伝えるって難しい

例えば人に何かを教えている場面で、相手を傷つけないように言葉を選んでいると、本当はしっかり注意してほしい場面だったのに軽く受け止められてしまい、なかなか直してもらえない、とか。

会いたいと相手に伝えたとき、感情ではなくスケジュール的に難しいと言われて、それは分かるし自分も重たい女になりたくないから軽く返事をするけど、私のこの寂しさを君が受け止めてくれずしてどうするんだ、と思ってしまったり、とか。

喜怒哀楽やその他の感情は、ひとりひとり感じ方や捉え方に差があるから、そこを分かりあうために言葉を介していくのだけど、この"感情"という自分にしか分からないもののせいで、上手く伝えられなかったりする。

あ〜〜そういうことを言いたいんじゃないのに!とか、寂しい気持ちを受け止めて欲しいのに!とか、頭の中で悶々とさせてしまう。

この言葉のチョイスが違ったのかな、分かりやすいニュアンスをもっと付け加えたら良かったのかな、と、数分前のやり取りに反省をする。

けど、人と人である以上、お互いが分かり合おうとしない限り難しいことはあるだろうな。
察して、というのはコミュニケーションからの逃げでもあり、一方通行の壁打ちではなかろうか。

大人になると素直になることに気恥ずかしさを覚え、ごにょごにょ…としてしまうが、これは察してと同じなのではないか。

ここで言う素直というのはわがままなことではなくて、もっとポップでキュートなものを指している。

つまり、そういうことを言いたかったんじゃないんだよ!こう思って、こう感じているからあなたに知って欲しかったんだよ!ということを、そのまま伝えたらいいのだ。

ここはもう少し頑張って欲しいな〜とか、会いたいよ〜メソメソ…では、しらねーと言われたらお終いなので、こうすると次の人が困っちゃうから準備して欲しいです!のように、事実と紐付けて説明をしたり、実際に会える会えないはさておき、会いたいと思っている気持ちをとりあえず今は全力で受け止めてください、といった、自分のその瞬間の感情を訴えるのではなく、心情を伝えるということができたらいい気がする。

なぜこんなことを書いているのかというと、つい数分前にこれをやってしまったからである。
頭では分かっているんだけどね!
繰り返さないようにメモ。