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こだまマジックの花火大会                  こだま 『おしまい定期便 「一周忌という名の祭典」』

 今頃になると、以前一緒にバンドをやっていた大学の一年上の先輩が「もうすぐ花火大会があるから」とそわそわしだしていたことを思い出す。
当時、自分たちが通っていた大学から、車で小一時間ほどかかる「街」にある実家住まいのその先輩が言うには毎年、地元の高校時代の友人たちと昼頃からビールを飲みながら場所取りをして、一日中花火大会に費やすというのだ。

 自分は子どものときは地元で花火大会があっても家から見てることがほとんどで、会場へ向かうことがあっても、花火が打ち上げられている方向へ行けるところまで行って終わる前までには混雑のピークを避けるために帰るという、かなりセーブした楽しみかたで、高校時代は暗黒時代だったので家から、大学時代は試験期間と重なるために同じく家から少しだけ。と、それなりに楽しみにはしていたのだがそこまで思い入れがないままだった。

数週間前に映画館へ、ある映画を観に行った。上映前に様々な映画の予告編が流れるがそのうちの一つに、ある「街」の「花火大会」のドキュメント映画の予告が流れた。

その先輩が住んでいたのはその「街」だった。その「街」の「花火大会」に鎮魂の意味もあることを自分が知ったのは、わりと最近である。


前回から一か月ぶりにこだまさんのエッセイが更新された。

※未読の方は是非、先に読んでみてください。







この回の冒頭は、こだまさんが自身のお父さんの一周忌の為に花屋に注文していた供花を受け取りに行くところから始まる。実家は配達してもらえない区域だから自分で取りに行くという。

 ルームミラーに映る花を確認しながら慎重に運転する。一週間前に十八キロ超えのスピード違反で捕まったばかりの私は、もう車絡みで失敗したくなかった。急ブレーキを踏んで花を倒したくないし、花に気を取られて車もろとも転がりたくない。

おしまい定期便 「一周忌という名の祭典」

花を車で取りに行くだけのエピソードが何やら穏やかではない雰囲気で始まる。 (何があったが知らないがスピード違反は多分、この時。)
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無事、花と共に到着したこだまさん。お父さんの一周忌の法要が始まる。
毎回、強烈なエピソードを残すこだまさんのお母さんがやはりここでも実力を発揮する。

母の目の前の畳の上を脚の長い虫がカサコソと移動した。ガガンボだった。お経につられて出てきたかのようなタイミングだ。微笑ましく思いながら眺めていたところ、いきなり母が身を乗り出し、拳で一撃。その死体を自分の座布団の下にひょいと隠した。殺生、即、隠避。野生動物の本能に似た、あまりに素早い動きだった。

おしまい定期便 「一周忌という名の祭典」

この後の周りのご家族のリアクションも、是非とも読んで楽しんでほしい。(人の法要の話で楽しむのは不謹慎ではあるが。)


そして、お坊さんの読経が佳境に入るとき、予想外の事が起きる。

なーむあーみだーんぶー

赤組がんばれ!

なーむあーみだーんぶー

白組負けるな!

 すっかり忘れていた。保育園の運動会が始まったのだ。

 コールアンドレスポンスのような坊主と幼児の異色のセッション。そこへ運動会おなじみの曲「天国と地獄」が流れた。おじやおばもくすくす笑っている。この間の悪さは父が引き寄せたのかもしれない。

おしまい定期便 「一周忌という名の祭典」

 近所の保育園では運動会が行われていて、しかも読経と絶妙な絡みを見せる。これではまるで陽気な音楽で死者を送り出す、ニューオリンズのセカンドラインのようである。


更に、駄目押しのようにこんなエピソードが続く。

 応援合戦を終えた僧侶を見送りに外へ出ると、車のナンバーが7676だった。南無南無。世間話をほとんどしない物静かな性格だけど、無邪気な人なのかもしれない。

おしまい定期便 「一周忌という名の祭典」

すっかり「おもしろ名物坊主」みたいな扱いだが、お坊さんが狙ってやったと思われることは客観的には一つもない。
読経中に笑いたかったのは、お坊さんの方だっただろうに気の毒である。
このエッセイをここまですらっと読めて笑っていたのなら、あなたは既に「こだまマジック」にハマっているのである。

この後の、こだまさんがお父さんの葬儀で挨拶を務めることになったくだりは本当に実際に読んでほしい。こだまさんのご家族への複雑な想いが、複雑なまま伝わってくる。

 目まぐるしく変わるエピソードの数々とその余韻に、花火大会のフィナーレの後のような読後感だった。



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