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【時事ネタ】日本に似ている朝鮮半島の歴史

前回は「なんで韓国は日本と揉めるのか」というどストレートな記事を書きましたが、あまり感情的なところは触れたくないんですよ。

なので今回は、もっと客観的な朝鮮半島の歴史のお話。みんなそういうのすっ飛ばして揉めるのは良くないと思うんだよね。

李氏朝鮮時代

まず李氏朝鮮りしちょうせん時代後期から入りたいと思います。李氏朝鮮による統治は19世紀後半ごろまで続いていました。この頃の朝鮮は日本で言えばちょうど江戸時代末期にあたります。

朝鮮半島を統一した王政国家で、かつ中国(当時は清)の冊封国さくほうこくでもありました。江戸幕府と同様に鎖国政策を布いており中国と日本、ロシアくらいしか交易がなかったといいます。

当時の為政者や国民のほとんどが海外の知識を否定しており、それでも自分たちが時代遅れになっていることにも気づいていなかったと思われます。この辺りは日本とも似ていますね。また道徳の基準は儒教です。江戸時代も朱子学しゅしがく(儒教の一つ)のみが認められている時代であり、やはり似ていますね。

当時の朝鮮半島には厳しい身分制度があり、両班ヤンバンと呼ばれる貴族階級があり国民に対する差別は酷かったといいます。平民が学を修めることを禁止することで反乱を抑止していたのではないかと言われています。そのため当時の平民の識字率は0に近かったと言われています。

また、国土に対して人口は少なく土地も山林も余っていたため、灌漑工事や植林などは行われず、自然環境をそのまま消費していたと言われています。

大韓帝国の成立は日本と中国が理由

日本の江戸末期のように李氏朝鮮は欧米各国や日本と不平等条約を結ばされることになります。さらに日本の明治維新の影響を受け、鎖国中の李氏朝鮮でも清の冊封国でありたい保守派と開国派の対立が始まります。

その結果、日清戦争が始まり、日本が勝利します。これによって李氏朝鮮は冊封国ではなくなり自主独立国となりました。なぜかロシア公使館に逃げ込んでいた高宗が皇帝に即位し、大韓帝国が成立しました。

ちなみにこの日清戦争で台湾は清から日本に割譲されています。

日韓併合とは

朝鮮半島の付け根にあたる満州は清からロシアに割譲されたり、日露戦争があったりで、朝鮮半島の周辺は世界各国から狙われる領土となりました。開国に出遅れた大韓帝国は翻弄されるばかりでした。

そんななか日本はアメリカと桂タフト協定、イギリスと日英同盟、ロシアとポーツマス条約を結び、発言力をつけてきました。

そして不安定な政情で発展もままならない大韓帝国の帝位を廃止し日本の管理下に置くこととし、列強各国もこれを了承しました。まずは行政や教育を先進国並みに近代化させなければなりません。農業や工業を発展させることで朝鮮半島の経済が回ります。また生産品は日本国内でも流通するようになります。

教育に力を入れようとしたのは、おそらく明治維新直後だったからでしょう。当時、庶民が学を修める必要をよく知っている維新志士たちが日本の中枢にいたことが大きかったと思います。

これが日韓併合です。このように当時はWIN-WINの関係で、半島の知識人の中では日本による管理を望んでいる大きな勢力もありました。もちろん反対派もいましたし、併合後にも解放を望む声もありました。

大韓民国の成立まで

第二次世界大戦後、日本は朝鮮半島を放棄しました。そのため、空白地になってしまう朝鮮半島を連合軍が管理し、国のない状態が続きました。

その3年後、いつのまにかソビエト連邦になったロシアとアメリカの間で冷戦が始まったその影響を受けて、共産圏の支援を受けた朝鮮民主主義人民共和国と資本主義圏の支援を受けた大韓民国が相次いで建国されることになりました。

つまり冷戦の影響下で、空白地になった朝鮮半島に国家が成立し、朝鮮半島人による統治を取り戻したということです。

植民地とは

上記の説明では、併合と書き、あえて植民地と書きませんでしたが、広義で捉えれば日韓併合も植民地化に他なりません。なので『植民地化ではない』という議論は不毛だと思います。

ただ、その統治が土地を痩せさせるものだったか開拓するものだったかは大きなポイントだと私は思います。

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