【時事ネタ】ウクライナ事情について触れてみる

正直なところ、人の生死に関わることであり、迂闊には書けない内容でああるけど、時事ネタとしてこれほど大事なものもないだろうと思い触れてみることにしました。

直接の理由は当事者でもどれだけ客観的に表現できるかわからないので、この記事ではなるべく背景の部分に注目したいと思います。

人種

ウクライナのある土地はいろいろな人種に治められてきたらしい。もともとは平原でありスキタイ人が住んでいた。そしてどちらかというとギリシャやローマ帝国の影響を受けていた。

それからいろいろあってスラヴ民族がキエフという街を作ったらしい。国の名前はルーシといったらしい。その後、北から北欧のバイキングが攻めてきてキエフ大公国を建国した。キエフ大公国は今のウクライナより広くモスクワも治めていた。その後、南からやってきたモンゴル帝国に支配されることなった。

さらに中世には西側のポーランドやリトアニアに侵食され、モスクワを中心にモスクワ大公国も建国された。これが後のロシアになる。

第一次世界大戦のころ、ロシア帝政が終わり、ウクライナも国家を樹立するが、東側に成立したソビエト連邦の圧力を受けるようになる。結果的に傀儡政権が発足し、最終的にはソビエト連邦の国家となる。

第二次世界大戦でも東西が衝突する戦場となったが、ソ連の崩壊とともにウクライナとして独立した。

つまり東西南北すべての方角から占領されたことのある土地で、多民族であることが普通の土地だという。その結果、多くの混血もあり、美人の多い国ともいわれる。

軍事

第二次世界大戦後、西欧は北大西洋条約機構(NATO)を、東欧(ソ連を含む)はワルシャワ条約機構を発足させ対立することとなった。冷戦となり東西の軍事バランスが保たれた。

皮肉なことにアメリカ合衆国とソビエト連邦の対立が収まってくると東欧各国で革命が起こり共産主義政権が倒され始めた。そしてソビエト連邦も崩壊していった。

東欧各国はNATOそして欧州連合(EU)に加盟していった。バルト三国とベラルーシ、ウクライナがロシアとヨーロッパを分ける境界線となった。しかし2004年にはバルト三国もNATOに加盟。NATOを敵対視するロシアにとってはベラルーシとウクライナは絶対に落とせない防衛線となる。

この新たなバランスで冷戦は続いていたということになる。

経済

社会主義•共産主義は決して間違った思想だとは思わない。しかし信用経済が主流の今、民主主義•資本主義国家のほうが確実に経済力がある。多くの内戦は民族主義を標榜していることが多いが根本には貧しい生活を改善したい思いもあるのだと思う。

ウクライナもまた東欧で最貧国レベルである。農業大国であり、ソ連時代には重工業も盛んで独立後はIT大国でもあるが、経済構造の変革が上手くいかず、何度も危機を迎えている。そうなると他国と揉めるより援助を引き出したい、ということになる。

現政権はそういった背景から西よりに舵を切り、まずはNATOによる軍事支援に期待したのだと思う。

しかし積極的に支援してくれないNATOに見切りをつけるかもしれない。

地名

おまけですが、ウクライナの中世の国名ルーシはベラルーシのルーシでもあり、ロシアの語源でもある。

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