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「百合の王国」 ファンタジー小説

あらすじ
 神秘の秘境にオープンしたテーマパーク[リリーパーク]へ、ぼくはバイクで向かっていたが、到着直前、崖から落ちて気を失った。
 見知らぬ少女に助けられ、百合の原の少女の家に連れていかれたが、そこは外界と孤絶した別世界だった。
 そこで少女と平和で静かな生活を送るが、どうしても[リリーパーク]が忘れられない。 ある日、村を抜け出し[リリーパーク]を発見した。
 この吉報を知らせようと、村まで戻ろうとしたが、道は消えていた。
 あの百合の原、あの少女は幻だったのだろうか。
 樹に彫られた少女のことづけを見て、ぼくは泣き悲しんだ。

 

 

 銀色の一台のオートバイが、さわやかな音をひびかせて走って行った。
 まっすぐつづく、いなかの道路には、ほかに走っている車はいなかった。 はるかむこうに奇妙な山々が見えた。まるで巨大な龍がねそべって、このオートバイの来るのを待ちかまえているようなかたちをしていた。
 オートバイの若者は、ちいさな橋のたもとでとまり、すわって橋によりかかると、ペットボトルを出し水を飲んだ。
 昼ごはんの時間だった。
 緑の畑の前でおにぎりを食べながら、にぎやかなセミの声を聞いていると、うしろからとつぜん大きな声がした。
 「やぁ、ピカピカのバイクだね。新品だね」
 振り返ると、弁当箱と水筒をぶらさげ、てぬぐいを首にまいた男が立っていた。
 日に焼けた赤い顔をしていた。
 近くの畑から来た農家の人だろうか。
 「ちょっととなりにすわっていいかい?」
 男は、若者のとなりにすわると弁当箱を開いた。
 止めてあるバイクをじろじろながめると、
 「ふーん、ずいぶんでかいバイクだね、速そうだし。ところでどこからきたの?」
 にこにこ笑いながら話しかけてきたので、若者もつられて話しだした。
 けさ早く、遠くの港町のアパートを飛び出して、ずっと走り続けてきたこと、途中、高速道路や県道を走って来たこと、などを話した。ここは初めての土地だった。
 男はうなずくと、
 「で、どこへ行くの?」と聞いた。
 若者は、はずむ心でうきうきしながら答えた。
 「これから[リリーパーク]へ行くんです」
 「[リリーパーク]って、最近できた大きな遊園地のことかい?」
 赤い顔の男は、ごはんをのみこむと聞きかえした。
 「そうです、ほら、これを見てください」
 若者はポケットから、小さくたたんだパンフレットを取りだした。
 「この地図だと、あの山を登った向こう側のあたりですよね?」
 若者は、畑のずっとむこうの、龍のようなごつごつした山々を指差した。 パンフレットには黒い大きな文字が並んでいた。

  ──いまだかって誰も足を踏み入れたことのない神秘の秘境に、
 四年の年月をかけて、巨大なテーマパーク完成。
 目もくらむ谷間にかかるスペースコースターが、君を待っている!

  その広告をちらりとながめると、男は、
 「きのうのテレビでそのスペースなんとかを見たよ。
 ぐるぐる回転しながら、まっすぐ谷底にむかって落ちていったよ。ありゃスリル満点だね」
といってむこうの奇妙な山々をながめた。
 「[リリーパーク]に行くためにこのバイクを買ったんです。
バイトたっぷりやってお金をためたんですよ、そのスペースコースターに乗りにきたんです」
 若者は目をかがやかせて、遠くの山をみつめた。
 「こんなすてきなバイクに一人じゃ、もったいないね。彼女を乗せてくればよかったのに」
男は笑いながらいった。
 「残念ながらまだいないんですよ、この旅でみつかるといいんですがね」若者も笑って答えた。
 その時、目の前をオレンジ色の大型の観光バスが、地面をゆらして通りすぎて行った。大きな窓ごしに満員のお客の顔が見えた。
 バスの車体には[リリーパーク]と大きくかいてあった。
 赤い顔の男は若者の方をふりむくと、
 「あのバスに乗って行ったほうがいいよ」
といった。
 「あれなら安心だからね。
 知っているかい? あの山は、ほんとうはおそろしい魔の山なんだ。
霧の山でね。昔からおおぜい遭難しているんだよ。
 なんでも白い魔女が住んでいて、はぁーっと息を吹くと、あっというまに谷間は霧におおわれ、山に入った人はそのまま行くえ知らずになったそうだ。
 魔女は、まよった人を花の姿に変えて、山にとじこめてしまったそうだよ。あの山の中のどこかに、魔女の秘密の花園があるといわれている。このあたりに伝わる古い民話なんだけどね。
 はじめてオートバイで行くのなら、よしたほうがいいね」
 男は、走りさっていったバスの方を指さし、
 「バスの運転手はプロだからね。ここを毎日走っているし、道にまようなんてことは絶対ないからね」
 若者は遠くの山をながめて、考えこんでしまった。
 「昔、二十年ほど前の話だけどね、たぶんあんたが生まれる前だと思うけど、四人の登山家が行方不明になった遭難事故があったんだよ。
 あの当時けっこう騒がれたニュースだったんだ。結局一人も見つからなかった。魔女に捕まって花に変えられたのかもしれない。」
 それだけ話すと男は立ち上がり、
 「まあ、今どき魔女なんていないと思うがね、とにかく無事にもどってくるんだね」
といって、畑のほうに帰っていった。
 せっかく新しいオートバイを買ってここまできたのに、ここからバスに乗りかえるなんて、若者は考えてもいなかった。
 [リリーパーク]がつくられるというニュースを知ってから、せっせとお金を貯め、やっと手に入れたオートバイだった。
 今日は登山ではなく、できたばかりの新しい道路を走っていくのだ。遭難するなんて考えられない。魔女なんて童話の世界の話だし・・・・・・
 若者は決心すると荷物をまとめ、オートバイにまたがり、走りだした。
 近づくとたしかにぶきみな山だった。
 白雲が山全体をおおっていた。その白い雲の中から太い柱のような青い峰々が突き出ていた。まるで雲の上に浮かんでいるようだった。
 白い雲の中に、ほんとうに、白い魔女がひそんでいるように思われた。
 まもなく山のふもとの休憩所についた。
 幅広い、平らで快適な道路の終点だった。ここから先は上り坂の続く登山道路になっていた。
 赤い鳥居の奥は広場になっていて、オレンジ色の大型観光バスが何台も並び、観光客がぞろぞろ歩きまわっていた。
 手洗い、みやげ物店、食堂は人があふれ、どこからか、おいしそうないい匂いがただよってきた。
 [リリーパーク誕生]
 [ようこそリリーパークへ]
 [歓迎リリーパーク]
などという旗やのぼりがひるがえり、陽気な音楽が流れ、にぎやかだった。
 若者もバイクを停めて缶コーヒーを飲み、一息いれた。
 まもなく観光バスが次々に発車し、若者もバイクのエンジンをかけた。
 山の中に入った観光バスは、右、左とカーブのつづく急な登り坂を、ゆっくりとあえぎあえぎ進んでいった。
 バスの行列に続いて若者の大きなオートバイも、ゆっくりと力強くあとに続いて登っていった。
 できたばかりの新しい道路は、両側を真新しい白いガードレールが守っていた。
 まわりは緑の木々にかこまれ、ひんやりとしていた。
 若者はとつぜんバイクを停めた。緑の木々の奥に何か白いものが見えたのだった。
 「なんだろう?」
 バイクを降りてガードレールに近寄り目をこらした。何か花のかたまりだったのか、それとも兎か何か走っていったのだろうか、しかしもう何も見えなかった。バイクに戻ると若者はまた走りだした。
 観光バスの行列が走り去って、あたりは静けさにつつまれた。
 どこか遠くで小鳥の鳴く声が聞こえた。こんな静かな山の奥に巨大なテーマパークがあるなんてうそのようだった。
 きつい上り坂もカーブも、若者の大型のバイクにとっては、なんともなかった。ゆっくりと右に左にバイクを倒しながら、快適な操縦を楽しんだ。
 しばらく走ると、あたりに霧がでてきた。
 霧はどんどん深くなり、たちまち白いガードレールも見えなくなった。
 「魔女があらわれたかな・・・・」
 若者の心はちょっとザワザワとした。
 若者は、道路のわきへオートバイを止めると、ポケットから[リリーパーク]のパンフレットをとりだして開いた。
 イラストの地図を見ると、もうこの近くだった。この霧がなかったら見えているだろう。
 そのとき、霧のむこうからなにか聞こえてきた。
 音楽だ。
 キラキラとかがやくような楽器のひびきにまじって、コーラスが歌っていた。楽しそうなリズムだった。
 [リリーパーク]から聞こえてくるんだ!
 「もうすぐだ」
 若者の頭のなかでスペースコースターがぐるぐる回りだした。
 うれしくて胸がふるえてきた。
 ヘルメットの中で口笛をふきながら、若者はオートバイのエンジンをかけた。
 これだけ霧がすごいと、自分の足元がやっと見えるだけだった。


   ヘッドランプをつけて、のろのろ進むと、「ボボボボホ・・・・・・」というオートバイの低い音が霧の中にすいこまれていった。 
 いちめんの霧の中、古びた赤レンガのトンネルを出たとたん、ようすががらりとかわった。 
 ぴたりと音楽が消え、あたりはシーンと静かになった。 
 道路は石ころ道になり、タイヤが石ころをばしばしっとはじいていった。  狭い崖道の上から、頭の上までひょろりと垂れた、たくさんの山百合の白い花が、ばさっ、ばさっとヘルメットをたたいていった。
 まるで百合のトンネルをくぐって行くようだ。 
 とつぜんどこかちがった世界に来てしまったような感じだった。 
 「道をまちがえたかな・・・・?」   
 若者は頭のすみっこで思った。 
 オートバイはなにかにあやつられるように、ゆるやかに霧の森の下の道を下っていき、ハンドルを左にきったとたん、ぬれた草の上をすべって、大きく空中になげ出された・・・・・・  
 
 「 ・・・・・・・・・・ 」

  どれほど時間がたったのだろう・・・・
 やさしい、甘い花の香りに、若者はゆっくり目を開いた・・・・・・

  「 ・・・・・・・・・・ 」

  ぼんやりとまわりのものが見えてきた。
 たくさんの葉っぱが、頭の上でゆれていた。
 その上に青空が見えた。
 とても静かだった。さわさわというかすかな風の音が聞こえた。
 しばらくそのまま、風の音を聞いていた。
 しだいに意識がはっきりしてきた。
 どうやら若者は地面の上にたおれているようだった。
 白い花々にかこまれ、あおむけに空を見上げていた。
 「どうしたんだろう? いったいここはどこなんだろう?」
 横たわったままゆっくり見回すと、たくさんの背の高い百合がまわりをかこんでいた。
 百合の前に人がいた。
 一人の少女だった。
 髪の長い少女が、草の上にすわってこっちを見ていた。



 「白い魔女?」
 若者はドキリとして目をみはった。
 百合のように色が白く、着ているものもまっ白だった。
 しかし魔女にしては若すぎ、恐ろしい感じはまったくなかった。
 じっと若者を見つめていた黒い瞳が、キラリと光って、にっこり笑った。
 「気がついた? さっきわたしがお花をつんでいたとき、あのがけの上から、あなたが落ちてきたの、花の上だから助かったのよ」
 そうか、ぼくは気を失っていたのか、若者はやっとようすがわかってきた。
 「頭の上からビューンと落ちてきたの。とてもおどろいたのよ!」
 「ここはどこ? [リリーパーク]?」
 少女はだまったままだった。ぜんぜん知らないようすだった。
 がけから落ち、気を失っていた若者を、少女は見守っていてくれたのだった。
 「ありがとう・・・・」
 若者は、にっこり笑って、立ちあがろうとした。
 そのとたん、ごろりと、ころがってしまった。
 「あなたは、けがしているのよ、早く家へ行きましょう」
 少女に助けられ、やっと立ち上がった若者は、思わずさけんだ。
 「すごい! 百合の原だ!」



 若者は、ヘルメットをほうりなげると、あたりをぐるりと見回した。
 そこは、いちめんの百合の群落だった。
 深い谷と谷にはさまれた神秘の湖のように、見渡すかぎりびっしりと、谷間をうずめつくした無数の百合の花々・・・・・・
 霧の谷の底で、ひっそりと音もなく咲きみだれていた。
 「まるで夢のようだ」
 若者は、息をのんで立ちつくした。
 こんなすばらしい景色を見たのは、生まれてはじめてだった。
 すぐそばに、百合の花をなぎたおして、若者のオートバイがころがっていた。フロントフォークがねじ曲がり、あわれな姿だった。
 若者は、しゃがむとオートバイのタンクに手をふれた。ついさっきまで乗ってきた、たくましいライオン。
 その銀色のライオンが息たえて、静かに横たわっていた。
 若者は、少女にささえられて歩きだした。
 「痛っ!」
 左足をふむと、ずきっと痛みがはしった。
 そろそろと、ゆっくり歩いた。
 二人は、背よりも高い百合の花の群れの中を、かきわけながら歩いていった。両側の谷がせまってきたところで、やっと花の外に出た。

 小川にそって歩いて行くと、霧の谷間から小さな村があらわれてきた。
 小川をはさんで何軒かの家がひっそりとたたずんでいた。
 「もうすぐだから、がんばってね」
 若者はだまってうなずいた。
 小さい竹の橋を渡ると、少女の家についた。
 まわりは竹の林で、小川がその中を流れていた。
 その家は、古い小屋だった。
 びっしりと緑のつたにおおわれ、童話に出てくるメルヘンの家のようだった。テレビで見たことのある、遠い昔のなつかしい風景のようだった。
 小屋の中は薄暗かった。若者はめずらしそうに部屋の中をながめた。
 小川の前の廊下で、ひとりの老人が、竹かごを作っていた。
 廊下のすみには新しいかごが積んであり、切った竹がたくさん立てかけてあった。
 少女はその老人の前に若者を連れていくと、いままでのことを話した。


 

 「魔の口から落ちてきたと?・・・・・・」
 老人はおどろいたように目を見開いて、じっと若者を見つめてから、若者の左足をながめ、
 「まあ、ここまで歩いてこれたのなら、だいじょうぶじゃろう、よしよし、すわってみなされ」
 老人は、少女に薬をもってくるようにいうと、なれた手つきで白い薬をぬり、板をはさんで包帯を巻いた。
 薬をかたずけ、たばこに火をつけると、老人は、おだやかな顔で少女にいった。
 「なにか冷たいものでもさしあげなさい」
 少女はうなずくと、ガラスのコップに入れた飲み物を持ってきてくれた。 「ありがとう」
 若者は、ごくごくと、一気に飲んでしまった。
 くだものの甘い香りで、いままでの疲れが消えていった。
 「ところで、どこからいらしたのかね?」
 若者は、朝、家をでてからのことを、まとめて話した。
 老人と少女は、若者の顔をみつめ、話をじっと聞いていた。
 ところがおどろいたことに老人も、[リリーパーク]を知らなかった。
 もっとおどろいたことには、外の世界のことは、まったく何も知らなかった!
 若者の住んでいる町の名前も知らないし、高速道路も知らない。
 車や電車も見たことがないようだった。
 ここは別世界だ・・・・・・
 家の中を見回すと、竹のたなの上にランプがおいてあった。
 電気もないのかもしれない?
 そういえばテレビ、ラジオ、エアコンのようなものは何もなかった。
 もしかしたらぼくは、昔話に出てくる、はるか昔のおとぎばなしの世界にでも、まよいこんでしまったのだろうか・・・・?
 若者は物語や映画のファンタジーものが大好きだった。
 ひょんなきっかけで、別の時代、別の世界に行ってしまうというお話だった。
 そこで様々な冒険などをして、また元の世界に戻ってくるところがおもしろかった。
 まさか自分がそうなってしまうとは・・・・・・
 夢でも見ているようにぼんやりと、若者は老人の顔をみつめた。
 とんでもないところに来てしまった。早く戻らなければ・・・・・・
 見たところ電話もなさそうだった。
 若者は、そっとズボンのうしろのポケットに手を入れた。
 スマホを取り出そうと思ったのだった。外の世界のだれかに、連絡しようと思ったからだった。
 しかしスマホはなかった。思わずどきりとして、記憶を早回しした。たぶん、がけから落ちたときなくしてしまったのかもしれない。
 話おわると、軽くうなずいただけで、老人はもう、何も聞かなかった。
 若者の話の内容がまったくわからなかったからだった。
 落下のショックで、若者の記憶がおかしくなったのかもしれないと思ったのだった。
 「この家で、そのけがをなおしなさい。なに、この娘とわしの二人きりじゃて、空いた部屋はあるし、食事はこの娘がめんどうみるじゃろ」

 その日から、若者はこの家にとどまることになった。
 若者の部屋は北側の空いた部屋で、戸を開けると竹の林の中だった。
 老人は一日中、かごを作っていた。朝昼晩、少女が食事をはこんできてくれた。
 「けがのぐあいはどう?」
 「もうすこしたったら歩けそうだよ。あのゆりの原に行きたい」
 若者は足をさすりながら答えた。
 ゆりの原に、落としたスマホがあるはずだった。早くだれかに連絡したかった。働いている会社にも連絡しなくてはと思った。友達や会社の仲間たちは、いなくなった若者のことを心配しているはずだった。
 若者は、開け放した戸の外の竹の林をながめてすごした。林の中を流れる小川がさらさら心地よいひびきをたてていた。ときおり風に吹かれて竹の林がさざめいた。
 けがはしだいに治っていった。
 何日かして、一人でも歩けるようになったある日の午後、少女が村を案内してくれた。



 久しぶりに外に出て、まわりの景色がまぶしかった。
 若者と少女は、小川にそった百合の小道を歩いていった。
 少女の家と同じように、どの家も家の前に小さい竹の橋があった。
 ちいさな村のはずれは緑の段々畑で、その先は霧にかくれた深い山々だった。
 畑のまわりに咲いている小さなかわいい花をつまむと、少女はいった。
 「村はここで終わりなの。ここから先は行けないのよ」
 「じゃ、この山のむこう側に行ったことはないんだ?」
 少女はおおきくうなずいた。
 深い山々にまわりをかこまれた、このちいさな村から、外につながる道はどこにもないようだった。
 やはりここは別世界だった。
 「どうしよう?」
 「どうしたら元に戻れるんだろう?」
 「どうしたらここから外の世界に帰れるんだろう?」
 「もし、失くしたスマホが見つからなかったら、もう二度とあの現実の世界には戻れない?」
 若者の心は不安と絶望で、はちきれそうになった。
 せっかく少女と初めての散歩をしたのに、若者の心は重くふさがったままだった。
 くよくよと若者は後悔した。
 あの赤い顔の男のいったように、バスに乗っていたら、こんなことにはならなかったのに・・・・
 きついバイトでやっと買ったあの銀色のバイクもだめになってしまった・・・・
 でも後悔してももう遅かった。すべては終わってしまったのだった。
 あまりにも激しい運命の変化に、若者はどうすることもできなかった。
 なにもしないでいると一日が長すぎたので、すこし前から、老人のかご作りを手伝いはじめた。やってみると、気持ちが落ち着いて楽になった。
 足のけががなおるあいだ、老人の手つきを見ながらやってみたのが、いつのまにか、かんたんなものは一人でも作れるようになってきた。
 手先の器用な若者には、けっこう楽しい仕事だった。
 若者と老人が二人でかごを作っているのを見ると、少女もいっしょに仲間に入った。
 少女は小さなかわいいかごを作った。若者が驚いたことに、少女もとても手先が器用だった。小さな花の模様をかごの中に織り込んでいた。
 「へー! すごいね、すてきだよ」
 若者は大きな声でさけんだ。
 その声で、老人と少女は笑いだした。
 「私は子供のころから作っているの、これくらい簡単なの」
 笑いながら少女はこたえた。
 若者も一緒に笑った。やっと元気がでてきたのだった。

 たくさんできたかごを、老人が村の集会場に運んでいった朝、大きなかごをかかえて、少女がやってきた。
 「これから百合の原にいくの、あそこまで歩けるかしら?」
 若者はにっこりしてうなずいた。
 「ゆっくり、ゆっくりならね」
 なくしたスマホをさがさなくては。
 見つかって連絡すれば、助けにきてもらえる。それまでの辛抱だ。
 「なくしたスマホをさがしたいんだ。あのがけの下に行きたい」
 若者と少女は、小川の道を歩いて行った。
 まもなく遠くに、広々と白い湖のように広がる百合の原が見えてきた。
 百合の原の上は霧におおわれ、霧のむこうにぼんやりと緑の山肌が透けて見えた。
 少女に連れられてがけの下に行き、上を見上げて若者は立ちつくした。
「あんな高いところから落っこちてきたのだ。十メートル以上はあるだろう。よくこんなけがですんだものだ」
 あの時の、バイクのすべるいやな感じ、空中に飛び出した時の浮遊感が、一瞬思い出された。
 気を取り直し、スマホさがしにとりかかった。
 ジャンプしたときになくしたのなら、そんな遠くにいってしまうはずはない。
 二人で百合の下の草をかきわけてさがした。
 同じところを二回も三回もさがした。
 しかしどこにも見つからなかった。
 くたびれはてて、とうとう若者はあきらめた。
 「だめだ、見つからない」
 若者はそこにすわりこんでしまった。
 少女はかごを背負うと、振り返って、
 「あなたは、ここで休んでいてね」
 といって、百合の原の奥へ入って行ってしまった。
 いつのまにか、母親のように気づかう少女に、ちょっぴりさからって、立ち上がると、若者も足を引きずりながら、百合の原へ入って行った。
 広い原のまんなかあたりに、大きな白い木が見えた。いちめんの百合の花の中から一本だけ高く飛び出しているので、遠くからでもよく見えた。
 あそこまで行ってみよう。
 その白い木にやっとたどりついた時、遠くで少女の呼び声がした。
 「ちょっとおどかしてやろう」
 若者は、その木の下にかくれた。
 少女の声が、だんだん近づいてきて、とうとうすぐそばまできたとき、
 「ユーリー!」と、若者はさけんだ。
 「わっ!」
 とびはねた少女は、キーッとにらむと、若者の頭を、小さなこぶしでぽこぽこたたいた。
 「まいごになったかと思って本当に心配したんだから」
 「ごめんごめん。でもここはかくれんぼにはすごくいい場所だね」
 少女は、にっこりした。



 「おべんとう持ってきたの、いっしょに食べましょう。この木の下はすずしいの」
 竹の皮の包みの中に、かわいいおにぎりが並んでいた。
 二人は大きな白い木の下で、ゆっくりとおべんとうを食べた。
 「この広い百合の原に名前をつけよう。そうだ、百合の王国なんてどうだい?」
 若者はくだものナイフで、白い木の幹に王冠のマークをきざんだ。
 かんむりをきざまれたこの白い大きな木は、すてきな白いお城のように思えた。
 「この白い木は、百合の王国のお城だよ」
 若者は、白い木を両手でかかえた。
 「ここが百合の王国だとすると、君は、百合の王女様だね」
 「ユーリー王女様、ばんざーい!」
 若者は、少女の長い髪に、百合の花をさした。百合の王女様は、はずかしそうにほほえんだ。



 まんぷくになって、草の上にねころぶと、百合の花の間からきれいな青空が見えた。遠くで小鳥が鳴いていた。
 「なんて静かなんだろう! 夢の国のようだ・・・・・・」
 二人は、いつまでも百合の王国の底に沈んでいた。そよ風が、むせかえるような百合のにおいをはこんできて、見渡すかぎりの白い百合が、さわさわとゆらいだ・・・・・・

 この、思いがけない別世界にとびこんで半月ほどが過ぎた。
 電話もテレビも、もちろんインターネットなんていう文明の利器などなにもなかったが、若者はここの生活に慣れてきた。
 濃い霧におおわれ、目の前の小屋でさえぼんやりとしたまぼろしのようになる日、からりと霧が晴れて、周囲を囲んだ緑の壁のような山々があざやかに輝く日、日が照ったり陰ったり、めまぐるしく変化する天候の日、若者にとって新鮮で魅力的な土地だった。
 朝、明るくなって、小鳥のさえずりがきこえたら目をさました。昼間はかごを作り、畑仕事を手伝い、時には小屋の修理をして過ごし、夕方、星が美しく広がってきたら、夕食を食べ、一日が終わった。
 素朴で単純な生活だった。
 あの、朝の満員電車や、忙しいバイト仕事はなんだったんだろう?
 以前の、あわただしい生活が、遠い思い出のようにぼんやりとかすんでいった。
 午後、若者と少女は百合の王国に散歩するのが日課になった。
 白い木の下でおしゃべりしたり、少女の作ったおやつを食べたりして過ごした。
 夢のように楽しい毎日がすぎていったが、ひとつだけ気にかかることがあった。
 不思議な出来事があったのだった。
 この前、百合の王国に行った時のことだった。白い木の下で、若者はナイフで木片を削りスプーンを作っていた。少女はとなりにすわって若者の作業を見ていた。
 心地よい日差しが眠気を誘い、若者はうとうとと眠ってしまった。
 ぐっすり眠って目が覚めた時、となりに少女がいなかった。
 まわりを見回しても、ゆりの花だけだった。
 「おーい」
 若者は、大きなあくびをしてから大声で少女をよんだ。
 風のやんだ百合の原は、どの花もぴくりとも動かず、じっと静まりかえっていた。
 その時、ずっとむこうの一本の百合の花がユラーンとゆれて、花から少女の姿に変わったのだった!
 若者は、目をこすった。なにかの見まちがえのようにも思った。
 目がさめたばかりだったので、まだ頭もぼんやりしていたのだった。
 花が人に変わるなんて、そんなことがあるだろうか?
 目が合った時、一瞬、少女の目が、はっとしたように、大きく開いた。
 でも、すまして少女は歩いてきた。
 にっこり笑ってとなりにすわった。
 見たのは夢だったのよ、目をさましなさい、というように、若者の顔の前で、手の平をひらひらふった。
 いつものあの少女だった。
 それっきり不思議なことはおこらなかった。
 やっぱり、寝ぼけまなこの夢だったのかもしれない、と若者は思った。
 楽しい毎日のうしろに、そのできごとは消えていった。

 がけの下まで散歩したある日、倒れたオートバイの下から、スマホと[リリーパーク]のパンフレットが見つかった。
 今まで何回もこのまわりを探し回ったがオートバイの下は見ていなかった。
 もしかしたらと、重いオートバイをおこしてみたのだった。
 「なんだ、こんなところにあったんだ!」
 若者はあわててスマホをひろって電源をいれた。
 反応がなかった。
 ばしばしと押してみたが、まったくなんの反応もなかった。
 もう使えなくなっていた。
 若者はスマホを放り投げた。
 パンフレットは露に濡れてべったりくっついていた。
 やぶけないようにそろそろ開くと、[リリーパーク]の地図があらわれた。
 この広い百合の原をさがした。こんなに広い百合の原が地図にないはずはない。
 しかしどこにも百合の原なんてなく、かわりに[リリーパーク]となっていた。
 「おかしいなあ? ふしぎだなあ?」
 若者は少女にもその地図を見せた。
 少女は地図をのぞきこんだ。しかし知った地名はひとつもないようだった。
 「その[リリーパーク]って何なの?」
 若者がそんなに行きたがっている[リリーパーク]に、少女も興味をもったようだった。
 「大きなテーマパーク、大きな遊園地だよ」
 答えてから、これじゃちっとも答えになっていないことがわかった。
 ここには遊園地なんてないのだから。
 行ったことがなければ、どんなところかわからない。
 どう説明したらいいのだろう?
 若者は垂直にそびえる青い山の上の方を指差した。
 「たとえばだよ、あの山のあのあたりから、ぐるぐる回転しながらここまで、一気に落っこちてくるんだ。びゅーっとね。それがスペースコースターというやつなんだ」
 「そんなすごいのばかりじゃなくて、くるくる回るコーヒーカップみたいなかわいい乗り物もあると思うよ」
 「おいしいものを食べられるきれいなレストランや、楽しいお土産の店もあるはずだし」
 若者は興奮して、一息にしゃべった。
 少女は、突然おしゃべりになった若者の顔をみつめて、ぽかんとしていた。
 若者は首をふって苦笑いした。
 全然説明になっていない。ここにないものの名前をいったところで、何がなんだかわからない。
 いちばんいいのは、少女を[リリーパーク]に連れていくことだった。
 ぐるっと中を案内する。
 おどろくだろうなー、びっくりするだろうなー、目をまん丸にするにちがいない!
 若者は、少女と二人で[リリーパーク]を歩いている姿を想像した。
 ペットボトルの飲み物とハンバーガーを両手ににぎり、楽しそうに笑いながら歩いている二人、公園や遊園地、都会の街角で普通に見かける風景、若者のあこがれだった。
 [リリーパーク]のスペースコースター、それにこの少女と二人で乗ったら、どんなに楽しいことだろう?
 とつぜん、若者はがけにむかって走り出した。
 あのがけの上からちょっと坂を登れば、目の前に[リリーパーク]があるにちがいないのだった。[リリーパーク]の楽しい音楽が聞こえてくるはずなのだ。
 どこか登れるところはないか?
 若者は、あたりをぐるりと見まわした。
 大きなかべのようながけから、ごつごつ岩が飛び出しているところがあった。
 若者は岩に手をかけよじ登っていった。足元の岩をさがしながら登った。
 太い蔦が二本、ロープのように垂れ下がっていた。
 「よし、これで行ける所まで登ってみよう。」
 登山のように、蔦につかまりながら、少しずつ登って行った。
 少女が下の方に見えるほど登ったとき、
 「あぶなーい!」
 見上げていた少女がさけんだ。
 それと同時につかんでいた岩がくずれ、若者は下の草のうえにどすんと落ちた。
 「うっ」
 息ができなかった。苦しくて若者は顔をしかめた。
 「またけがしたいの、あぶないことしないで」
 少女は本気で怒った。

 翌日の朝、事件がおこった。
 少女がいなくなったのだった。
 いつも朝食を運んできてくれる時間になっても少女があらわれなかった。台所から何の物音も聞こえてこない。おかしいなと思って老人のいる廊下にいってみた。
 老人は腕を組んで小川を見つめていた。
 「どうかしたんですか?」
 若者がたずねると、老人は足元の紙を指さした。
 それは少女が書きのこしていったものだった。
 ひろって読んでみると、[水晶の泉]に行ってきます、と書いてあった。
 あした戻るから心配しないように、とも書いてあった。食事は、おにぎりがつくってあるからそれを食べるように、とも書いてあった。
 「[水晶の泉]ってなんなのですか?」
 若者は老人にたずねた。
 「そうさのう、ひとくちでいえば、このゆりの原の神社のようなものかのう。
 べつに神様がいるというわけではない。古くからある小さな泉なのじゃ。 ただしこの泉、願い事をしながら泉をのぞくと、なにかしら答を教えてくれるのじゃ。
 ふだんは行かないがの、何か特別こまったときなどおうかがいにいくのじゃよ。」
 「じゃ、どうして急に[水晶の泉]に行ったんでしょう?」
 「わからん?」
 老人のわきに若者もすわると、考えてみた。
 きのうはどうだったっけ?
 二人であのがけのところに行った。スマホと地図が見つかった。
 ゆりの原と[リリーパーク]が、同じ場所になっていた。
 その[リリーパーク]に行きたくてがけによじのぼり、落下した。
 本気で少女が怒った。
 ぼくがこんなに行きたがっている[リリーパーク]の謎を知ろうと思って、少女は[水晶の泉]に行ったにちがいない。
 「きっとそうだっ!」
 思わず若者はさけんだ。
 若者はこの思いつきを手短かに老人に説明した。
 老人はふんふんとうなずき、
 「それ以外考えられん」
 というと、部屋の奥においてあるおにぎりを指さし、
 「朝飯を食べながら、ゆっくり考えよう」
といった。
 若者はおにぎりを持ってくると、廊下で老人と食べはじめた。
 「その[水晶の泉]はどこにあるんですか?」
 老人は、こまったような顔をして若者の顔をみつめた。
 「じつは、わしも行ったことがない。あの娘に聞いた話なのじゃ。あの娘しかいくことができないのだ。ほかのものが行っても、白い魔女に命をうばわれてしまう」
 若者は驚いた。
 老人の口から白い魔女ということばが出てきた。あの、赤い顔の男のいっていたことは本当だったのだ。古い民話はただのおとぎ話ではなかった。
 「白い魔女ってなんですか?」
 若者は、目を大きく開いて老人をみつめた。
 「だれも見たものはおらん。これもあの娘に聞いた話じゃ。この山の古くからの[ぬし]だそうだ。外からこの山に侵入してくるものがいると、霧を武器にして相手の命を奪うという。」
 若者は大きくうなずいた。
 「あんたが魔の口から飛び込んできたのも、白い魔女のたくらみだったのかもしれん」
 老人は、ふところからたばこを取り出した。
 「じゃが、最近では魔女も歳をとりすぎて、昔ほどの力はなくなったそうだ。もしかしたらもう死んでしまったのかもしれん。あんたが命を落とさなかったのも、そのおかげじゃよ」
 老人はたばこに火をつけると、ゆっくり吸った。
 「じつをいうとあの娘はゆりの精なのじゃ、人の姿をしておるがの。わしはあの娘のめしつかいにすぎんのじゃ。」
 老人は若者の顔をじっとみつめると、
 「ここだけのひみつじゃて、なに、いつもは人の姿だから心配いらん」
といった。
 若者はおどろいた。人のすがたをしたゆりの精?
 そういえば以前、不思議なできごとがあったのを思い出した。
 ゆりの王国で、花が少女に変わった。あれはほんとうのできごとだったのだ。幼虫が蝶に変わるように、ゆりの精が人に変身した時だったのだ。
 老人は話を続けた。
 「この小屋の前を流れている小川は、その[水晶の泉]から流れてきたものなのだよ。
 [水晶の泉]はあの絶壁のような青い山のどこかにあり、泉から流れ出した水は、途中何段もの滝になって、百合の原のはずれの小さな池まで落下してくる。そこから小川になって百合の原を通りぬけ、この村に流れてくるのじゃ」
 老人は、身振り手振りをまじえながら、若者に説明した。
 「その百合の原のはずれの池の脇に[水晶の泉]へ登る入り口があるのだが、わしも昔、そこから[水晶の泉]に行こうとしたことがあった。
 そのころ白い魔女は強力な力があり、見つかったら命がなかった。
 滝を越えてわしは登っていったが、途中に、恐ろしい龍の住む深い淵があって、そこから先はとても行くことができなかったのじゃよ」
 「・・・・・・・・」
 若者はだまって老人の話を聞いていた。
 いまごろあの少女は、恐ろしい龍の住む深い淵を渡っている、と思うと、心がしめつけられるようだった。
 そんな恐ろしい淵をどうやって越えていくのだろう?・・・・
 「霧さえなければ、とにかく戻ってこられると思うがの、霧が深くなったらもうわからん」
 老人は首をつきだして空をながめ、
 「今日はめずらしく晴天で霧もでてないから、このまま明日まで晴れていたらいいのじゃが・・・・・・」といった。
 若者と老人は、とりあえずようすをみよう、ということになった。
 
 午後になって薄く白い雲がでてきた。
 雲は少しずつふえてきた。
 いつもなら午後は、少女と百合の王国にいる時間だった。
 かくれんぼして遊んだり、いっしょに寝ころがって、空の白い雲に名前をつけてあそんでいた。
 「あれはうさぎ雲、あっちは子犬」
 「あっ、くじら雲が子犬雲を食べちゃう」
 なんていってあそんでいたのだった。
 いつもいっしょにいる人がいないと、なにをしていいかわからなかった。  若者は、いてもたってもいられなくなった。
 小屋を抜けだし、まっすぐ百合の王国へいった。
 白い木のところにいって、まわりの高い山々を見渡した。
 [水晶の泉]はどのあたりだろう?
 白い木にきざんだ王冠のマークをなぜながらつぶやいた。
 「百合の王女様、かならず戻ってきて。
[リリーパーク]なんかどうでもいいから。もう君のいない生活なんて考えられないから」
 夕方になり、空は一面の雲におおわれた。
 霧が低くたれこめてきた。
 若者と老人は廊下にすわったままだまっていた。
 「だいじょうぶでしょうか?」
 若者は老人の横顔を見ながらたずねた。
 老人は若者の顔を見ると、しばらく何か考えていたが、
 「だいじょうぶじゃよ、百合の原があの娘を守ってくれる。百合の原があるかぎり、心配はいらないのじゃ。あの娘は百合の精じゃから」
とこたえた。
 若者はうなずいた。遠くの百合の原がしずかにゆれていた。
 百合の原に守られて、いまごろ少女はどこにいるのだろうか?。
 もう[水晶の泉]にはついたのだろうか?。
 その晩、少女は帰ってこなかった。
 
 翌朝早く、若者は家を出た。
 家の前の小川にそって逆にのぼっていった。
 村のはずれから、小川は森の中に入っていた。
 若者は、小川を見失わないよう、草をかきわけ進んでいった。
 とつぜん森は終わり、岩の壁にぶつかった。小川は岩にあいたほら穴のなかにすいこまれていった。
 穴のまわりは水でぬれて、しだの葉がしげり、ぽたぽた水滴がおちていた。
 こんな暗いほら穴を、あの少女は通っていったのだろうか?
 若者が、暗いほら穴の奥を目をこらしてのぞくと、なにかうごいていた。
 しだいにその影は大きくなり、はっきりしてきた。
 あの少女だった。
 「ユーリー! ユーリー!」
 若者は大声をあげて走り出し、少女を抱きしめた。
 「すごく心配してたんだよ」
 少女は涙ぐんだ。
 「どうしてここがわかったの?」
 「おじいさんに聞いたんだ、いろいろ」
 「ありがとう!」
 「[リリーパーク]をしらべにいったのかい?」
 「ええ、そうよ」
 「なにかわかった?」
 少女は若者の顔をのぞきこむと、
 「とても恐ろしいものを見てしまったの・・・・・・」
といって、遠くを見るような目つきをした。

[水晶の泉]は井戸のように深く、澄んだ青い水があふれているそうだった。
 少女が泉の中をのぞきこむと、ゆらゆらゆれていた水の底に、しだいになにか形が見えてきた。
 いちめんのゆりの花だった。いつも見なれた風景だった。
 ところがそこにとつぜん、赤い大きなカニがあらわれた。
 大きなハサミをもった赤いカニは、そのハサミでちょきちょきと、ゆりの花を切りだした。
 カニは二匹、三匹、四匹、・・・・とふえて、どんどん花を根元から切っていった。
 切られた花が、たちまち山のようになっていったそうだ。
 恐ろしくて、それ以上見ていられず、少女は[水晶の泉]をとびだしたそうだ。
 家に戻ると、少女は老人に、見てきたことをすべて話した。
 少女の話は、若者と老人にもおおきな不安をあたえた。
 大きな赤いカニとはなんのことなのだろう? 
 どうしてゆりの花を切ってしまうのだろう? 
 そしてそれが[リリーパーク]と、どういう関係があるのだろう? 
 楽しい遊園地と恐ろしいカニ。どうしてもむすびつかない。
 いくら考えても、なにもわからなかった。
 「このゆりの原にとって、よくないことはたしかじゃ、もしこの原がなくなってしまうようなことにでもなれば、わしらは生きてはおられん」
 老人はタバコをとりだすと、ゆっくりと火をつけた。
 若者は、腕をくんで考えこんだ。
 その日の夜中のことだった。
 とつぜん大きな悲鳴がした。少女の部屋からきこえてきた。
 老人と若者は、おどろいて少女の部屋にかけつけた。
 青い顔をして、目を大きく見開き、少女が天井を見あげていた。
 「どうした? だいじょうぶか?」
 老人が声をかけた。
 若者は、いそいで冷たい水をもってきて、少女にわたした。
 コップの水を飲み終わると、少女は、ほっとしたような顔になった。
 「あの赤いカニの夢を見たの。
 大きなハサミをひらいて、こちらに走ってきたの。こわかった!」
 老人は、そっとふとんをかけてあげると、
 「あんな遠くまで行ってきたんだ、疲れているんだよ。わしらがいるから今夜は安心してねむりなさい」 
といって若者と部屋をでた。

 「ゆりの王女さまはすごい大冒険をするんだね」 
 翌日、白い木の下で、少女をからかった。
 すっかり笑顔がなくなり、青い顔をしてだまりこんでいる少女を、笑わせようとして、若者はじょうだんをいったのだった。
 「わたし王女さまなんかじゃないの、ほんとうはゆりの精なの。
 このまえ、わたしが花から人のすがたに変わるの見たでしょう。」
 若者はうなずいた。
 「わたしは、このゆりの原でひろわれた赤ちゃんだったの」
 若者はおどろいて少女を見つめた。
 「わたしがあなたを見つけたときのように、あのおじいさんがわたしを見つけてくれたの、命の恩人なの」
 「それじゃ、お母さんもお父さんも知らないんだ」
 「ええ」
 若者は少女がいとおしくなった。思わず少女を抱きしめた。
 「君のお母さんはこのゆりの原だよ、このゆりの王国が君のお母さんなんだ」
 「ええ、おじいさんもそういっているの、お前はゆりから生まれたゆりの娘、ゆりの精なんだって」
 「そうだよ、ゆりの精、ゆりの王女さまなんだよ」
 若者は少女を抱きしめたまま、ゆりの原をながめていた。
 頭の上の無数のゆりの花が、うなずくようにゆらゆら揺れた。
 たとえゆりの精でも、こうして人間の少女のすがたをしていれば、ぼくはそれでもかまわない、と若者は思った。

  なぞにつつまれた[リリーパーク]だった。
 若者はますます[リリーパーク]が気になってきた。
 どうしてもはっきり知りたくなった。
 大冒険をして少女は[水晶の泉]まで行き、しらべてきたのだけど、考えてみればあのがけの上に行きさえすればいいのだった。
 ここに来た時、オートバイで、あの古びた赤レンガのトンネルを抜け、森の中をくだって、がけから落ちたのだ。
 トンネルからがけまでほんのちょっとの時間だった。
 ほんの少しの距離だった。
 「あのがけの上に行けばいいんだ。いって赤いトンネルをくぐれば、目の前が[リリーパーク]なんだ。[リリーパーク]の音楽が聞こえるんだよ」
 少女は、じっと若者の目の中をのぞきこんだ。
 「もう[リリーパーク]なんて忘れて、この村でいっしょに暮らしていきましょう。それとも、この村を出て行きたくなったの? [リリーパーク]なんてないのに」
 若者は、首を大きく横にふった。
 「[リリーパーク]がやっぱり気になるんだ」
 自分の目ではっきり見ないかぎり、[リリーパーク]を忘れることはむずかしかった。
 楽しい遊園地が、この村のすぐ近くにあるというのに・・・・・ 
 スリル満点のスペースコースターがぐるぐる走り回っているのに・・・・・
 少女をつれていってあげたい、目をまるくしておどろく顔が見たい・・・・・  そうすれば、不安な青い顔なんかすっ飛んでいってしまう。
 キラキラとかがやく笑顔が戻ってくるにちがいない。

 

その日の夕食の時、若者は老人にがけの上に行く道をたずねた。
 「ないことはない」
 老人は、目を閉じ、なにか思い出すような顔つきで、
 「谷のはずれに細長く、原が森に入ったところがあるじゃろ、そこからぐるっと森をまわって、あのがけの上に、いけるそうじゃ。
 ずっと昔、村の若者が一人でていった。
 それから何日かして、その若者は戻ってきた。
 おどろいたことに、たった数日で若者は老人に変わっていたのじゃ。
 やせおとろえ、腰は曲がり、あたまはまっ白になっていた。
 まるで別人のようだった。
 まもなくその老人は死んでしまった。
 それ以来、村のものは誰も、あのがけの上には近づかなくなったのじゃよ。
 魔の場所なのじゃ。村では「魔の口」といっておる。
 おそろしいことがおこる。近づかんほうがいい。
 あんたもあの魔の口からやってきた。
 ふしぎな、とんでもないことは、一度すればじゅうぶんじゃよ。
 どうだね、おまえさん。この村で暮らしていく気はないかね。仕事は気にいったようだし、この娘とも気があうようだし・・・・・」
 ここまでいって、老人はじっと若者の顔を見つめた。
 若者は赤くなり、ちょっとつっかえながら
 「ええ、ぼくはとてもこの村が気にいっているんです。
 ここで暮したいと思っています。
 ただ、ちょっと村の外が気になるだけなんです。それと・・・・」
 若者は、少女と結婚したいといおうとしたが、ことばがでてこなかった。老人は、笑いながらうなずいた。
 「わかっとる、わかっとる。もう、がけのむこうは忘れなさい」

 でも、二、三日するとまた、がけのむこうが気になってきた。
 もうがまんできない。ちょっといって見てこよう。 
 [リリーパーク]の一部だけでも見つけたら、すぐひきかえしてくればいい、それで気がすむから・・・・ 
 あとはこの村で少女と楽しく暮らすんだ。
 そう決心すると、つぎの朝早く、こっそり家をぬけだした。
 どんどん走って、ゆりの王国の白い大きな木の下まできたとき、
 「ユーリー!」
 すきとおった鈴のような声がひびいた・・・・
 おどろいた若者の前に、あの少女が飛び出してきた。
 「やっぱりいくのね。おねがい、いかないでちょうだい」
 少女の目は、涙であふれていた。



 「たしかめにいくだけなんだ。すぐ帰ってくるよ。心配しないで」
 若者は、少女の肩を抱いた。
 「いいえ、おそろしいことがおこるわ。おじいさんが、話したでしょう」
 「ぼくは、あそこからきたんだ。しらがの老人になんかならなかった。ぼくはだいじょうぶなんだよ。
 君に、すてきなしらせをもってくるんだ。そして結婚しよう」
 少女は、若者の胸に顔をうずめると、いつまでも泣いていた。
 やがて、ゆっくり顔をあげると、
 「わたし、ここで、ずっと待っているから。かならず帰ってくるって、約束して」
といって、若者をみつめた。
 大きくうなずくと、若者は少女をしっかり抱きしめた。

 老人の教えてくれた道へいそいだ。道はすぐに見つかった。
 森の中をぬけ、しばらく歩くとがけの上にきた。
 がけの上からふりかえると、白い木の下にぽつんと小さく少女が見えた。
 若者は大きく手をふった。
 遠くで少女も手をふった・・・・
 記憶をたよりに、森を登っていき、霧の中のあの古びた赤いレンガのトンネルに入った。



 トンネルを出たとたん、目の前に白いガードレールがあらわれた。
 霧の中から黄色いライトが光り、満員の乗客をのせた大型のバスが、道路をゆるがして通りすぎていった。
 バスには[リリーパーク]と書いてあった。
 あのオレンジ色の観光バスだ。
 バスの行ったほうからにぎやかな音楽が聞こえてきた。
 [リリーパーク]のあの音楽だ。
 「やっぱりきてよかった。見つけたら、すぐ引き返して少女をつれてこよう。おどろくだろうなあ!」
 若者は、わくわくして、バスのいった方に走りだした。
 まもなくスペースコースターの銀色に光る鉄骨の塔が、山のかげからキラリとのぞいた。
 「やったー、見つけたぞ!」
 若者は、くるりと向きを変えると、また大急ぎで走りだした。
 「きょうは二人で見物だ。まずあのスペースコースターに乗ってみよう・・・・・」
 頭の中であれこれ考えながら、あの赤レンガのトンネルの所まで走った。
 でも、どこまで行っても見つからない!
 とうとう大きな青い橋の上まできてしまった・・・・
 さっき、こんな橋なんかわたらなかった。
 若者はまた、くるりとひき返した。
 何回そこを往復したことだろう。もう歩けない。
 「あのトンネルが・・・・消えてしまった!」
 「これはどういうことなんだ?」 
 若者は、石のようにぼうぜんと、そこにつったったまま考えこんだ。
 トンネルは、まぼろしだったのだろうか?
 やはり魔の入り口だったのだろうか?
 そうすると、トンネルの向こう側のゆりの王国もまぼろしだった?
 「そんなことは絶対ない」頭の中で、あわてて打ち消した。
 [リリーパーク]に行けば、だれかゆりの王国を知っているだろう。

 [リリーパーク]につくと、広い駐車場にたくさんのバスが並んでいた。
 からっぽのバスの中で新聞を読んでいた運転手に聞くと、
 「そんなすごいゆりの原がこの近くにあるなんて聞いたことがないよ」
といった。
 若者は切符売り場の長い行列にならんた。



 外国のお城のような門を通って中に入ると、そこはメルヘンの世界だった。
 にぎやかな音楽、楽しそうな赤や黄色や青の建物、風船を手にした子供たち、ゆりの花の馬車・・・・
 若者は、てあたりしだい、聞いてまわった。
 お店の女の子、ゆりの花のぬいぐるみで踊っている人、観覧車の係のおじさん・・・・
 だれもゆりの王国を知らない。
 青い作業服を着たおばさんが、レストランのかげから出てきた。
 たぶんこの近くの農家から手伝いに来ているのにちがいない。
 若者はおばさんにきいた。
 「この谷は、それはみごとなゆりの原だったそうだよ、四年前まではね。
 その後、[リリーパーク]の開発工事がはじまったのだよ。
 赤い大きなブルドーザーが何台も入ってきて、どんどんゆりの原をつぶしていったのさね。
 これだけ広い土地だから全部のゆりがなくなるまで、ずいぶん時間がかかったのさ。
 うちのおとうちゃんは、ブルドーザーの運転手だったのでね、たっぷりお金をかせがせてもらったんだよ。
 あのころ、切ったゆりの花を、毎日どっさりかかえて帰ってきてね。
 家中ゆりの花だらけになったもんだよ。
 ほかにもいろんな仕事があったから、この近くの村の人たちは、みんな働きにきたものさ。
 わたしゃ、今でもこうしてここで働いているしね。」
 おばさんは、遠くを見つめるようにしていってから、
 「[リリーパーク]ができて、この山はすっかり変わったのさ。
 電気がきて便利になったし、広い舗装道路ができて、車が使えるようになったしね。
 もう白い魔女なんてどこかに行ってしまった。
 白い魔女ってのは、このあたりの古いお話のことだけどね。
 ここは昔は、村なんか無かったし、住んでる人は、一人もいなかっただよ。なにせ、道もない山深い秘境だったのでね」
 おばさんは、百合の原がつぶされて、この[リリーパーク]になったといった。それじゃあ、さっきまでぼくがいた、あのがけの下の百合の原はまぼろしだったのか?
 あの少女は今、白い木の下でぼくがもどってくるのをまっているんだ。

 ゆりの王国をだれも知らない。
 どうしたらいいんだ? ふらふらっと、そばのベンチにすわりこむと、若者はぼんやり空をみつめた。
 いつ歩きだしたのだろう、気がつくと若者は、巾広い階段をおりて、[リリーパーク]の中央広場に立っていた。
 広い芝生のあちこちには、なごやかに丸く輪になってお弁当を食べている家族、キャッチボールをしている父と子、肩よせあったカップルたちが、霧の海の中にちらばっていた。



 広場の中央は、大きなドーナツ状に赤いレンガがきれいに敷きしめられ、白いしゃれたベンチが置かれていた。
 新聞を読んでいるおじいさん、ひとやすみしている人。
 ドーナツの中心に、一本の大きな白い木が見えた。
 なにげなくその木をみた瞬間、思わず若者はさけんだ。
 「あの白い木だ!」
 ゆりの王国のシンボルのようなあの白い木は、一目見てすぐわかった
 「なぜ、こんな所にあの木があるんだ?」
 「ほんとうはどこなんだ、ここは?」
 若者はおそろしい予感に立ちすくんだまま、あらためて広場を見回した・・・・・・



 開発工事ですっかり変ってしまったが、よくみると見覚えのある谷や山。
 ゆりの花が一本もないので、あの白い木がなかったら、まるでわからなかったゆりの原。
 この広場はゆりの原だったんだ!
 若者が落ちた、あのがけのあたりは、今おりてきた広い階段に変わっていた!

 「こ、ここは・・・・あ、あのゆりの王国だ!」

 若者の心臓は凍りついた。膝が、がくがくとはげしくふるえだし、目の前がまっ暗になった・・・・
 「これは夢だ! これは夢だ!」
 今にも気が狂いそうになるのを必死にこらえ、若者はよろめきながら、白い木のほうへ走っていった。
 「あった!」
 木の幹に、はっきりとついていた。
 若者が、ゆりの王国と命名した時、くだものナイフでほったあの王冠のマーク・・・・
 マークの下に、なにか字がきざんである!

 「あなたをずっと待っていました。
 でももう、ゆりの花は一本もありません。
 わたしたちのゆりの王国はなくなりました。私のいのちも終りです。
 だからこの木にことづけしていきます。
 みじかいあいだでしたけど、とても楽しかったです。
 あなたのやさしさは大切な思い出です。ありがとう。
 いつまでもおしあわせに、さようなら」

 「 ・・・・・・・・ 」


 熱い涙がどっとこみあげ、若者は木に抱きついた。
 若者は木をかかえたままさけんだ。

 「ユーリー! ユーリー! ユーリー! ユーリー! ・・・・・・ 」
 
 するとその時、ふしぎなことがおこった。
 時計が止まったように、広場にいる人々の動きが止まったのだった。
 停止ボタンを押された画面のように、皆、そのままの姿で動かない。
 そしてスイッチの切れた画面のように、あたりの景色も人々も、すーっと薄くなり、消えていった。
 にぎやかな音楽も消えて、あたりはシーンとなった。
 かわりに、白い木のまわりにたくさんのゆりの花がポッポッポッ、とあらわれ、たちまちあの広いゆりの原に変わった。
 見渡すかぎりはてしなく広がったゆりの原。
 ゆりの原の奥に向かって、なにかが手をつないで走っていった。
 少女と若者の二人のようだった。
 二人がゆりの原の奥に消えると、画面は、ふっと元に戻った。
 なにごともなかったように、広場の人々はお弁当を食べ、キャッチボールをし、ひとやすみしていた。
 楽しいにぎやかな音楽と、人々のざわめきが戻った。
 木の下の若者のすがたが消えていたが、だれも気がつかなかった。
 ほんの一瞬の、まぼろしのようなできごとだった。

 霧が静かに流れていた・・・・・・

 霧の中から谷間があらわれた。



 谷間の中央に、白く輝く巨大な高層ホテルが浮かんでいた。
 そこはちょうど、あの美しい小さな村が「あった」あたりだった。

           (完)

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