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「休日の午后の漢詩」 デジタル詩画集  全40点 ──時を忘れる閑雅な世界

漢詩には、のどかで親しみやすい詩がたくさんあります。
今回、私の好きな詩から40点、絵にしてみました。
山水画や水墨画風ではなく、あえて現代風に、単純化した線と面で構成した、モダンアートのデジタル画として描きました。
詩のさし絵ではなく印象で描いていますので、内容が多少異なる絵もあります。
私にとって、未知の表現を試みる、新鮮な体験でした。
ご興味をもってご覧いただけたら幸いです。



1
春日憶江上       しゅんじつ こうのほとりをおもう

一川流水半村花     いっせんの流水 半村の花
舊屋南隣是釣家     旧おくの南どなりは これちょうか
長記帰篷載春酔     とこしえに記す きほう春酔をのせ
雲籠残照雨鳴沙     雲 残照をこめ 雨 いさごに鳴りしを

高啓


あの春の日の川のほとりの思い出

川いっぱいに流れる水、村半分は花でうずまっている。
むかし住んでいた家の、南どなりは漁師の家だった。
いつまでも忘れられないのは、ほろ酔い気分の帰りの小舟で、
雲が夕日をとじこめ、河原の雨音が高かったあの日のことだ。

*篷=ほう=小舟
高啓は水辺の田園風景を平易に書いた詩をいくつか残しています。
のんびり、ゆったり、思わず深呼吸したくなります。



2
江村即事          こうそんそくじ

野岸江村雨熟梅       やがん江村 雨に梅熟し
水平風軟燕飛回       水平らかに風柔らかく 燕飛びめぐる
小舟送餉荷包飯       しょうしゅう しょうを送る かほうのはん
遠旆招沽竹醞醅       えんはい 招きうる ちくうんのばい      

高啓


川沿いの村の風景

川ぞいの村の雨あがり、野の梅が熟している
おだやかな風のなか、水面はとろんと平らかで、燕が飛びまわっている
手前の舟は、はすの葉でくるんだ弁当を売っていて、
むこうの舟は「竹焼酎はいかがー」と呼んでいる


*餉=しょう=べんとう
荷=か=はすの葉
旆=はい=旗=酒屋の看板
沽=うる=売る
醞=うん=酒を醸したもの
醅=ばい=どぶろく

酒飲み、のん兵衛には、たまらない
天国のような詩です。
今でも、東南アジアの国々などでは、
運河に小舟を浮かべ、食べ物など売っている風景を
時々見かけますが、
アウトドアで、広い水上で、
ボートを浮かべて、飲み食いするのは、
なんとも楽しそうです。
これは今も昔も変わりませんね。



3
出郭舟行避雨樹下    かくを出でて舟行し 雨を樹下に避く

一片春雲雨満川     一片の春雲 雨 川に満つ
漁蓑欲借苦無縁     ぎょさ借らんと欲するも ゆかりなきに苦しむ
多情水廟門前樹     多情なり 水廟門前の樹
遮我孤舟半日眠     我が孤舟半日の眠りをかくす

高啓


町を出て舟で川を下り、樹の下で雨やどり

ひとひらの春の雲が見えたと思ったら、雨がザーっと降ってきた。
雨具を借りたいけど、知った人もいない。
ありがたいのは、水神様の門の前の樹。
この樹の下で雨宿り、半日、昼寝させてもらったよ。


*私の住む横浜郊外の近くの公園の池のほとりにも、
小さな祠(ほこら、やしろ)があります。
やはり周りは大きな樹でかこまれています。
こういう文化は、古典の時代も現代も変わらず
あるんですね。
しかしまあのんびりした詩で、
肩の凝りもほぐれていきます。



4
初夏江村          初夏のこうそん

軽衣軟履歩江沙       軽き衣 やわらかき靴 こうさにあゆむ
樹暗前村定幾家       樹暗く 前村さだめていくばくの家
水満乳鳧翻藕葉       水満ちて にゅうふ 蓮の葉をひるがえし
風疎飛燕拂桐花       風まばらに 飛燕 桐の花をはらう
渡頭正見横漁艇       ととう まさに漁艇を横たえるを見る
林外時聞響緯車       林外 時に聞く いしゃの響くを
最是黄梅時節近       もっともこれ 黄梅の時節近し
雨餘帰路有鳴蛙       うよの帰路 鳴ける蛙あり

高啓

Tシャツ、Gパン、スニーカーで 河原の砂を歩けば
木陰のむこうに なん軒かの家
たっぷりした水に 鴨のひなが 蓮の葉をゆらして遊び
そよ風に つばめが 桐の花をかすめて飛ぶ
船着き場に ボートが横になって置いてあり
林のそとでは 糸車の音がする
そういえばもう 梅の実も色づく季節だなあ
雨上がりの帰り道 かえるが鳴いていた


*今回、現代風に超訳してみました。
「源氏物語」や「般若心経」の超訳というのを
見たことがありますが、
やってみると、けっこう楽しいものです。
この詩、しっとりと柔らかな初夏の情感がたまりません。

詩から絵を創作するようになって、
私の画境は、おおきく広がりました。
久しく忘れていた、
キャンバスとアクリル絵の具の匂いが
ただよってきました。



5
偶睡            ぐうすい

竹間門掩似僧居       竹間 かどとざし 僧のすまいに似たり
白豆花疎片雨餘       白とう 花まばらに へんうののち
一榻茶煙成偶睡       いっとうの茶煙 ぐうすいをなす
覺来猶把読残書       さめ来たればなおとれり 読み残せし書

高啓

竹やぶのなかで門をしめているので 坊さんのすまいみたいだ
にわか雨がぱらついて 白豆の花がちらほら
茶を煮る煙がただよう長椅子で うたた寝し
目が覚めたら 読みかけの本をまだにぎっていたよ


*偶睡=昼寝、うたた寝
片雨=とおり雨、にわか雨
榻=とう=長椅子、カウチ
まったり派の代表的詩人高啓の作品です。
回りにあるものは、竹林、小雨、花、茶の香り、
そしてカウチで読書とうたた寝。
我々現代人には、一服の清涼剤です。



6
尋胡隠君        こいん君をたずねる

渡水復渡水       水を渡り また水を渡る
看花還看花       花を見 また花を見る
春風江上路       春風 こうじょうのみち
不覚到君家       おぼえず君が家にいたる

高啓

引き籠っている胡君をたずねた

川を渡り また川を渡り
一面の花の原を見て また一面の花の原をみた
はるかぜ吹く 川の土手を歩いていったら
いつのまにか 君の家についたよ


*すてきな田園詩をのこしている高啓の詩です。
情報も交通機関も発達した現代、
こんな気が遠くなるほどのんびりした時間、一日は、
なくなりました。
この詩、繰り返しを重ねる素朴さが、
いい味をだしていますね。



7
題雑画其八       絵を見て その絵に詩を書きつけた 第八編

橋廻緑水斜       橋をめぐりて 緑水ななめに
春樹隔煙霞       春の樹は えんかをへだつ
隠処誰云浅       いんしょ 誰が浅しと言うや
千峰只一家       千峰 ただ一家のみ

高啓

橋のまわり 曲がりくねって 青い谷川の水が流れる
かすみの向こうに春の樹
わび住まいを 誰が里に近いというのか
無数の峰々の奥の 一軒家


*絵を見て、その絵に詩を書いた高啓。
その高啓の詩を見て、絵にしました。
元々の絵をぜひ見てみたいものですが、
私は詩を忠実に絵に置き換えているわけではないので、
たぶん、かなり違うイメージでしょう。
古典の水墨画を、現代のデジタル画で描くという試みを、
このところ続けています。
そっくり模写するのではなく、一部モチーフ
(S字形の水の表現、層状に描く山々など)
を取り込み、
現代の絵画に仕立てるのは、楽しい作業です。



8
大癡小画        だいちのしょうが

渓水雖多曲       渓水 曲多しといえども
舟行不憚賖       しゅうこう 遠きをはばからず
山山秋樹赤       山々の 秋樹の赤きは
猶復似桃花       なおまた 桃花に似たり

高啓


画家黄大癡の画につけた詩

渓谷が曲がりくねっているが
遠くてもかまわず 舟をすすめる
山々の秋の樹が赤く
まるで桃の花が咲いているようだ


*秋の行楽の詩です。
今風にいえば、カヌーで渓谷の川下りです。
紅葉した山々を眺めながら
どこまで行くのでしょうか。

この絵、今回も川のS字曲線に挑戦です。
古典の山水画のスタンダードなモチーフを、
現代の絵画にとりこみ、
一本でも線をへらし、ぎりぎりまで単純化し、
最小の表現とすることを心がけて描いています。



9
題雑画其七      雑画に題す その七

夕陽数峰遠      せきよう 数峰遠く
靄靄江南思      あいあいたり 江南の思い
煙外有鐘声      煙外 鐘声あり
山僧独帰寺      山僧 ひとり寺に帰る

高啓

遠い峰々に 夕日が沈む
おだやかに暮れなずむ 江南の地
夕もやの外 鐘のひびき
山の坊さんが一人 寺へ帰っていく


*高啓らしい、おだやかで平安、心静まる詩です。
私の弟は、となりの区に住んでいるのですが、
朝晩、寺の鐘の音が聞こえるそうです。
まるで「日本むかしばなし」の世界のようですが、
先日、その寺の場所をさがしあてたといっていました。
やはりお坊さんが鐘をついていて、
毎日、ぴたり定刻だそうです。



10
過山家          山家を過(よ)ぎる

流水聲中響緯車      流水声中 緯車響き
板橋春暗樹無花      板橋 春暗く 樹に花無し
風前何処香来近      風前 何処か 香の来ること近き
隔崦人家午焙茶      崦(えん)を隔て 人家午(ひる)に茶をあぶる

高啓 

流れる水音にまじって 糸車の音がする
板橋のあたり 春ほの暗く 樹には花が咲いていない
風にのってどこからか いい香り
小山のむこうの家で この昼時 茶をほうじているようだ


*今回のこの絵、ちょっと線の描き方を変えてみました。
できるだけ直線的に描いてみたのです。
最近、書道展をよく見ています。
もちろんパソコン上での話ですが、
すばらしい書家がたくさんいるんですね。
80%の書は読めません。
知った漢詩や俳句があると読めますが、
読めなくても線、形、余白の美しさは感じます。
白黒のアートとして鑑賞すれば楽しめます。
書に影響されて、私もちょっと
未知の表現にトライしてみたのです。
こうして毎回、さまざまな詩を絵にしていくと、
すこしずつ自分の表現も広がっていくようです。



11
舟次丹陽駅       舟にて丹陽駅にやどる

沽酒来尋水駅門     酒をかわんとして 来たり尋ぬ 水駅の門
隣船灯火語黄昏     隣船の灯火 たそがれをつぐ
今朝始覚離郷遠     今朝 始めておぼゆ 郷を離るること遠きを
身在丹陽郭外村     身は丹陽郭外の村にあり

高啓

酒を買おうとして 水路の船宿の門をたずねたとき
隣の船の灯が たそがれを物語っていた
今になって はじめて くにから遠くまで来たと思った
この身は 丹陽の町の 壁の外の村にいるのだから


*高啓が、運河を船旅して南京へ行く途中の作だそうです。
日本でも「道の駅」なんてありますが、
「水の駅」もいいですね。
酒を買おうとして、ふらりと舟をおりたときの詩でしょうか。

絵は、舟の灯火は少々描きにくいので、
家の明かりに代えています。
酒をバックに入れて、
ちょっと船旅なんてしてみたくなりました。



12
夜雨寄北                       夜雨 北に寄す

君問帰期未有期    君は帰期を問うも 未だ期あらず
巴山夜雨漲秋池    巴山(はざん)の夜雨 秋池にみなぎる
何当共切西窓燭    いつかまさに共に西窓の燭(しょく)を切って
却話巴山夜雨時    さてしも話すべき 巴山夜雨の時を

李商隠

いつお帰りになりますの、そうたずねる手紙があなたから来た。
でもまだはっきりしないんだ。
いま私はここ巴山のふもとの田舎旅館にいるが、
秋の長雨が夜も降り続き、前の池は水が満々だ。
いつになったら帰って、居間の西窓のまえで、
ローソクの芯を切るほど夜おそくまで、
二人して語り合えるだろう。
そのとき、ここ巴山での雨の話をするよ。

*遠くはなれた妻からの手紙に、返信の詩です。
秋の夜の、しっとりとした長雨をバックに、
静かなピアノ曲が流れてきそうな詩です。




13
霊巌寺          れいがんじ

館娃宮畔千年寺      かんあいきゅうはん 千年の寺
水闊雲多客到稀      水広く雲多くして 客のいたること稀なり
聞道春来更惆悵      きくならく しゅんらい更にちゅうちょう
百花深處一僧帰      百花深きところ 一僧の帰る

白居易          はくきょい


いにしえの宮殿 館娃宮のほとりにある 千年もの古い寺
水郷が広々とひらけ 雲が多く 訪れる人は少ない
聞けば 春になったら さらにものわびしく
百花がふかぶかと咲きみだれるところに
一人の僧が帰ってくるだけだという


*遠いいにしえの時代、辺境の物寂しい風景が逆に新鮮です。
絵は新旧2点描きました。
最初の作品と今回新規に描いたものです。
しばし喧騒のちまたを忘れ、
静寂の別世界にさそわれます。



14
山中與幽人對酌       山中幽人と対酌す

両人對酌山花開       両人対酌すれば 山花開く
一杯一杯復一杯       一杯一杯また一杯
我酔欲眠卿且去       我酔うて眠らんと欲っす 君しばらく去れ
明朝有意抱琴来       明朝 いあらば 琴をいだいて来たれ

李白

二人でむかいあって酒を飲んでいると 山の花が開いた
一杯一杯また一杯
わたしは酔って眠くなった 君はもう帰れ
あすの朝 気がむいたら 琴を抱いてまた来たまえ


*この詩は、酒好き李白の有名な作品ですね。
幽人というのは、世を避けて山奥に住んでいる人だそうです。
まあ酒でも飲んで、歌でも歌って、気楽にいこうぜ、
といったところでしょうか。



15
辛夷塢         しんいう

木末芙蓉花       木末の芙蓉花
山中発紅萼       山中 こうがくをはっす
澗戸寂無人       かんこ せきとして人なく
紛紛開且落       ふんぶんとして 開きかつ落つ

王維

こずえの はすの花のような木蓮が
山中に 紅いはなびらを開いた
谷川ぞいの家の戸口は ひっそりとして人のけはいもない
紅い花だけが ただ 咲きみだれ 散りみだれている


*木蓮の花は、いわゆるイタリアンレッドのような真っ赤
ではなく、赤紫のちょっと抑え気味の紅色です。
花が大きいので、満開の時はみごとです。
人がいてもいなくても、花は咲いて散っていきます。



16
鹿柴         ろくさい

空山不見人      空山 人を見ず
但聞人語響      ただ 人語の響きを聞く
返景入深林      返景 深林に入り
復照青苔上      また 青苔の上を照らす

王維

山中に 人の姿はなく
ただ 人の話し声だけ聞こえ
夕日が 林の中にさしこんで
青い苔を 照らしている


*鹿柴=鹿よけの柵
返景=夕日の照り返し

静かな詩です。
人声が聞こえるので、
そんなに山奥ではなく、
近くの里山といったところでしょうか。
私の住む横浜市近隣、ちょっと歩けば自然公園があり、
林や森、池があります。
天気がよい午后、自転車で一回りしています。



17
田園楽          田園楽

桃紅復含宿雨       桃の紅は また しゅくうをふくみ
柳緑更帯春烟       柳の緑は さらに しゅんえんをおぶ
花落家僮未掃       花落ちて かどう いまだはらわず
鶯啼山客猶眠       鶯ないて 山客 なお眠る

王維

あかい桃の花は、また 、よいごしの雨にうるおい
緑の柳は 、さらに春のもやにかすんでいる
花が散っているが、子供はまだ掃いていない
鶯がないているが、村人はまだ目をさまさない



*田園詩人王維の代表的な詩です。
のどかで牧歌的な、春の朝をうたっています。
寒さも去った、春4月ごろの情景でしょうか。



18
江南春

千里鶯啼緑映紅      千里鶯ないて 緑くれないに映ず
水村山郭酒旗風      水村さんかく しゅきのふう
南朝四百八十寺      南朝 しひゃくはっしんじ
多少楼臺烟雨中      多少のろうだい 煙雨のうち

杜牧

千里のかなた 鶯が啼きわたり 木々の緑に 花の紅が映え
水辺の村も 山の村も 酒屋の旗が 風にゆれている
南朝の 四百八十の寺々が そこここに
いくつかの塔が 春のしっとりとした雨に かすんで見えている

*杜牧の有名な詩です。
春たけなわの情景、緑と花のあざやかな対比、
冬の寒さは去り、夏の暑さはまだ始まっていない、
四季のなかでもっとも初々しい季節。
古典の川のモチーフと古典にはない色彩を組み合わせ、
ちょっとクレー風の絵にまとめてみました。



19
秋日

返照入閭巷       へんしょう りょこうに入る
憂来誰共語       憂いきたって 誰と共に語らん
古道少人行       古道 人の行くこと少なく
秋風動禾黍       秋風 かしょを動かす

耿湋          こうい


夕日が村里を照らしている
愁いがこみあげてくるが 誰と語り合おう
古い道は 行く人もなく
秋風が 稲やきびの葉をゆらすだけ


*閭巷=りょこう=村里、ちまた
禾黍=かしょ=稲ときび
寂びたおもむきの漢詩です。
芭蕉の 「この道や 行く人なしに 秋の暮」
と同じような感じですね。
このような寂寥感は、現代の、都会に住む我々にとって
逆に新鮮に感じます。
絵は、畑の刈り残しのきびの葉を前面に大きく配置、
背景にさびしい小道を描きました。
この詩の雰囲気を伝えられたかどうか・・・



20
竹里館

独坐幽篁裏       独り坐す ゆうこうのうち
弾琴復長嘯       琴をはじき 又ちょうしょう
深林人不知       深林 人知らず
明月来相照       明月来たりて あい照らす

王維

ひとり 竹林の中に坐り
琴をはじき また歌を唱う
竹林の この美しさを だれも知らない
明月だけが訪れて照らしてくれる


*幽篁=ゆうこう=奥深い竹やぶ
長嘯=ちょうしょう=口をすぼめて息ながく歌う
現代だったら、カラオケボックスで、
ひとりボーカル、あるいはギターで弾き語り、
といったところでしょうか。
竹林という、自然の中の個室で歌うところがすてきです。
竹林の中は独特の雰囲気があります。
いちめん緑の別世界で、緑の縦縞模様の抽象画の中に
入り込んだような気分になります。
絵の中の酒セット、これは私個人の好みで描き入れました。
こんな時、かるく一杯いかなくちゃね。



21
楓橋夜泊         ふうきょうやはく

月落烏啼霜満天      月落ち カラスないて 霜天に満つ
江楓漁火対愁眠      こうふう ぎょか 愁眠に対す
姑蘇城外寒山寺      こそ城外 寒山寺
夜半鐘声到客船      夜半のしょうせい かく船に到る

張継

月は沈み カラスが啼き 霜が満天に
河むこうの楓ごしに漁火が 眠れぬ目にまたたく
姑蘇の城外 寒山寺から
明け方の鐘の音が 客船にとどいた


*姑蘇=蘇州の古名
人口に膾炙した、有名な詩です。
日本人に最も好まれた漢詩のひとつではないでしょうか。
私も旅先の旅館の掛け軸で、この詩の書をみたことがあります。
絵心を誘う詩で、いままでに多くの絵が描かれたことでしょう。

月が落ちて沈んでしまったのに、この絵では丸々と描いてますが、
この月のワンポイント効果がおおきく、ここは詩と異なります。
また夜半なら、まだ真っ暗なはずですが、それだと絵にならないので、
詩の内容の忠実な説明画ではなく、
独立した絵として自由に制作しています。

蘇州の動画をみると、
運河をはさんで両岸に居酒屋などが、赤い提灯をたくさんかかげ、
太鼓橋の下を小さな舟が行きかい、まさに東洋のベニスです。
旅情を誘う風景は、まだまだたくさん絵が描けそうです。



22
尋隠者不遇        隠者を尋ねてあえず

松下問童子        しょうか 童子に問えば
言師採薬去        言う 師は薬をとりに去る
只在此山中        ただ この山中にあらん
雲深不知処        雲 深くして ところを知らず

賈島           かとう


松の木陰で 隠者に仕える子に、
「師匠はおられますか」と聞くと、
「師は 薬草取りに出かけました。
この山中におられるのですが、
雲が深いので どこかわかりません」
と答えた。


※むずかしい漢字もなく、
すんなりとわかりやすい詩です。
最後の 雲が深くて、どこにいるかわからない、
の句がぼうようとして、私は好きです。

その問題の「雲」を、この絵では、
山水画、大和絵などでスタンダードにつかわれる
表現スタイルで 描いてみました。
また、松の木も山水画的に描いてみたのですが、
今回、いろいろ画集をながめて、
古典の絵画では、樹木の種類をはっきり描き分けている
ことがわかりました。
「松」「竹」「梅」「芭蕉」「柳」その他いくつかの常緑樹、落葉樹。
古典的モチーフをどう現代に取り込むかが、
当面、わたしの課題です。



23
山行           さんこう

遠上寒山石径斜      遠く寒山にのぼれば 石径斜めなり
白雲生処有人家      白雲生じるところ 人家あり      
停車坐愛楓林晩      車をとどめて そぞろに愛す 楓林のくれ
霜葉紅於二月花      霜葉は 二月の花よりも紅なり

杜牧


山歩き
ひとけのない山に登れば 石ころの坂道が続く
白雲の湧くあたりに 人家が見えた
車をとめて 楓の林を眺める たそがれ時
霜でいっそう色づいた紅葉は 春の花よりも赤く見える


*この漢詩も教科書に載ってそうな有名な詩です。
ちょっと季節がずれてしまいましたが、晩秋の景色です。

白雲のモチーフ、だいぶ描きなれてきました。
白雲には、俗気を離れた仙境という意味があるそうなので、
隠者のすむ家は、画面上の隅にちいさく配置しました。
詩の時間帯は晩ですが、この絵ではもうちょっと手前の、
まだ明るい午后あたりの感じにしています。



24
江村         こうそん

清江一曲抱村流    清江一曲 村を抱いて流れる
長夏江村事事幽    長夏江村 事事しずかなり
自去自来梁上燕    おのずから去り おのずから来る 梁上の燕
相親相近水中鴎    あい親しみ あい近づく 水中の鴎
老妻画紙為基局    老妻 紙に画いて基局をつくり
稚子敲針作釣鈎    稚子は 針をたたいて釣鈎を作る
多病所須唯薬物    多病 まつ所は ただ薬物
微躯此外更何求    微躯 このほかに 更に何を求めん

杜甫


澄んだ水の川が 大きく曲がって 村を抱くように流れる
日ながの夏の一日 川辺の村は 事もなく静かだ
天井の梁に 燕が行き来する
川で遊ぶ鴎が きままに こちらにやって来る
老妻は 紙に碁盤を描き
こどもは針をたたいて 釣り針を作っている
私は病気がちで ただ薬だけ必要だ
この衰えたからだ あとは何もいらない


*憂愁の詩人杜甫の詩です。
夏の盛りの 時の止まったような静かな午后の情景でしょうか。
私が最初にこの詩に接したのは 高校生の頃でした。
最初の2句が大好きで これだけで一幅の絵になります。
私の絵も、この部分を絵にしています。
余計な要素は ぎりぎりそぎ落とし、
最小パーツで構成した絵画です。

最初 手前の二そうの舟がなかったのですが、
下半分の空間がちょっと間がもたなく感じたので
詩にはないのですが 描き加えました。
絵としては このほうがまとまったように思ってます。



26
黄鶴楼送孟        黄鶴楼にて
浩然之広陵        孟浩然が広陵にゆくを送る

故人西辞黄鶴楼      故人 西のかた黄鶴楼を辞し
煙花三月下揚州      煙花三月 揚州にくだる
孤帆遠影碧空尽      孤帆の遠影 碧空に尽き
唯見長江天際流      唯だ見る 長江天際に流るを

李白

友は 西の黄鶴楼にわかれをつげ
霞たつ花の三月 揚州に下っていった
ポツンとひとつ 帆影が碧空のなかに消えていく
あとはただ長江が 天の果てまで流れていくだけだ


*いくつかある李白の送別の詩のひとつです。
後半2句、好きです。

だいぶ以前の話ですが、老冒険家斎藤実さんの、単独無寄港西回り、
ヨット世界一周の出航というのを、三浦半島のヨットハーバーで、
見送り(見物)したことがありました。
大勢見送りのいる中、ふらりと動き出したヨットは、
港内を小さいエンジンでゆっくり進んでいきましたが、
「もう帰ってこなくていいぞー」
などと、ヨット仲間が笑って声をかけ、
悲壮感がなかったのが印象的でした。
その後、南米大陸最南端のプンタアレナスに、一年ほど
足止めをくらうのですが、この話は長くなるので
やめておきます。



27
秋風引        秋風のいん

何処秋風到      何れのところよりか 秋風到る
蕭蕭送雁群      しょうしょうとして 雁群を送る
朝来入庭樹      朝 来たって 庭樹に入り
孤客最先聞      孤客 最も先に聞く

劉禹錫        りゅう うしゃく


秋風の歌
どこかからか 秋風がふいてきた
物寂しい音をたて 雁の群れを送っていく
朝 この秋風が 庭の木々を吹きすぎたのを
旅人の私が 最初に聞きつけた


*目に見えない風を絵にするのは、
ちょっとむずかしいです。
木を揺らし、葉を散らせて
風を表現してみました。
そのように見えるどうか・・・
「引」というのは「曲」とか「歌」という意味だそうです。

この絵の葉をもみじに変えたら、良寛の辞世の句
「うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ」
にも使えそうだと思いました。
安直な使い回しはよくないですがね。

自然の変化の最先端を感じるという感覚、
サンテグジュペリの小説「人間の土地」か
「夜間飛行」だったか、にありました。
どの部分、どんな内容だったか思い出せず、
こんど再読、はっきりさせたいです。



28
江行無題

咫尺愁風雨      しせき 風雨を愁う
匡盧不可登      きょうろ 登るべからず
祇疑雲霧窟      ただ疑う 雲霧のいわや
猶有六朝僧      なお 六朝の僧あらんかと

銭起

目の前 風雨が吹き荒れ
廬山にも登れない
ただ、この山の雲に隠れた洞窟に
過ぎた昔 六朝時代の僧が
今でもいるような気がしてならない


*咫尺=しせき=短い長さ
匡廬=きょうろ=廬山
祇=ただ

日本の現代でも、雲海に隠れた古城など
話題になりますが、
雲や霧に隠れた景色というのは、
なにか人の心をそそるものがあります。
過ぎ去った過去の時代の僧が、
まだいるのではという想像に、
この詩のファンタジーを感じます。



29
山中答俗人        山中 俗人に答える

問余何意棲碧山      余に問う 何の意か 碧山にすむかと
笑而不答心自閑      笑いて答えず 心おのずと閑なり     
桃花流水杳然去      桃花 流水 ようぜんとして去り
別有天地非人間      別に 天地の じんかんにあらざる有り

李白

どうして こんな緑深い山中に 住んでいるのかと聞かれたが
笑って答えなかった 気持ちはのんびり、ゆったりとしている
桃の花を浮かべ 水が遥かに流れ去っていく
俗世間にない 桃源郷のような別世界なのだよ


*あわただしく情報がとびかう
喧騒の現代社会とはまったく正反対の、
閑雅、自然の別世界です。
この詩、李白の面目躍如といったところですが、
どこにも酒という言葉はありません。
しかし、酒を描かないことには李白の絵になりません。
緑の中の谷川、花と酒と静寂の時間・・・
キャンプすれば、こんな情景でしょうか。
現代人の究極のあこがれのライフスタイルです。



30
勧酒         酒をすすむ

勧君金屈巵      君にすすむ 金くつし
満酌不須辞      満酌 辞するを もちいず
花発多風雨      花ひらきて 風雨 多し
人生足別離      人生 別離たる

于武陵        うぶりょう

君にすすめる 黄金の盃
なみなみとついだこの酒 遠慮するな
花が開けば 嵐がくるし
人生 別ればかりだから


*屈巵=くつし=把手(とって)のついた盃
惜別の詩です。
「別離足る」とは、別れがいっぱいあるということだそうです。
この詩には、井伏鱒二の名訳があります。

コノサカズキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
サヨナラダケガ人生ダ



31
送別

下馬飲君酒     馬よりおりて 君に酒を飲ましむ
問君何所之     君に問う いずくにか ゆく所かと
君言不得意     君は言う 意を得ず
帰臥南山陲     南山のほとりに 帰臥せんと
但去莫復問     ただ去れ また問うこと なけん
白雲無尽時     白雲は 尽くる時 無からん

王維

馬からおりて 君と別れの盃だ
「これから どこに行くんだい」
ぼくは君に聞いた
「人生 思うようにいかなかった、
南山のほとりにでも 引き籠るさ」
と、君は答えた
「そうか わかった もう聞かないよ、
白雲は いつも君を見守ってくれるだろう」


*この詩、最後の句が心に沁みます。
当時の詩人たちにとって、
白雲は心のふるさと、
俗世間をはなれた、
理想の境地のシンボルだったのでしょう。
絵は、大きな白雲、大きな山、
そして片隅にポツンと小さく家を配置しましたが、
この詩の感じをあらわせたか・・・



32
春暁

春眠不覚暁    春眠 暁をおぼえず
処処聞啼鳥    処処 啼鳥を聞く
夜来風雨声    夜来 風雨の声
花落知多少    花 落つること知んぬ 多少ぞ

孟浩然

春の眠り 心地よくて 朝がきたのもわからない
でも あちこち 鳥の声がしている
夜中 風雨が吹き荒れていたが
だいぶ 花も散ってしまったかな


*この詩の第一句、
知らない人はいないんじゃないでしょうか。
もう三月、まもなくこの季節です。
図書館前の、道路わきのこぶしの木、
つぼみがふくらんできました。



33
鍾山即事        しょうざん即事 

澗水無声遶竹流     かん水声無く 竹をめぐって流る
竹西花草弄春柔     竹西の花草 しゅんじゅうをろうす
茅簷相対坐終日     ぼうえん 相対して坐すること終日
一鳥不鳴山更幽     一鳥鳴かず 山更にゆうなり

王安石

谷川の水は 音もなく竹林をめぐって流れ
竹林の西では 花や草が うららかな春を楽しんでいる
かやぶきの屋根の下 山を見ながら一日坐っていると
鳥一羽も鳴かず 山はいよいよ静かだ


*茅簷=ぼうえん=かやのひさし
小川の流れる竹林の中の山荘。
竹林好きにはたまらない、
自然のふところに抱かれた、理想的な別天地です。
私はせいぜい近くの山の竹林でも見に行くくらいですが・・・



34
赤壁

折戟沈沙鉄半銷    折戟(せつげき)沈沙 鉄 なかば銷(しょう)す
自将磨洗認前朝    おのずと 磨洗もて 前朝を認む
東風不興周郎便    東風 周郎のために 便せずんば
銅雀春深鎖二喬    銅雀 春深くして 二喬(にきょう)を鎖(とざ)さん

杜牧


折れて錆びた戟が 沙に埋まっていた
磨き洗うと 前朝時代のものだった
東風が吹かず 周瑜軍の火攻めが成功しなかったら
喬公の娘の美女ふたり
春深い銅雀台に 囲われてしまったことだろう


*戟=げき=刃が縦横に付いた、槍のような武器
三国志で有名な赤壁の古戦場にちなんだ詩です。
呉国の周瑜(しゅうゆ)が、曹操(そうそう)の大水軍に、
おりからの東風に恵まれて、火攻め、焼き討ちで
勝利しました。
もし負けていたら、春まっさかりの今ごろ、
ふたりの美女は曹操の銅雀臺中の人になっていたでしょう。

鎖すという、閉じ込められる感じを絵で表現したく、
画面の上下を白雲で覆い、閉塞感を出してみました。
多少は詩の雰囲気に近づいたでしょうか。



35
春行寄興        春行 興を寄す

宜陽城下草萋萋     宜陽(ぎよう)城下 草萋萋(せいせい)
澗水東流復向西        澗水 東に流れ また西に向かう
芳樹無人花自落     芳樹 人無く 花自づから落ち
春山一路鳥空啼     春山一路 鳥空しく啼く

李華


春の行楽 楽しさのままに

宜陽の町の外 若草が生い茂り
谷川の水 東に流れ また西に向かう
花の香ただよう樹 人影もなく花が散っている
春の山道 鳥の声だけ響いた

*本来は山水画、日本画がふさわしい古典の漢詩を、
現代風、モダンに描くという、
無謀な試みも数を重ねてだいぶ慣れてきました。
極力シンプルに、極力省く、というテーマで続けています。
日本のアートは省く、シンプル、が特徴だと思います。
俳句は、ぎりぎり最小の語でつくる詩ですし、
能は、無駄な所作を省いた末の洗練の舞踊です。
書では、白い余白の空間が美をつくりだしています。
現代のアート、美を求めて、
今しばらく、暗中模索の日々です。



36
酔下祝融峯      酔って祝融峯を下る

我来萬里駕長風    我れ来たりて万里 長風に駕(が)す
絶壑層雲許盪胸    絶壑(ぜつがく)層雲 許(かく)も胸を盪(ゆる)がす
濁酒三盃豪気発    濁酒三盃 豪気発し
朗吟飛下祝融峯    朗吟 飛び下る 祝融峯

朱熹


私は祝融峯に登った。
頂上の 吹きわたる強風に乗って 万里も飛んで行けそうだ
切り立った絶壁 重なる雲々が 私の胸をなんと激しく揺さぶることか
濁り酒三杯で 豪快な気分になり
高らかに詩を吟じながら この祝融峯を駆け下りた


*祝融峯=湖南省の風光明媚な山の峰
駕=乗ること
中国の山は、日本の山と異なり、
山水画のようにごつごつと尖った形をしているようです。
この絵のような山から、一気に駆け下りるのは、
しかも飲酒運転ならぬ、飲酒下山は、
ちょっと危険だし無謀だとはおもいますが・・・



37
江村即事

罷釣帰来不繋船    釣りを罷(や)め 帰り来たりて舟を繋(つな)がず
江村月落正堪眠    江村 月落ちて 正(まさ)に眠るに堪(た)えたり
縦然一夜風吹去    縦然(たとえ) 一夜 風吹き去るも
只在蘆花浅水辺    只 蘆花浅水の辺に 在(あ)らん

司空曙

 
 川辺の村の即興の詩
釣りをやめて帰ってきて 舟も繋がず陸に上がった
川辺の村は月も落ちて ちょうど眠る時間
もし夜中 風が舟を吹き流しても
ただ 蘆の花咲く浅瀬のあたりに 引っかかっているだけ


*もう月は消えてしまったようですが、
あえて月、舟、江村の三点セットで描いてみました。
気楽で自由な境地の詩ですので、
上下左右 余白をとって ゆったりとした絵にしました。



38
清明
         
清明時節雨粉粉    清明の時節 雨粉粉(ふんぷん)
路上行人欲断魂    路上の行人 魂を断たれんと欲っす
借問酒家何処有    借問(しゃもん)す 酒家は何処に有ると
牧童遥指杏花村    牧童 遥かに指さす 杏花村

杜牧

良い気候の清明の時節というのに あいにくの雨ざんざん降り
春をさがして散歩にでた私は 魂も消えいらんばかり
通りがかりの牧童に 雨宿りの飲み屋はあるかとたずねると
遥かかなた 杏の花咲く村を指さした


*李白ほどではないとしても、杜牧も酒好きだったようです。
まあ、酒のきらいな詩人なんていないでしょうがね。
杜甫も白居易も高啓も、酒のはいった詩があります。
最近のユーチューブで、女子のひとりキャンプというのを見かけます。
若い女の子が、焚火で食事のあと、ひとりで、
小さい缶ビールや紙パック酒を、ちょこっとうまそうに飲むのを見ると、
微笑ましくて、思わず笑いだしてしまい、
こちらも急に飲みたくなります。
私も自転車であちこち、春を訪ねてぶらつきますが、
景色の良い場所で一息つくときは、
やはりパック酒ですね。
杜牧の名詩の感想、酒だけの話になってしまいました。



39
香炉峰下新卜山居    香炉峰下 新たに山居を卜(ぼく)し
草堂初成偶題東壁    草堂 初めて成り 偶(たま)たま東壁に題す

日高睡足猶慵起     日高く睡り足りて 猶(な)お起くるに慵(ものう)し
小閣重衾不怕寒     小閣に衾(しとね)を重ねて 寒きを怕(おそ)れず
遺愛寺鐘欹枕聴     遺愛寺の鐘は 枕を欹(そばだ)てて聴き
香炉峰雪撥簾看     香炉峰の雪は 簾(すだれ)を墢(かか)げて看(み)る
匡廬便是逃名地     匡廬(きょうろ) 便(すなわ)ち是 名を逃(のが)る地
司馬仍為送老官     司馬は仍(な)お 老いを送るの官為(た)り
心泰身寧是帰処     心泰(やす)く身寧(やす)きは 是れ帰する処          
故郷何独在長安     故郷何んぞ独り 長安のみに在(あ)らんや

白居易


日はもう高く じゅうぶん寝たが 起きるのがけだるい
小さな草堂で 布団を何枚もかけて寝たから寒くない
遺愛寺の鐘の音は 枕の上で耳をそばだてて聞き
香炉峰の雪景色は すだれをかきあげて鑑賞
ここ盧山こそ 世俗の名利からはなれた土地
司馬の任務は のんびり老後にふさわしい閑職
身も心も休まるここは 安住の地
故郷は長安だけじゃない


*先週の大河ドラマ「光る君へ」で、
清少納言がすだれをかかげ、この詩が登場しました。
枕草子で有名な部分ですね。
原詩は、老後の自由きままで、ものぐさな生活を、
しかし風光明媚な地で閑雅に暮らす楽しさを語っています。
現代人のあこがれるスローライフの老後です。
白居易、江州左遷でこの詩ができたようですが、
こんな左遷なら願ってもないですね。



40
漢江         かんこう

溶溶漾漾白鴎飛    溶溶漾漾(ようようようよう) 白鴎飛ぶ
緑浄春深好染衣    緑浄(きよく)春深くして 衣を染めるに好し
南去北来人自老    南去北来(なんきょほくらい) 人 自から老ゆ
夕陽長送釣船帰    夕陽(せきよう) 長く送る 釣船の帰るを

杜牧


ようようと ゆらめき流れる川面を 白い鴎が飛んでゆく
緑の水は清らかに 春深まって 衣服も染めてしまいそう
南へ北へ 行き来しながら 人は老いてゆく
赤い夕陽が 釣り船の帰りを どこまでも照らしている


*この絵、ささやかなトライをしました。
フリーハンドの線ではなく、すべて円弧で画いてみたのです。
円弧のラインとグラデーションの効果、
古典の詩をデジタル画で描くという試み、
まだいろいろ楽しめそうです。

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