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作者の「感覚」と文学との関係                柴崎友香×横道誠 「私は「この私」を通じてしか世界を経験できない」『あらゆることは今起こる』


 先月になるが、下北沢のB&Bでこのイベントに行って来た。


柴崎友香さんの『あらゆることは今起こる』は、 Xでフォローしている作家が関連したポストをしていたのと、自分の周りでも話題になっていて興味があった。

自分は家族に発達障害と診断されたものがいるのと、自身については発達障害と診断されたことはないが、発達障害者の感覚には共感できるところもあり、当事者による体験談は身近なこととして興味を持ったので、登壇者お二人の本を読んでからイベントに向かう。


イベントの冒頭ではお二人の共通点として、大阪の中の近い地区で生まれ育ったことが挙がる。大阪の土地柄とADHDの特性について面白おかしくトークが始まり、会場は笑いに包まれた。
柴崎さんは芥川賞作家、横道さんは文学研究者ということで、お二人の好きな本のタイプの話になる。

柴崎さん
ごちゃごちゃとして段々となんだか分からなくなっていくような混沌とした世界観の話が好き。(ADHDの人によく起こりがちな、自分と周囲との認識の「ずれ」に困惑するということが、不可思議な世界観の物語の中では問題が「人」から起きるのではなく、「世界」が起こすエラーに原因があると思えて気が楽になるとの柴崎さんの自己分析。)

横道さん
読んでいて世界が「クリア」になるような、「覚醒」するもの、分かりやすく整理された世界観じゃないと耐えられない。(自身が「宗教2世」であった経験から、混沌とした理解できないものに対して恐怖感があるとのこと。) 

と、それぞれの個性が浮き彫りになった。


話題は文学作品と作者の内的世界観との関係についてに変わった。横道さんが村上春樹の作品について触れ「毎回、同じような主人公、モチーフと世界観で書いていて自閉症的」と評した。

自分は、村上春樹が「同じような設定パターンで作品を書いている」ことを、単純に作者が以前の作品で描き切れなかった部分を、違った切り口で書いているようにしか見てなかったので、横道さんによる見方は意外で興味深かった。

次に話題は特有の「感覚」が表現された文学作品についてへと移り、発達障害者特有の「時間感覚」に極めて近い表現をしている作品として、カート・ヴォネガットの『スローターハウス5』が取り上げられた。

横道さんの見解によると、この小説の主人公が突然、過去へタイムスリップする(身体は当時の年齢になる)のは、作者のヴォネガットが第二次世界大戦中に経験したドレスデン爆撃によるPTSDに悩まされていて、その症状の一つであるフラッシュバックによるものを描いたのではないか?という話だった。(発達障害者もフラッシュバックが起きやすいとのこと。)

フラッシュバックが起きると、トラウマになっている過去の記憶が生々しく頭の中で再生される。そのとき、他の思考と活動はフリーズしてしまうか、過去の記憶に対するリアクションに費やされてしまうので、現実で必要な活動はできずに時間だけが過ぎてしまう。(横道さんはフラッシュバック時のことを「時間が溶ける」と表現していた。)

自分も『スローターハウス5』を読んだとき、フラッシュバックのような描写だと思っていたので共感できた。

文学作品についての対談が終わった後、イベント参加者による質問の時間になった。
最初の質問者は、発達障害ではないが別の障害のあるお子さんを持つという方。子どもに自己肯定感を持って生きて行ってほしいと思っているが、親としてどのように接するように心がけていったらいいかという質問。

横道さん
同じ障害を持つ子どもの「家族」の自助グループに繋がること。同じ悩みを持つ者同士で情報を互いに共有することで心の支えになったり、自尊心が高まったりする。まずは親がつぶれないことが大事だと思います。

柴崎さん
私は子どもがいないし、自分が子ども時代のときは発達障害という言葉もなく(障害を持った子どもとして扱われたことがなく)、障害を持った子どもの為にどういう風に接したらいいかというのはあんまりわからないんですが、横道さんの本やSNSで発達障害を持つ子供の親御さんだという方の書き込み等を見て、みんなと同じことができるのを目指すのではなく、その子にあったやり方を探していく、親もそのための考え方を一緒に学んでいく。というのを見てハッとして、「ああ、そうか」と思いました。

感想:横道さんは発達障害やアダルトチルドレンの自助グループを運営されているだけあって具体的に、柴崎さんは大人になった発達障害当事者として、大切なことをアドバイスされているなという印象だった。

次の質問者は発達障害と診断された後に、ご自身のことを文章に書いて言語化されているという方。
初めのうちは楽しく書いていたのだが、定型発達の人との違いを比べているうちに、段々とご自身のことをネガティブな方向に受け止めることが多くなってきたとのこと。言語化にすることによって良くない側面もあるのではないか?という質問。

横道さん
文章に自分のことを書き出すときは自己嫌悪になるような書き方をせずに、自分がハッピーになれるように書いた方がいいですね。
認知行動療法的な発想で、自分の視野を広げたり、感性を耕すような言語化を探求したほうがいいと思います。

柴崎さん
言語化することが全ての発達障害で悩んでいる人に必要かというと私はそうは考えていなくて。マイナス方面に掘り進んで考えてみても、周りとの関係が改善するわけではないと思います。
私は考えることが元々好きだし、(仕事として)本も出せるので。
(本で書いた)日常生活での工夫とかも必ずやらなくてはいけないっていうことではなく、自分自身がこっちの方がやりやすくて、楽になるってことはやったらいいと思います。
全てのことを言語化できるわけではないので、自分をとらえる叩き台として「言語化する」ということを考えたらいいと思う。

感想:お二人とも、自分のことを言語化するなら自身が前向きになれるような視点で書く方がいいとのアドバイスだった。他者からの視点にとらわれることなく、自分で自分の持ち味を活かせるように考えていくことが大事ということかなと感じた。


若い質問者の方。登壇者のお二人を見ていると発達障害を抱えつつも、それを克服して社会的に成功しているように見受けられる。発達障害だと学習面でも困難な場面があると思うが、お二人はどのようにしてそれを乗り越えてきたのかという質問。

横道さん
一種の諦めもあって苦手なことは切り捨てて、得意なことをひたすら伸ばした。発達障害特有の好きなものに対するこだわりの強さ、過集中なども自分の場合は良い方向に作用した。
自分の場合は三十代になるまで発達障害の診断を受けてなかったので、(自身の特性や限界が分からずに)アルコール依存症になって人間関係も破綻し、学会のホープ扱いだったのが論文も書けず、学会にも出られなくなったんで。
一年半休職して、発達障害と依存症の診断を受けてからガラッと自分の見方が変わって、(状況に応じて)どうしたらいいのか分かるようになってきたんです。 自助グループにも参加するようになって、自分にそっくりな人たちを客観的に見て自分も変わってきた。
自身のキャリアについては運によるところが大きかったと思います。(採用の枠が極めて狭い職種なので)正規の職に就けずにカツカツの生活を送ってた可能性もあったと思います。

柴崎さん
自分も好きなものはずっとやってこれたので、好きなものや「これだったらできる」というものに意識を向けるというのがいいと思います。
昔から苦手なものは諦めてきて、それが役に立ったときもあったけど、今のように発達障害の診断が受けれたり、その特性がわかっていたら自分なりのやり方で出来たこともあったんじゃないかと。やってみて、やっぱりできないってこともあるかもしれないですけど。自分が若いときに今みたいにいろんな情報があったらよかったなと。
後は伝記を読んで、「この人たちも子どものとき、こんなんやったんやからイケるんちゃうん?」と思うといいと思います。
(横道さんとの対談で、伝記になっている偉人の中には幼少期に発達障害の傾向が見受けられる人も多いとの話を受けて)

感想:質問者の方は「今の日本の教育では全ての能力があることが求められているような気がする」ということを言っていたが、登壇者お二人の「得意なことに力を入れる」という方向性に共感しているようだった。
発達障害であるかどうかを別にしても、人を値踏みするような減点方式の評価方法ではなく、個人の特性を活かすために評価をするというのが一般的になった方がいいと自分は思った。


小学校の教員だという方。お二人の小学生時代に担任の先生からされて良かったこと、また嫌だったことを教えてほしいとのこと。
質問を聞き終えたお二人は一瞬、無表情で黙り込む。

横道さん「あんまり、いい思い出がないですよね。」
柴崎さん「ないですねー。」

というあまり気乗りしてなさそうなリアクションから応答は始まった。

横道さん
私にとって良かった先生というのは放任主義というか、あまり関わってこない先生ですね。
もしかしたら、その先生個人がだらしがないというか、ちゃんとした倫理観がなくて介入してこなかっただけかもしれないけど、私としてはそれがありがたかったです。
そういう風な子どももいるっていうことはわかってほしいと思います。

柴崎さん
ほんとに、嫌だった話はなんぼでも出来るんですけど、特に嫌だったのは見せしめのために怒ること。前の方に立たせて(怒る)っていうのが私だけじゃなくて他の人にもあって、今でも何回も思い出して、この本(『あらゆることは今起こる』)でも書いたんですけど。
授業中に先生に当てられてもずっと喋らない子がいて、先生もそれがわかってたんで授業中に当ててこなかったのに、あるとき、突然その子に当てて「今まで甘やかしてた。今日は答えるまで全員帰らせへん。」と言って、その子が黙ってずっと泣いてたのがほんと忘れられなくて。「見せしめ」とか「連帯責任」とか、それがほんとに辛かったですね。

小学校のときは四年生のときの先生が唯一好きで、子どものことをすごい「面白がってる」先生だったんですよね。
その当時、他の先生から私はわりと優等生扱いされてて、「優等生」っていう役割でみられてるっていうか。
でも、その先生はみんな分け隔てなく、「なんかおもろい子やな」って感じでそれぞれの子を見てくれたので。
さっきの喋れなくて泣いてた子も四年生のとき同じクラスだったんですけど、その子が文集に書いた文章があって、私(柴崎さん)はその文集の中でそれが一番良かったっていうのを、また違うときに作文で書いて。
それを見た先生が、「柴崎は、これが一番良かったんか?」って聞いてきて、私が「うん、そうそう!」って答えたら、先生がその子に「やったな!」って言ってて、そんなところが良かったなあと思ってて。

でも、その先生はお楽しみ会するときに本当は駄目なのにお菓子持って来て、他の先生からめっちゃ怒られてたり。

あと、『ごんぎつね』は最後に、ごんが死んだのかどうかというのをクラスで意見が分かれたときに、先生に「お互いに話し合え」って言われて、そこで論争みたいになって、でも(どっちが正しいとか)答えを出さずに終わらせたり。そういうところも楽しくて。その先生は本当に好きでした。


(小学校のときではないが)
中学三年のときの国語の先生が定年間際で、中学生から見たら「おじいちゃん」の先生で、普段は厳しくてあんまり好きじゃなかったんです。
体育館での全校集会のときにその先生が前の方に立って喋ってたことがあって、私は注意散漫なんで天井に挟まってるバレーボールをずっと見てたら、いきなり「そこで上向いてるアホ!」って言われて、みんなにめちゃめちゃ見られたり。そんなんもあってその先生のことは嫌いだったんですけど。

作文の授業のときに、(横道さんの著書を指しながら)発達障害の人って Xジェンダー的な人が結構多いって、私もそういうところもあったし、男女の役割っていうことにすごい疑問を持っている子だったんで、先生に「なんで女やからって〈私〉って書かないといけないんですか?」って言って当然、「そんなん決まってるやろ」って答えが返って来ると思ってたんです。
そしたら、「そんなん、なんでも書いたらええがな。〈わし〉でも〈俺〉でも好きな様に書け。」って言われて、「あっ、そうなんや。」と。
そのとき「この先生こういう人なんや。」と思って。
それから、その先生に出すやつは全部〈僕〉って書いて出すようになって。
そうすることでちょっと(普段の)自分とは違う距離感というか、小説的なものを書くきっかけになって。
 
そうやって書いた作文をコンクールに出してくれることになったときに先生が私のところにやって来て「悪いな。コンクールに出すんやったらな、いろいろ言われるんでちょっと〈私〉って書き直してくれへんか。」と言って来て。(柴崎さんは笑いながら話していたので、そのとき〈私〉に書き換えたことに関して嫌な思いはしてないようだ)その先生は好きだったし、いい経験になったと思います。

小説家になってわりと大きく新聞に載ったときに、その先生から電話がかかってきて「まぁ読んだけど、わしにはようわからん。」とか言っていました。


ここまで話が終わったときに、横道さんから「ちょうど時間ですね。」と声がかかる。「今日はかなりレベルが高い(内容)ですよね。」とビールも入ってご満悦の様子の横道さんと「いい話しましたね。」と相槌を打つ柴崎さん。感無量といった雰囲気の中、トークイベントは終了した。
  
話はあちこちに飛びながらも随所に聴きどころのある、いい内容のイベントだった。

自分がこのイベントに来るタイプに見えないらしく、不思議そうな表情でサインを書かれていた。  


一生懸命話しかけたがリアクションは薄目だった。ちょっと残念。



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