見出し画像

ジェラシア物語

※この物語は「花曇はるかというキャラクター」のバックボーンを深く理解するのに役立つかもしれない資料のようなものです。「VTuber花曇はるか」を追うにあたって必読の作品というわけではありません。ご了承ください。


魔女の誕生

 あるところに、1人の少女が居た。
 流行り病で両親が死んだ後、老い先短い薬師の老婆に引き取られた少女は、老婆が死ぬまでの数年間で彼女の持つあらゆる知識を叩き込まれると、齢16にして村で唯一の薬師として重宝される立場になった。
 だが、彼女が重宝されたのは薬の知識だけが理由ではない。人々の悩みに寄り添い、ときには薬に頼らず励ましの言葉だけで苦悩から解放し、それを我が事のように喜ぶ人柄こそが村人に好かれていた。
 そんな彼女を、『教会』は魔女と呼んだ。人生における全ての苦難を神からの試練と捉え、乗り越えることに意味を見出す神の信徒にとって、苦難から逃れることを肯定して堕落に導く少女は、神に逆らい人々を誑かす魔女にほかならなかった。
 ただの人間でありながら、魔女として吊るし上げられ、少女はその身を焼かれた。
 少女に救われた事実を必死に説明し、彼女を庇った村人たちも、魔女信仰の村として村ごと焼かれた。
 業火に焼かれながら、最期に感じたのは「怒り」。苦しむ人々を救いもせず、あまつさえ滅ぼすことを善しとする神への激情。
 その強い感情が、魔女の汚名を背負って死ぬはずだった少女のもとに悪魔を引き寄せた。

契約の履行

 悪魔との契約に応じ、少女は真の意味で魔女に成る。彼女の肉体は浄化の炎に包まれ、灰となって滅んだが、魔道に堕ちたその魂は既に不滅だった。
 「不滅の魂を得る代わりに『教会』の信徒を1人残らず地獄へ堕とす」──悪魔との契約に従い、魔女は復讐を始める。『教会』の指導者に取り憑き、容易くその魂を飲み込むと、指導者に成り済ました彼女はその地位を利用して組織の内部対立を煽った。
 同じ神を信じる者たちが、些細なことで互いを異端者として告発し、火に焼かれる。友が焼かれ、親が焼かれ、自分もまた誰かを焼く。謂れのない告発を恐れた者は、疑心暗鬼の末に自ら手を汚す。そうして出来上がった地獄絵図を見下ろして、魔女は「指導者の死」をも最後の火種として利用し、憎き『教会』の殲滅を成し遂げる。
 契約を果たし、復讐を果たし、あとにはただ誰にも縛られぬ不滅の魂だけが残った。
 幸せでいてほしかった村人はもう居ない。不幸の底に落としたかった怨敵ももう居ない。
 決して滅びない魂を手に入れながら生きる理由を失った彼女は、それから数多の人間に取り憑いて魂を取り込んでは肉体を奪い取り、ただ欲望のまま刹那的な快楽を求めて生き続けた。最早そこに、人々の幸福を願って笑っていた少女の面影は既にない。他者の人生を食い潰しながら、そのくせつまらなそうに惰性で生きる魔女の姿だけがそこにあった。

世界の崩壊

 そうしてどれだけの時が過ぎた頃か。世界は、唐突に終わりを迎えた。
 『教会』の信じる神は実在した。人々に試練を与え、苦難を乗り越える姿を賛美し、何度でもその光景を見ようと生き地獄を作り続ける悪しき神が居た。その神が悪魔の手で討滅された瞬間、世界は一瞬のうちに消え失せ、新たに「神が存在しない世界」が生まれた。
 古い世界に生きる者たちは、その多くが新たな世界の「材料」として姿を変えた。新たに生まれた人類は古い世界の記憶を持たず、新たな世界には古い世界の遺物も存在しない。
 ただ1人、不滅の魂を得ていた魔女を除いては。
 世界の崩壊に巻き込まれた影響で、彼女もまた多くの記憶を失った。支配者たる神が消え、世界の法則が変わったことで、魔女の持つ超常的な力もほとんどが失われた。それでもなお、彼女の魂は滅びぬまま、生まれ変わった世界の片隅に取り残された。
 魔女が覚えていた数少ない記憶は「人間でありながら魔女として焼かれ、死の間際に悪魔の誘いを受け入れ不滅の魂を持つ魔女になったこと」と「かつては誰かの笑顔を見ることがなにより好きだったはずなのに、誰かの人生を奪わなければ今の自分にはただ生きることすら出来ないこと」だけ。苛烈な復讐の末に失った良心を、記憶の混乱によって中途半端に取り戻した魔女にとって、その僅かに残された記憶は彼女を絶望させるのに十分だった。
 故に、彼女は探した。年若く、強い自我を持ち、自分の摩耗した魂を飲み込んで終わらせられるだけの魂を持った人間を。
 そして彼女は出会った。かつての自分と同じ名前を持ち、自分とよく似た色の魂を持つ、まるで生き別れた姉弟のようにすら感じられる少年と。

運命の邂逅

 魔女は、自らを殺すために少年と対峙した。彼に取り憑き、夢の中に現れると、「肉体を奪われて死にたくなければ抵抗してみせろ」と挑発してみせる。本心では、彼を殺す気など欠片も無いにもかかわらず。
 彼女の狙い通り、少年は夢の世界をその強い自我で操ると、形だけの殺意を見せる魔女を容易く追い詰めた。あと少しで、魔女の願いは叶う──はずだった。
「取引をしようぜ。お前が本物の魔女だってんなら、ちょっと俺に協力してくれよ」
 少年は魔女を殺さなかった。勝者としての立場を利用して魔女を自分の支配下におくと、彼は自分以外の人間を襲わないよう魔女に約束させ、代わりに自分と肉体を共有することを許した。ともすれば無謀としか言えない取引の内容に、さしもの魔女ですら言葉を失った。
 だが同時に、魔女は安心を得た。この少年と居る限り、自分は他人を犠牲にすることなく「人生」を歩むことが出来る。願わくば今度こそ、身近な誰かと笑い合える人生を歩みたい。その相手として、ただ「面白そう」という理由で自分を受け入れた少年は理想の人物だった。
 出会いが殺し合いの様相だったことは、最早2人とも気にすることはない。ときに寄り添い、ときに主張をぶつけ合い、少年が青年になるほどの歳月を共に生きた。こうして魔女の亡霊ハルカ・ジェラシアは、桜居春香という「半身」とも呼べる存在を得たのである。

理想の魔女

 ある日、春香の友人から「VTuberとして活動を始めたいので準備を手伝ってほしい」というメッセージが届いた。友人は専門学校時代の同級生であり、他人に世話を焼くのが好きな春香があえて断る理由もない。彼は誘いを快諾すると、友人のデビュー準備を支援した。
 当たり前のように友人が「一緒にデビューする仲間」として春香を頭数に入れていることを知ったのは、それからしばらく経った後のことだった。
 それは春香にとって想定外の展開だったが、幸いにもデビューに必要な機材やアバターはそれ以前からの趣味で揃えたものが流用できる。当時は転職活動に苦戦して無職だったこともあり、暇な時間も意図せず有り余っていた。「どうせやるなら好き放題してやろう」と、春香が乗り気になるには十分な状況だった。
 そして当然、春香の半身であるジェラシアが大人しく黙っているはずもない。2人は春香が流用するつもりだったアバターの容姿をベースにお互いの理想とするキャラクター像を挙げていき、自分たちが共同で演じる「理想の魔女」を作り上げていった。
 そうして出来上がった2人の理想像こそが、バーチャルYouTuber花曇はるかである。
 だが、花曇は「創作された架空のキャラクター」で終わらなかった。
 一度は自分の死を望みながら、唯一無二の相棒と出会い、生かされ、幸福を得た古き魔女。彼女の中に根付いている「ハルカ・ジェラシアは滅びるべきだった」という罪悪感が、花曇という「言い訳」を得て暴走を招いた。
 ジェラシアは、自らの罪悪感を核とした「自罰の感情」を「ハルカ・ジェラシア」として切り離すと、残された部分を「花曇はるか」だと思い込むようになったのだ。花曇はるかというVTuberが活動を始めてから、およそ1年が経った頃のことである。
 それ以来、春香の肉体にはジェラシアと花曇、2人の魔女が取り憑いている状態が続いた。花曇は頻繁に春香の肉体を拝借しては現実世界に干渉するようになり、春香の自由を優先するジェラシアがそれを咎め、面白ければなんでもいい春香がジェラシアを宥める、そんなやり取りが3人にとってお決まりの流れになっていた。春香は花曇が架空の存在ではなくなった経緯について正しく理解しているわけではなかったが、既に魔女という非現実的な存在と長らく関わってきた影響で、ことさら異常事態であるとは認識していなかったのだ。
 ジェラシアとして切り離された自罰の感情が「花曇はるかとなったハルカ・ジェラシア」諸共ジェラシアの存在を消し去ろうと行動に出た、その日までは。

自滅の衝動

 自罰の感情を切り離した存在である現在のジェラシアは「魔女に恨みを抱きながら取り込まれて肉体を奪われた犠牲者の魂」も内包していた。故に、ジェラシアの持つ衝動は最早「自罰」と呼ぶには生温い「自滅願望」にまで膨れ上がり、自らを「花曇はるか」だと思い込むことでそこから目を背けた自分自身を、今度こそ滅ぼそうと行動に移したのである。
 そうして始まったのは、まさしく過去の再現だった。
 ジェラシアの生み出した悪夢に囚われた花曇は、生前火刑に処された日の光景を再現され、自らが「ハルカ・ジェラシア」であることを突きつけられる。
 悪魔の誘いに乗り、復讐に狂い、憎き『教団』を滅ぼして以降も少なくない数の人間から歩むはずだった人生を奪い、世界の滅びさえ越えて今まで生き延びてきた悪しき魔女。そこに罪悪感を抱いていながら目を逸らし、未だに楽しく幸福な人生を歩もうとする彼女を、誰よりもハルカ・ジェラシア自身が許せない。
 あの日、あのとき、魔女の汚名を背負いながらも、ただの人間として死ぬべきだった。
 だからこそ、再現するのは火刑に処されるこの瞬間。ジェラシアとして切り離された魔女の自滅願望は、花曇はるかというガワを被った哀れな魔女に自ら引導を渡す。酷く大袈裟な自問自答の末、不滅の魂を持つ魔女は「自分自身に殺される」ことが相応しい末路だという結論を出したのだ。
 ──だが、それを受け入れない者が居た。

魔女の再誕

「『花曇はるか』ならそういう結論は出さねぇだろ、ジェラシア」
 桜居春香は、「理想の魔女」が敗北することを認めなかった。1つの肉体を共有している以上、ジェラシアが生み出した悪夢は春香の夢でもある。一部始終を見守り、ジェラシアが自分と出会うまでに歩んできた全てを知った上で、春香は彼女に突きつけた。「理想を守れ」と。
「ハルカ・ジェラシアが死にたいと思うのは勝手だ。お前がどれだけ長く生きてきたのか、言葉で聞いたところで想像も出来ねぇし、犯した罪をお前自身が無視できないならいつかは精算すべき日が来る。それが今日だったってんなら、俺に止めることは出来ねぇ」
「なら……何故止めるんだ、我が半身」
「今のお前は『花曇はるか』だろうが。俺たちの理想を詰め込んで作り上げた『理想の魔女』、それが花曇はるかだ。その名を名乗ったからには、理想を体現する義務がある。どうせ死ぬつもりなら、お前の憧れる理想像に魂を捧げるくらいのことは出来ねぇのか?」
 それが転換点だった。「魔女の亡霊が正しく死ぬための舞台」だった悪夢が、「理想の魔女に生まれ変わるための儀式」へとその意味合いを書き換えられた。
 ハルカ・ジェラシアは、過去の罪を全て背負って火刑の炎に飲まれるべきだ。人間として生きた最後の瞬間、その末路を受け入れて消えることがなによりの贖罪である。
 ──だが、花曇はるかは違う。もしもあの日、あのとき、火刑に処されたのが花曇はるかだったなら、理想の魔女たる彼女はどうしただろう。
「ありがとう、我が半身。お陰で綺麗な終わりが迎えられそうだ。私は、もう迷わない」
 春香の前で炎が大きく燃え広がり、ジェラシアと花曇を包み込む。2人に分かたれていたハルカ・ジェラシアという魔女が、共に灰となって消えていく。世界が作り変わる前、古い世界で人間として生を受けてから実に2000年以上を生きた不滅の魔女が、自らの物語に幕を下ろした瞬間だった。
 と同時に、炎の中で1つの人影が揺らめく。まるで灰が巻き上がって集まるかのように形をなしたその人影は、熱さを感じている素振りもなく足を踏み出すと、春香の目前で炎の隙間からその姿を現した。
「悪しき魔女の亡霊ハルカ・ジェラシアは、過去に犯した背負いきれぬ罪を償うため、火刑を受け入れて死んだ。今ここに居るのは、それでも燃え残ってしまう彼女の魂と引き換えにジェラシアが遺した『理想の魔女』そのものだ。改めてごきげんよう、桜居春香。私は花曇はるか、不滅にして毒々しき春の魔女。これまでも、そしてこれからも……どうぞよろしく、我が依代」
「……随分と大人びた姿になったもんだ、それもあいつの好みか?」
 炎の中から現れた花曇は、もうジェラシアが演じていた「キャラクター」ではなかった。不滅の魂を素材として、さながら春香とジェラシアの空想から「召喚」された魔女。火刑に処されようと灰の中から蘇り、他人の肉体を奪うことなく永遠を生きる不滅の存在。それが、ジェラシアの理想とした花曇はるかの姿だった。
「彼女の享年は今の君よりも若い。『大人になること』それ自体が、ハルカ・ジェラシアという魔女の亡霊にとって1つの理想だったということだ」
「なるほどな……道理で、俺より100倍近く生きている割にガキっぽいやつだったワケだ」
 こうして、長きに渡るハルカ・ジェラシアの物語は終わりを迎えた。10年以上の歳月を彼女と共に生きていた春香は、決して小さくない寂しさを感じながらも、涙を流すことはしなかった。「身近な誰かと笑い合える人生を歩みたい」と願ったジェラシアの最期は、笑顔で見送るのが筋だと考えたのだ。
「いい機会だ、その格好に合わせてアバターも新調するか」
「なるほど、いいアイデアだ。うんと綺麗に仕上げてくれたまえよ」
「自力じゃ無理だな。どこかに依頼を出して……折角だ、この際2Dアバターにしよう」
「ほう、それは楽しみだな」
 桜居春香という男の夢を舞台に起きたこの騒動を、彼ら以外が知るすべはない。今までも、これからも、表に映るのはいつも「VTuber花曇はるか」の姿だけである。
 だからこそ、ここにひっそりと記しておこう。ハルカ・ジェラシアという魔女の物語を。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?