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【乙武洋匡の教育連載 vol.1】「教育の目的とは?」

私にとって「教育」は大きな関心事であり、活動テーマのひとつでもある。2021年は、あらためて教育について学びを深め、その重要性をみなさんに伝えていく年にしていけたらと思っている。そこで、毎週火曜日は、このマガジンで教育についての記事を連載していこうと思う。

記事などと言えば聞こえはいいが、私なりに学び、考えたことをみなさんに共有していくといったイメージだ。記事を読んだみなさんからの反応に、またあらためて私が学ばせていただくこともあるだろう。そうした相互作用も期待しながら、まずは1回目を始めてみたい。

記念すべき1回目のテーマは、「教育の目的とは?」。より平たく言えば、「教育とは何のために必要なのか?」ということだ。本来、私たちが生きていく上で最も尊重されるべきものとして、真っ先に挙げられるのが「自由」だ。しかし、よく考えてみると、「教育」と「自由」の相性はあまりいいとは言えない。

自由には様々な定義や解釈があるだろうが、一般的には「他からの強制・拘束・支配などを受けないこと」を指す。とすれば、教育によって自身の変容を迫られることは、自由に反することだと受け取れなくもない。もちろん、教育を受けることでその後の自由が拡大するのだという考えもできるだろうが、少なくとも「義務教育制度」が存在し、教育を受けるか否かの選択ができない以上、やはり自由とは相容れない存在だと受け止めるのが良さそうだ。

だからこそ、はっきりさせておく必要がある。私たちが生きる上で最も尊重されるべきだと考えられている「自由」を(一時的にとは言え)侵害してでも教育を受けること・受けさせることが、なぜ必要なのか。国が国民に対して教育を受けさせることを「義務」として課しているのはなぜなのか。そこには相応の理由があるはずだ。だからこそ、1回目のテーマには「教育の目的とは?」を選ぶこととした。

さて、「教育とは何のために必要なのか?」という問いは、非常に古くから論じられているものの、いまだに明確な答えが定まっていないテーマでもある。教育の目的は「個人のため」か、それとも「社会のため」なのか。この二項対立で語られることが多く、実際にそれぞれの国で実施されてきた教育も、この両者の間で揺れ動いてきた。

【教育の目的は、個人のためである】
人間は教育を受けることで知識や教養が身につき、その結果、幅広い選択肢のなかから、より自分に適した進路やコミュニティを選ぶことができるようになる。だからこそ、私たちは教育によって幸福を得られる可能性が高まるのだし、教育の目的もそこにある——。

【教育の目的は、社会のためである】
社会が秩序を保ち、適切な状態で運営されていくには、すべての成員が共通のルールを学び、また運営にあたって必要な知識や技能を身につける必要がある。だからこそ、私たちはコミュニティを受け継いでいく次世代に対して知識や技能を伝えていくのだし、教育の目的もそこにある——。

いかがだろうか。それぞれの論旨を簡潔にまとめてみたが、こう並べてみると、どちらの主張もあながち的外れなことを言っているようには見えない。どちらも、ある程度の説得力を持っているように感じられる。だからこそ、歴史的にこの論争は何度も繰り返され、いまだ決着を見ていないとも言えるのだ。

ここからは、私自身がどう考えているかについて述べていきたい。

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「乙武洋匡の七転び八起き」
https://note.com/h_ototake/m/m9d2115c70116

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