意識が変わったところで、制度が変わらなければ生きづらさが解消されない人、チャンスや選択肢が与えられない人がいる。だからこそ、「意識」だけでなく「制度」を変えていくことも必要になるのです。
制度を変える、そして税金の配分を決めることができる唯一の職業が政治家です。だからこそ、私はある時期、政治家になることを目指しました。そして、みずからにその資格がないことを思い知らされました。
「意識を変える」は、もう十分にやった。「制度を変える」は、そのスタートラインに立つことすらできなかった。ならば、いまの私がすべきことは、いったいどんなことだろう。そんな模索をしていた時期に、私は「意識」と「制度」に続く、三本目の柱に出会ったのです。
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「乙武洋匡の七転び八起き」
https://note.mu/h_ototake/m/m9d2115c70116
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